日本の子どもたちの間で、不登校が増えているという。(文部科学省統計 )
不登校の原因には、子どもを取り巻く友人、先輩、教師、クラブの仲間などとの人間関係(イジメを含む)のトラブルが一番多いようだが、その他にも生活習慣の乱れ、そして親との関係、というのが入っている。
生活習慣の乱れは、まさに夜遅くまで子どもがテレビやゲームをやっていておきていることが原因で、11時12時まで小学生が起きていれば、朝起きられないのはあたりまえであろう。
幼児期から大人の生活習慣に合わせて夜遅くまで一緒にテレビを見たりすることがあたりまえになっていれば、学校が始まったからといって急に8時に床に入ることはむずかしい。
日本の家庭の場合、父親が帰ってくるのが遅いから、「お父さんと一緒に夕食」などと考えていれば、夕食の時間が10時ごろになってしまうかもしれない。
そして、日本の場合、小学校の低学年のうちに、自分の個室のベッドで一人で眠るという子どもは少ないだろうから、結局大人が床に入るまでは一緒になって起きていることも多いだろう。
生活習慣の乱れで、なんとなく朝起きるのがつらくて不登校になってしまったというのも困り者であるが、もっと困るのは親の都合で子どもを学校にいかせないことである。
私などは学校がきらいだったから、親から「学校行かなくていいよ」なんていわれたら、躍り上がって喜んだだろう。しかし、教育を受けることは、子どもの義務ではなく権利なのである。
子どもは勉強させられることは嫌がるだろうが、だからといって教育を受けさせないでよいというわけではない。 どうやら、「不登校」といわれる子どもの中には、虐待を受けていて学校にかよわせてもらえない子どもたちも含まれているようである。そして、親の都合で子どもに義務教育を受けさせないのは、子どもの権利の侵害なのである。(義務教育とは、親と国家の子どもに教育を受けさせる義務なのだ)
2005年に博多で起きた「18歳女性長期監禁事件」は、18歳になるまで義務教育を一度も受けたことがなく、学校や社会にでることがなく監禁状態に置かれていた女性が、自力で脱出して助けを求めたことから発覚した事件で、学校や教育委員会は、不就学児童として把握していながら一度も本人の安全確認を行っていなかったケースである。 発見された時には、女性は120センチの身長、22キロの体重しかなく、彼女が逃げ込んだコンビニの店員も警官も、小学生の少女だと思ったそうである。
「もう帰りたくない、お母さんにまたひどいことされる」と泣きじゃくった少女は、それでも逃げ出せたから保護された。団地の一室に監禁され、母親に木刀やハンガーなどで顔面や背中を殴打される暴行を頻繁に受けていたが、逮捕された母親は「娘には障害があり発育に遅れがあって外にだせなかった」と説明した。
しかし、女性は保護されて施設に収容された後、身長も150センチ台まで伸びたという。これは、専門家の間では知られている、愛情不足による生育障害で、親からも誰からも愛されずに育った子供は、食事の量にかかわらず、おのずから成長を止めてしまうといわれている現象である。保護され、精神的に安心したこと、栄養のある食事を定期的に食べたことで、止まっていた成長が促されたのである。
あまりのつらさに、自分でタオルで首をしめようとしたり、団地のベランダから飛び降りようとすると、母親から「ここで死なれたら迷惑だから、どこか遠くで死んでくれ」と言われたという。彼女の細い腕にはかみそりの刃でつけた傷がいくつもあり、今でもそれが疼くという。団地の近所の人も、彼女の存在にはまったく気がついていなかったという。
学校も就学時検診などに子どもをつれてこない両親に会いにきたが、その度に母親が「障害があるから学校に行かせられない」という返事を繰り返し、本人と面談はしていない。女性の姉は学校に通っていたが、「妹は元気だ」というので、学校もそれを信じていたという。教師が家庭訪問をするたびに、嘘をついて追い返す母親の声を、彼女は部屋の奥で聞きながら涙を流していたという。
もっと早くに学校が彼女の状況を把握していたら。もう一歩踏み込んで、本人の安全確認をしていたのなら、彼女の苦しみはもっと少なくて済んだだろう。早期発見、早期対応ができるかどうかが、人一人の人生を救うことになる。
現在20代後半のこの女性は今でも人とのコミュニケーションに大きな問題を持ち、就職することもできないという。 虐待を受けた子どもは、そこから救出されてもそれで彼らの苦しみが終わるわけではないのだ。 失われた子ども時代、低い自尊感情、そして人に対する信頼などを取り戻すことは、容易にできることではない。 社会にでて、自信をもった市民として独立してやっていくために必要な強さを見につけるのは、一朝一夕にはできないのである。
そして、自分で逃げ出すことのできる子どもばかりではない。
室内でウサギの檻に入れられていた男の子、車の後部座席でミイラ化していた男児、猫の糞やオムツなどのごみの中で幼児が眠っていた・・・などなど、21世紀の日本で起きているとは思えない事件があるのである。
2013年には横浜で、7歳の女子が、母親の内縁の夫(血縁関係無し)に暴行を受け、頭蓋内損傷により死亡、磯子区の雑木林に死体を遺棄される。このケースも、松戸市の小学校の就学時健康診断を欠席したため、学校が毎日のように訪問。 入学式に出席せず、その後住民票を変えないまま、親子は横浜に移った。横浜では、はだしで泣き喚く次女が近隣に通報され、児童相談所がかかわることになるが、このとき7歳女子は顔や体にアザがあることから、母親は児童相談所の担当にあわせなかったという。その直後に、虐待暴行を受けて殺害された。
また、2014年に発覚した厚木市の男児の白骨死体は、死亡してから7年程が経過していたという。実母が家を出たのは男児が3歳半ぐらいのことで、死亡したのは5-6歳のことと推定される。同居していた実父は、男児に食事を与えずに衰弱していく男児をおいて、ひとりで立ち歩くこともできない男児を家に残し、放置。か細い声で「パパ」と呼び続けていたことを供述した。 この1週間後に、男児は衰弱死したと考えられる。
近隣の小学校は、入学式に登校しなかった男児のため、家庭訪問を3回ほどするが留守のため、居住実態がないと判断。児童相談所も家庭訪問をするが、居住実態がつかめず。平成13年、中学入学の年齢になって、教育委員会が実父と面会し、男児の安否を確認すると子どもは母と東京のどこかにいる、と回答。 市民課は、住民登録台帳を職権削除し、教育委員会は学齢簿からも削除した。
その後、児童相談所が父方祖父母宅を訪問、祖父母も「どこにいるかわからない、長いこと会っていない」と話したため、警察に行方不明届けを提出、1週間後に男児の白骨遺体をアパートで発見した。実父逮捕。
その他にも社会から見失われてしまった子どもたちがいる。
2010年には、大阪西区で、母親にマンションに置き去りにされた1歳と3歳の幼児が、腐乱死体となって発見される凄惨な事件が起きている。 この時も、実母が離婚後住まいを転々とし、子どもたちの居場所を把握することが難しかったという。 2009年6月、実母は嫁ぎ先を出た後、名古屋のキャバクラで働き始めるが、マンションの廊下で子どもが泣き叫んでいたため、近隣住民から警察に通報される。ネグレクトに発展する可能性があることから、児童相談所に連絡。2回自宅訪問するが応答がなかったため働きかけを中止した。
2009年12月、深夜、実母は区役所に電話をして「子どもを預かって欲しい」と話し、その後児童相談所にも電話をしたが、支援にはつながらなかった。2010年1月、子どもの水遊びで部屋を水浸しにして、引っ越す。大阪市に移り、母親は風俗で働き始めた。従業員用マンションで子どもと暮すが、交際相手の家に連日外泊し、短時間だけマンションにもどり子どもに食事を与えた。
2010年3月、夜中に頻繁に子どもの泣き声がすると近所からの通報が児童相談所に入る。4月と5月にもおなじような通報がはいり、職員が数回訪問するが、人の気配が感じられなかった。
2010年6月、二人の幼児が衰弱死する。
2010年7月、マンションの住人から「異臭がする」と通告があり、警察署員が2児の遺体を発見。実母を逮捕。
この事件も、住民票を移さずに移動を続ける母親につれられて、二人の幼児の姿が社会の中で見えなくなっていく様子がわかる。 しかし、何度も通報があったにもかかわらず、児童相談所の踏み込みが足りないために、二人の幼児の命をすくえなかったという非難が巻き起こり、このあとに児童虐待防止法の見直しなどがあって、児童相談所に立ち入り調査の強い権限を与えることになった。
このほかにも、山形県で2009年には郊外の県道脇の駐車場で練炭を使用した心中で母子が死亡した事件では、母子と祖母と共に子どもは車上生活をしていたという経済的困窮が原因のものや、岡山県の事件では離婚した母と2歳の女児が母子寮に入所後出奔、女児が4歳ごろ風俗で勤務し、女児が就学年齢になっても就学させず、不衛生な室内で生活しており、女児が10歳のころ交際男性と転出したが、その後経済的に困窮して女児は衰弱死に至ったという事件もある。
横浜、大阪、山形、岡山の事件で共通のものは、母子家庭で経済的に困窮し、しかも居場所がないという点である。まず母子家庭になった段階で住まいと仕事を探さなくてはならないが、どちらも今の日本ではそう簡単には手に入らない。
頼れる親族も少なく、離婚した元夫からの経済的支援も期待できず、学歴も資格も持たずに高収入の仕事を手に入れるあてもない母子家庭のお母さんは、まず住居と給料の両方が手に入る風俗などの仕事につく場合も多い。アパートひとつ借りるのだって保証人が必要なのが、日本の社会なのだ。
これらの事件に共通しているもうひとつの点は、児童手当や児童扶養手当、生活保護や夜間保育園、母子寮などの福祉サービスを利用することが少ないという点である。「貧困に追いやられた母親の自尊心の低下と、社会に対する信頼の喪失」が、必要な支援に手を伸ばすことを躊躇させているという研究者もいる。
支援者を信頼しないで、虐待に至った多くの保護者は、その成育歴にも原因があるかもしれない。行政やNPOの提供する支援の情報が届いていないか、届いていてもそれを受けようとしない人々をどうやって見つけ出して、支援を届けるか。アウトリーチ型の支援というが、これが口で言うほど簡単ではないのだ。
東京や大阪という大都会の中に紛れ込んで見えなくなってしまう子どもたち。
本当は、「助けて!」と叫んでいるかもしれないのに、その姿が見えない。
死んでしまった子どもだけではない。扉の向こうで18歳の女性が叫んでいたように「私に気がついて!ここにいるのに、助けてくれないの?!」と声を出すことができずに叫んでいる子どもたちが、今そこにもいるかもしれない。
不登校の子どもの数の中に、そういう子供が複数入っているのではないか。
そして、「所在不明児」といわれる子どもたちが、今も200名近くいるという事実を、21世紀の先進国として、しっかり受け止めなくてはいけないのではないだろうか。
見つけ出された子どもたちの中には、自分で逃げ出してきた子どももいれば、学校のある時間にいつも小学生ぐらいの子どもが公園で遊んでいる、と通報されて保護された子どもたちもいる。道の駅の駐車場の車の中で眠っていて様子がおかしいと警察官が見つけて保護した栄養失調の赤ちゃんもいたそうである。
コンビニで食べ物を万引きしたり、公園で日中遊んでいたり、深夜小学生や中学生が徘徊したりしていたら、それは子どもの危機のサインだと思って、見過ごさないで欲しい。
「どうしたの?」という声かけや、警察や市町村、あるいは児童相談所への通報で救われる子どもたちがいるのだ。
そして、どんな親でも子どもは親をかばうものだ。だって、他の親を知らないし、今いる家庭が自分の世界のすべてなんだから。
それを鵜呑みにしないで、事情を詳しく聞いてあとは専門家の手にゆだねることは大切だ。 虐待する親の元にも子どもは最初は帰りたがって泣くと言う。しかし、安心できる環境に暮らし始めてしばらくすると、やっと正常な判断ができるようになると言う。 DV夫のもとに繰り返し帰っていっては殴られ続ける女性とおなじことだ。
まずは、虐待する親から分離し、心と体を治療してから今後のことを考えられるようになる。それでも「虐待」の体験は子どもの心を一生蝕むだろう。
親のしたことを「怒れる」ようになれば、一歩前進だという。自分を大切にする心が芽生えてきた証拠だ。
「悪いのは自分だから、殴られてもしょうがない」と言わなくなれたら、前進だ。だれだって、殴られていい人なんていないんだから。
18歳で逃げ出してきた女性には幸せになってほしい。
「自由って、つらいです。時々、逃げなければ良かったって思うこともある」
そんな言葉を聞くと、どうしてこんなに心を病むまで誰も見つけてあげられなかったんだろうと胸が苦しくなる。
失われた子ども時代は二度と取り返せない。 そんな人が一人でも減ることを祈っている。
参考資料:
ルポ 消えた子どもたち - 虐待・監禁の真相に迫る。 NHKスペシャル「消えた子どもたち」取材班、(NHK出版新書 2015年)
JaPSCAN, 子どもの虐待とネグレクト、Vol.17, No.1, April 2015, 一般社団法人 日本子ども虐待防止学会、P9-23、「消えた子どもの実態とその背景」、西澤哲、「所在不明」児童の虐待死事件から見えてくるもの」、増沢高










