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家族の風景

子育ての楽しみや悩み、話し合いませんか?


日本の子どもたちの間で、不登校が増えているという。(文部科学省統計


不登校の原因には、子どもを取り巻く友人、先輩、教師、クラブの仲間などとの人間関係(イジメを含む)のトラブルが一番多いようだが、その他にも生活習慣の乱れ、そして親との関係、というのが入っている。


生活習慣の乱れは、まさに夜遅くまで子どもがテレビやゲームをやっていておきていることが原因で、11時12時まで小学生が起きていれば、朝起きられないのはあたりまえであろう。


幼児期から大人の生活習慣に合わせて夜遅くまで一緒にテレビを見たりすることがあたりまえになっていれば、学校が始まったからといって急に8時に床に入ることはむずかしい。


日本の家庭の場合、父親が帰ってくるのが遅いから、「お父さんと一緒に夕食」などと考えていれば、夕食の時間が10時ごろになってしまうかもしれない。


そして、日本の場合、小学校の低学年のうちに、自分の個室のベッドで一人で眠るという子どもは少ないだろうから、結局大人が床に入るまでは一緒になって起きていることも多いだろう。


生活習慣の乱れで、なんとなく朝起きるのがつらくて不登校になってしまったというのも困り者であるが、もっと困るのは親の都合で子どもを学校にいかせないことである。



私などは学校がきらいだったから、親から「学校行かなくていいよ」なんていわれたら、躍り上がって喜んだだろう。しかし、教育を受けることは、子どもの義務ではなく権利なのである。


子どもは勉強させられることは嫌がるだろうが、だからといって教育を受けさせないでよいというわけではない。 どうやら、「不登校」といわれる子どもの中には、虐待を受けていて学校にかよわせてもらえない子どもたちも含まれているようである。そして、親の都合で子どもに義務教育を受けさせないのは、子どもの権利の侵害なのである。(義務教育とは、親と国家の子どもに教育を受けさせる義務なのだ)



2005年に博多で起きた「18歳女性長期監禁事件」は、18歳になるまで義務教育を一度も受けたことがなく、学校や社会にでることがなく監禁状態に置かれていた女性が、自力で脱出して助けを求めたことから発覚した事件で、学校や教育委員会は、不就学児童として把握していながら一度も本人の安全確認を行っていなかったケースである。 発見された時には、女性は120センチの身長、22キロの体重しかなく、彼女が逃げ込んだコンビニの店員も警官も、小学生の少女だと思ったそうである。


「もう帰りたくない、お母さんにまたひどいことされる」と泣きじゃくった少女は、それでも逃げ出せたから保護された。団地の一室に監禁され、母親に木刀やハンガーなどで顔面や背中を殴打される暴行を頻繁に受けていたが、逮捕された母親は「娘には障害があり発育に遅れがあって外にだせなかった」と説明した。


しかし、女性は保護されて施設に収容された後、身長も150センチ台まで伸びたという。これは、専門家の間では知られている、愛情不足による生育障害で、親からも誰からも愛されずに育った子供は、食事の量にかかわらず、おのずから成長を止めてしまうといわれている現象である。保護され、精神的に安心したこと、栄養のある食事を定期的に食べたことで、止まっていた成長が促されたのである。


あまりのつらさに、自分でタオルで首をしめようとしたり、団地のベランダから飛び降りようとすると、母親から「ここで死なれたら迷惑だから、どこか遠くで死んでくれ」と言われたという。彼女の細い腕にはかみそりの刃でつけた傷がいくつもあり、今でもそれが疼くという。団地の近所の人も、彼女の存在にはまったく気がついていなかったという。


学校も就学時検診などに子どもをつれてこない両親に会いにきたが、その度に母親が「障害があるから学校に行かせられない」という返事を繰り返し、本人と面談はしていない。女性の姉は学校に通っていたが、「妹は元気だ」というので、学校もそれを信じていたという。教師が家庭訪問をするたびに、嘘をついて追い返す母親の声を、彼女は部屋の奥で聞きながら涙を流していたという。


もっと早くに学校が彼女の状況を把握していたら。もう一歩踏み込んで、本人の安全確認をしていたのなら、彼女の苦しみはもっと少なくて済んだだろう。早期発見、早期対応ができるかどうかが、人一人の人生を救うことになる。


現在20代後半のこの女性は今でも人とのコミュニケーションに大きな問題を持ち、就職することもできないという。 虐待を受けた子どもは、そこから救出されてもそれで彼らの苦しみが終わるわけではないのだ。 失われた子ども時代、低い自尊感情、そして人に対する信頼などを取り戻すことは、容易にできることではない。 社会にでて、自信をもった市民として独立してやっていくために必要な強さを見につけるのは、一朝一夕にはできないのである。





そして、自分で逃げ出すことのできる子どもばかりではない。


室内でウサギの檻に入れられていた男の子、車の後部座席でミイラ化していた男児、猫の糞やオムツなどのごみの中で幼児が眠っていた・・・などなど、21世紀の日本で起きているとは思えない事件があるのである。




2013年には横浜で、7歳の女子が、母親の内縁の夫(血縁関係無し)に暴行を受け、頭蓋内損傷により死亡、磯子区の雑木林に死体を遺棄される。このケースも、松戸市の小学校の就学時健康診断を欠席したため、学校が毎日のように訪問。 入学式に出席せず、その後住民票を変えないまま、親子は横浜に移った。横浜では、はだしで泣き喚く次女が近隣に通報され、児童相談所がかかわることになるが、このとき7歳女子は顔や体にアザがあることから、母親は児童相談所の担当にあわせなかったという。その直後に、虐待暴行を受けて殺害された。




また、2014年に発覚した厚木市の男児の白骨死体は、死亡してから7年程が経過していたという。実母が家を出たのは男児が3歳半ぐらいのことで、死亡したのは5-6歳のことと推定される。同居していた実父は、男児に食事を与えずに衰弱していく男児をおいて、ひとりで立ち歩くこともできない男児を家に残し、放置。か細い声で「パパ」と呼び続けていたことを供述した。 この1週間後に、男児は衰弱死したと考えられる。


近隣の小学校は、入学式に登校しなかった男児のため、家庭訪問を3回ほどするが留守のため、居住実態がないと判断。児童相談所も家庭訪問をするが、居住実態がつかめず。平成13年、中学入学の年齢になって、教育委員会が実父と面会し、男児の安否を確認すると子どもは母と東京のどこかにいる、と回答。 市民課は、住民登録台帳を職権削除し、教育委員会は学齢簿からも削除した。


その後、児童相談所が父方祖父母宅を訪問、祖父母も「どこにいるかわからない、長いこと会っていない」と話したため、警察に行方不明届けを提出、1週間後に男児の白骨遺体をアパートで発見した。実父逮捕。




その他にも社会から見失われてしまった子どもたちがいる。


2010年には、大阪西区で、母親にマンションに置き去りにされた1歳と3歳の幼児が、腐乱死体となって発見される凄惨な事件が起きている。 この時も、実母が離婚後住まいを転々とし、子どもたちの居場所を把握することが難しかったという。 2009年6月、実母は嫁ぎ先を出た後、名古屋のキャバクラで働き始めるが、マンションの廊下で子どもが泣き叫んでいたため、近隣住民から警察に通報される。ネグレクトに発展する可能性があることから、児童相談所に連絡。2回自宅訪問するが応答がなかったため働きかけを中止した。


2009年12月、深夜、実母は区役所に電話をして「子どもを預かって欲しい」と話し、その後児童相談所にも電話をしたが、支援にはつながらなかった。2010年1月、子どもの水遊びで部屋を水浸しにして、引っ越す。大阪市に移り、母親は風俗で働き始めた。従業員用マンションで子どもと暮すが、交際相手の家に連日外泊し、短時間だけマンションにもどり子どもに食事を与えた。


2010年3月、夜中に頻繁に子どもの泣き声がすると近所からの通報が児童相談所に入る。4月と5月にもおなじような通報がはいり、職員が数回訪問するが、人の気配が感じられなかった。


2010年6月、二人の幼児が衰弱死する。


2010年7月、マンションの住人から「異臭がする」と通告があり、警察署員が2児の遺体を発見。実母を逮捕。


この事件も、住民票を移さずに移動を続ける母親につれられて、二人の幼児の姿が社会の中で見えなくなっていく様子がわかる。 しかし、何度も通報があったにもかかわらず、児童相談所の踏み込みが足りないために、二人の幼児の命をすくえなかったという非難が巻き起こり、このあとに児童虐待防止法の見直しなどがあって、児童相談所に立ち入り調査の強い権限を与えることになった。




このほかにも、山形県で2009年には郊外の県道脇の駐車場で練炭を使用した心中で母子が死亡した事件では、母子と祖母と共に子どもは車上生活をしていたという経済的困窮が原因のものや、岡山県の事件では離婚した母と2歳の女児が母子寮に入所後出奔、女児が4歳ごろ風俗で勤務し、女児が就学年齢になっても就学させず、不衛生な室内で生活しており、女児が10歳のころ交際男性と転出したが、その後経済的に困窮して女児は衰弱死に至ったという事件もある。




横浜、大阪、山形、岡山の事件で共通のものは、母子家庭で経済的に困窮し、しかも居場所がないという点である。まず母子家庭になった段階で住まいと仕事を探さなくてはならないが、どちらも今の日本ではそう簡単には手に入らない。


頼れる親族も少なく、離婚した元夫からの経済的支援も期待できず、学歴も資格も持たずに高収入の仕事を手に入れるあてもない母子家庭のお母さんは、まず住居と給料の両方が手に入る風俗などの仕事につく場合も多い。アパートひとつ借りるのだって保証人が必要なのが、日本の社会なのだ。



これらの事件に共通しているもうひとつの点は、児童手当や児童扶養手当、生活保護や夜間保育園、母子寮などの福祉サービスを利用することが少ないという点である。「貧困に追いやられた母親の自尊心の低下と、社会に対する信頼の喪失」が、必要な支援に手を伸ばすことを躊躇させているという研究者もいる。


支援者を信頼しないで、虐待に至った多くの保護者は、その成育歴にも原因があるかもしれない。行政やNPOの提供する支援の情報が届いていないか、届いていてもそれを受けようとしない人々をどうやって見つけ出して、支援を届けるか。アウトリーチ型の支援というが、これが口で言うほど簡単ではないのだ。



東京や大阪という大都会の中に紛れ込んで見えなくなってしまう子どもたち。


本当は、「助けて!」と叫んでいるかもしれないのに、その姿が見えない。


死んでしまった子どもだけではない。扉の向こうで18歳の女性が叫んでいたように「私に気がついて!ここにいるのに、助けてくれないの?!」と声を出すことができずに叫んでいる子どもたちが、今そこにもいるかもしれない。


不登校の子どもの数の中に、そういう子供が複数入っているのではないか。


そして、「所在不明児」といわれる子どもたちが、今も200名近くいるという事実を、21世紀の先進国として、しっかり受け止めなくてはいけないのではないだろうか。




見つけ出された子どもたちの中には、自分で逃げ出してきた子どももいれば、学校のある時間にいつも小学生ぐらいの子どもが公園で遊んでいる、と通報されて保護された子どもたちもいる。道の駅の駐車場の車の中で眠っていて様子がおかしいと警察官が見つけて保護した栄養失調の赤ちゃんもいたそうである。



コンビニで食べ物を万引きしたり、公園で日中遊んでいたり、深夜小学生や中学生が徘徊したりしていたら、それは子どもの危機のサインだと思って、見過ごさないで欲しい。


「どうしたの?」という声かけや、警察や市町村、あるいは児童相談所への通報で救われる子どもたちがいるのだ。



そして、どんな親でも子どもは親をかばうものだ。だって、他の親を知らないし、今いる家庭が自分の世界のすべてなんだから。


それを鵜呑みにしないで、事情を詳しく聞いてあとは専門家の手にゆだねることは大切だ。 虐待する親の元にも子どもは最初は帰りたがって泣くと言う。しかし、安心できる環境に暮らし始めてしばらくすると、やっと正常な判断ができるようになると言う。 DV夫のもとに繰り返し帰っていっては殴られ続ける女性とおなじことだ。 



まずは、虐待する親から分離し、心と体を治療してから今後のことを考えられるようになる。それでも「虐待」の体験は子どもの心を一生蝕むだろう。


親のしたことを「怒れる」ようになれば、一歩前進だという。自分を大切にする心が芽生えてきた証拠だ。


「悪いのは自分だから、殴られてもしょうがない」と言わなくなれたら、前進だ。だれだって、殴られていい人なんていないんだから。



18歳で逃げ出してきた女性には幸せになってほしい。


「自由って、つらいです。時々、逃げなければ良かったって思うこともある」


そんな言葉を聞くと、どうしてこんなに心を病むまで誰も見つけてあげられなかったんだろうと胸が苦しくなる。



失われた子ども時代は二度と取り返せない。 そんな人が一人でも減ることを祈っている。





参考資料:


ルポ 消えた子どもたち - 虐待・監禁の真相に迫る。 NHKスペシャル「消えた子どもたち」取材班、(NHK出版新書 2015年)


JaPSCAN, 子どもの虐待とネグレクト、Vol.17, No.1, April 2015, 一般社団法人 日本子ども虐待防止学会、P9-23、「消えた子どもの実態とその背景」、西澤哲、「所在不明」児童の虐待死事件から見えてくるもの」、増沢高


またしても悲しい事件が起きてしまった。


東京で3歳の男の子が、母親の同居人に1時間にわたる暴行をうけて殺されてしまった事件である。



ついこの間、3歳の女の子がやはり母親の同居人に顔に熱湯をかけるなどして殺されたばかりである。



どちらの事件も、大人の都合で振り回され、大人のじゃまにされ、この世に居場所をなくしてしまった子どもたちのあまりにも悲惨な最期であって、その痛ましさに胸がつぶれる思いがする。



こういう事件を詳細に調べると、「親に支援をして虐待を防止」という研究をしていることがなんだかむなしくなってくることがあるが、それでもあきらめてはいけない。



悲しいことだが、母子家庭に入り込む血縁関係のない男性による子どもの虐待はあとをたたない。



これを防ぐには、いわゆる「母親のボーイフレンド」という存在は、子どもの脅威になりかねないということをしっかり自覚し、用心しつつ交際を深める必要がある、ということだ。



また、離婚した場合でも同居していない親が頻繁に子どもに会う機会を持ち、子どもの様子を常に見守ることが大切だ。 しかし、これは日本ではあんまり行われていない。


子どもが定期的に別れた親に会う機会があれば、子どもの体についているあざや傷に気がつくことができる。 子どもが口をきける年齢であれば、悩みを相談したり、虐待環境から逃げて行くこともできるのである。




子どもの怪我は常にどうしてできたかを知っておく必要がある。それは中学生ぐらいになっても、怠ってはいけない。 中学生になっても、虐待のために深刻なダメージを受けることは、大阪岸和田の事件で中学生の男子が自宅で父親と継母から軟禁状態にされ、深刻なネグレクトと身体的虐待で、餓死状態になり脳が萎縮して一時植物状態になってしまったことからもわかる。彼の知能はいちじるしく低下したままだという。



以下は、虐待でうける傷の典型的な痕のリストである。 子どものからだに以下のような痕がついていたら、それはベルト、電気のコード、棒、鞭、ハエたたき、ハンガー、料理用器具、平手打ち、噛み付き、フライパンなど、ヘアブラシなどで殴られた痕である。


(資料1)



また、身体のうち、以下の黄色い部分に打ち身などがあれば、それは事故の可能性が高いが、真紅の部分についた傷やアザは、虐待の可能性が高い。



               (資料2)





以下は、頭をヘアブラシで殴られた痕である。


                             (資料3)



以下は、電気コードで繰り返し殴られた痕である。


(資料4)



下の図は、体のどの部分に体罰をうけやすいかを現したもので、お尻、手、足、性器のパーセンテージが高い。頭の確立は6%と低いが、頭を殴られたり蹴られたりした場合、硬膜下出血など致命的なダメージを受けることが多い。命を落とさないまでも、生涯にわたる障害を引き起こす場合が多い。

  (資料5)



以下は、顔面を殴られた幼児が眼球内に出血を起こした例。



                     (資料6)                 

                     

下は、口元を殴られた子どもの口腔内のダメージ。乳歯が根元から折れている。


                 (資料7)



子どもの身体に以上のような瘢痕、負傷を見た場合、虐待を疑う必要がある。また、子どもに聞いても「親に殴られた」とは言わない場合が多いことも、知っておくべきである。また3歳以下であったりすれば、言葉で説明することも不可能である。



子どもの虐待と言っても、その実態は虐待の場面をみたりその結果を見てみないとピンとこないかもしれないが、「家庭内のしつけ」ではすまされない過酷な現状があるのである。




数年前に、英国で「ベイビーP事件」というのが起きた。


母親と同居している男性による虐待で、2歳の男児、ピーターが殺された事件である。


地区の児童虐待防止センターがかかわっていたにもかかわらず、その命を救うことができなかったとして、国会でも取り上げられて全国民の知るところとなった重大事件である。関係諸機関のトップは軒並み責任を問われて裁判になり、職を追われたりした。 


ピーター君は、同居男性から日常的に殴る、蹴る、階段から落とされるといった暴行を受け続け、死亡した時には骨折のあとが新旧で何箇所もみつかった。また死亡の直接の原因としては背骨が折れていたことだという。おそらく、階段のてすりか膝の上に子供を乗せて圧迫したことによる骨折ということであった。


その他にも子どもの胃の中には食品はほとんどみあたらず、ピーター自身の乳歯が2本見つかったということである。つまり、顔を殴られて折れた乳歯を飲み込んでいた、ということになる。


こんな凄惨な暴力がたった2歳の幼児に振るわれていたにもかかわらず、母親はなにをしていたということで、母親に対する非難もごうごうであった。 しかし、幼児に暴力を振るう男は、通常その母親にも暴力を振るっている。


暴力で押さえ込まれてしまった母親は、自分の子供を守ることができない状態に置かれていることが多い。「殴る男と逃げない女」でも書いたが、暴力によりコントロールされてしまっている人間には正常な判断ができなくなっていることが多いのだ。



一緒に暮らし始める前に、相手が自分の子供にとって危険な存在になるかどうか。それをしっかり見極めてから同居をするべきであるが、それができない親は案外多いのかもしれない。 経済的に困窮し、孤独に陥り、寄ってくるものにはすがりつきたいような気持ちでいる母子に対し、擦り寄ってくる男は多いという。なので、母子の経済的自立は重要なことである。


アメリカの研究では、幼児性愛者が選んで若い母子家庭の母親に近づき、その子どもたちを性的虐待の対象にしているという統計も発表されている。日本では子どもを知り合ったばかりの男性に預けて、夜の仕事にでていく母親もいると思うが、気をつけたほうが良い。



人を信用するな、といわなくてはならないのは本当に悲しいことだ。しかし、児童虐待は起きてしまえば取り返しのつかない結果を招く。 命に別状がなくとも、精神的なダメージは計り知れない。それがたった数ヶ月のことでも、子どもにとって、残りの人生を変えてしまうような精神的な影響を与える例は、たくさん報告されている。





最初から虐待しようと思って、同居を始める人は少ないだろう。しかし、恋人と甘い生活をしようと思って、子持ちのパートナーと暮らし始めた人は、きっと愕然とするだろう。そして、外で会ってたまに遊園地に行くなら可愛いと思えていた相手の子どもが、毎日の生活の中ではうっとうしくて、じゃまでしかたがなくなるかもしれない。



そんな覚悟もなく、同居を始める大人は未熟なのである。



好きな人に子どもがいた。


それならば、その子どもも含めての相手である。


それを、バゲージ(荷物)と呼ぶ人もいる。しかし、わたしはパッケージ(まとめてひとつ)と呼びたい。



我が家もそれぞれが子どもをつれての再婚であるから、再婚家庭の難しさは知っている。



相手も、相手の子どもも、ひとつのパッケージとして受け入れることができないならば、再婚は無理だね、と私の夫も言った。 「君と結婚しようと決めた時に、すべてを受け入れると決めた」という。 しかし、その決意があったって、再婚はそんなに楽なものではないのだ。結婚しなくとも、同居もしかりである。




子育ては、なかなか大変なことだ。一人で頑張っているお母さんたちはほんとうにえらい。



でも、親子で頑張っている家庭に未熟な大人がはいりこんできて、「オレ、オレ!」とかまってほしがる。これではまるで、もうひとり子どもが増えたようなものではないか。



そんな状況になってしまえば、この大人は、自分の子供と張り合って、嫉妬して、子どもを苛め始めるだろう。 母親として、そういう状況になることは、なんとしても阻止しなくてはならない。



子どもが殺されてしまえば、こうやってニュースになるが、そうでないまでも、家庭に入り込んだ「血縁関係のない大人」が、日々子どもを叩いたり、ひどいことを言ったりしているケースは多いのだ。



少し前にも、中学生の男の子が継父に毎日のように「死んでくれ」と言われ続けて、自殺した事件があった。これは殺人であろう。





母親なら・・・・どうか、どうか、まずおのれの子どもの幸せを何よりも大事にして欲しい。子どもが育つのなんか、本当に数年のことなのだ。そして、殺されないまでも、その貴重な数年の育ちが、彼の、彼女の今後の人生に取り返しのつかないような暗い影を落としてしまうこともあるのだ。


恋をするなとはいわない。しかし常に冷静な判断を失わないことだ。好きだと思った相手が、自分の子供をかみ殺すライオンだったと思ったとき・・・子どもをつれて逃げるべきなのである。




そして、一人で子育てをしている母親が社会的に孤立し、経済的に困窮しているのを放置していると、こういう事件がふえるということを、我々社会はしっかり認識するべきである。



一人親の家庭を社会がしっかりサポートすることが、こういう事件を未然に防ぐ土台をつくることを忘れないようにしたい。




*写真資料はすべて以下の書籍から引用しました。


Quick Reference: Child Abuse for Healthcare, Social Service, and Law Enforcement Professionals, Second Edition, Angelo P. Giardino, MD, PhD, FAAP, Randell Alexander, MD, PhD, FAAP. (G. W. Medical Publishing, Inc. St. Lous, 2006)

 今年に入って、またなんども子どもの虐待のニュースをみている。


「3歳長女と1歳長男を、自宅アパートの天井に叩きつけ、怪我」(サンケイ新聞 )や、「3歳次女、やけどを放置、母親と内縁の夫逮捕」(ヤフーニュース) などである。


いったい、1歳や3歳の幼児に、てひどい体罰を負わせなくてなならないような「悪事」や「反抗」ができるだろうか?


これは、親の側の未熟としかいいようがない。



やけどを負った埼玉県の次女のケースは、自宅で死亡が確認されたそうである。 やけどのような深刻な痛みを伴う怪我をさせられて、病院にもつれていってもらえず放置され、苦しみながら死んでいった3歳の女の子のことを思うと、胸が痛んで腹が立って、やりきれない気持ちになる。


どうしてこういうことがなんども繰り返されるのであろうか。


子育ては、確かに楽なことではない。親になったならば、人は自分のわがままを押さえ、まずは子どもが健やかに育つことを自分の人生の中の優先順位の高いところにおいて、我慢することもたくさんでてくるだろう。


その我慢ができない大人が、親になりきれない未熟な大人がたくさんいる、ということなのだろうか。


そして、そういう未熟な親は、「特殊な人たち」なのだろうか。


虐待をしてしまって逮捕されたり、社会福祉関連の支援を受けている人たちに実際あってみると、「普通の人たち」という印象を受けることも多いという。そして、「追い詰められなければ、起こさなかったかもしれない事件」と感じることも多いという。


確かに虐待の中でも、「ネグレクト」という、いわゆる「放置、保護の怠慢」といわれるタイプの虐待は、貧困や一人親などという「状況」から、やむなく起きてしまっていることも多いのである。


しかし積極的な体罰による、「身体的虐待」に関しては、どこかで歯止めがきかなかったのか、とやりきれない気持ちになることが多い。


親の言い訳で一番多いのは、「しつけ」であるが、体罰としつけは、常に分けて考えた方が安全である。体罰をほどこさなくともできる「しつけ」がほとんどで、体罰に頼る親は、養育能力が低い親とみなされてもしかたがない。


思うようにならない子どもにかーっとして、つい殴ってしまった、蹴ってしまったということであれば、それはしつけではなく、自分の怒りの処理である。アンガーコントロールをしっかり習得し、かーっとしたら深呼吸するなりなんなりして、暴力で問題を解決しようとしない態度を身につけるべきである。


家庭内に置いて暴力で押さえつけられた子どもは、そとで自分より弱い立場の者を、暴力で押さえつけようとする。あるいは自分が親になった時に、同じように暴力を使って子どもをコントロールしようとする。その際に、「オレの親父も、オレを殴って躾けてくれた」というのが常套句のようだが、それは「虐待を受けていた弱い自分」を正当化したいという心理が働いているようである。そして、暴力をふるえるようになった今の自分をも正当化したいのである。

下の資料は、虐待か事故かを病院や学校、保育園などで見抜くためのマニュアルからの抜粋である。典型的な「虐待によるやけど痕」のリストである。


アイロンや、車の中のシガレットライター、焼けた電球(テーブルランプなど)をおしつける、ヘアアイロン、火のついたタバコをおしつける、やけたフォークやナイフを押し付ける、などによる典型的な痕である。



(資料1)


こちらは、熱いヘアドライヤーをおしつけた痕である。




                    (資料2)



さらに、100円ライターによるやけど痕も。


           (資料3)

上記のようなやけど痕が子どもの体についていたら、要注意である。それは、事故で起きた可能性は大変に低く、だれかが故意に子どもに対して行った「虐待」の可能性が大変に高いからである。


教師、保育士、看護師、医者でなくとも、コンビニの店員さん、近所の人、あるいはただの通りすがりでも、子どもの皮膚にこういった痕があれば、それは事故でついたやけどではないということで、児童相談所や市町村にすぐに通報をしてほしい。通報のあと、たとえそれが間違いであっても、本当に事故であっても、かまわない。専門家の手に渡すことによって、重篤な怪我や後遺症が残る前に救われる子どもがひとりでも増えることの方が大切だからだ。



また、からだの以下の部位にやけどがある場合、熱湯に子どもを故意につけた可能性が高い。



           (資料4)



左は熱湯をシャワーでかけたときにできるやけど痕で、右の2点は、下の図のように、熱湯をいれたバスタブにつけられた時にできるもの。


こういう状況のやけどを子どもがおっていたら、それは事故ではない可能性が高く、通報の必要がある。医師、看護師、教師、保育士であれば知っていて当然のこと、そうでなくとも常識として広く社会一般が認識しておくべきことではないだろうか。



色々、ストレスの多い状況の中で子育てをしていると、ぐずる子どもや思うようにならない子どもについカーッとしてしまうこともあるだろう。


しかし、子どもを相手に怒りを抑えられない自分の未熟さを今一度よく思い出し、相手はほんの数年生きてきた子どもに過ぎないこと、自分はその子供を保護する立場にあることをよく認識し、力で相手をコントロールしなくとも、おおらかにかまえられる状況に自分をもっていくことだ。


しかし、それにはきっと多くの人の助けが必要なのかもしれない。


未熟なまま親になってしまう人々が増えて、核家族化した状態で密室で孤立して育児をしていれば、思うようにならない赤ん坊や幼児に対して、つい「あんた、私を困らそうとしてやってんでしょう!!」とヒステリックになる親もいるかもしれない。


しかし、「親なんだから、自分のこどもを煮て食おうが焼いて食おうが勝手だろう」ということではいけない。 虐待はりっぱな犯罪なのである。


そして、「他人の家のことは、口出しできないしね・・・」と児童虐待を見てみぬ振りをする周囲の行動も、実は違法なのである。 子ども関係、福祉関係の専門職以外でも、「国民はすべて」児童虐待を見たら、あるいはその可能性をうたがったら、しかるべき機関(児童相談所か市町村、警察など)に通報する義務があるのである。(児童虐待の防止等に関する法律、第六条)  その際、通告者の身元情報などは漏洩しない。



近所の子どもがあまりにもしょっちゅう怪我をしているようだったら・・・。家の外に出されて2時間も泣いているようだったら・・・。 まずは親に「どうしたの、子育てって大変よね」と声をかけてあげること、育児のアドバイスをしたり、愚痴を聞いてあげること、そしてたまには子どもを預かってあげることで、親のイライラもだいぶ軽減するかもしれない。


そして、いよいよこれは危ないと思ったら、躊躇せずに通告し、専門家の手にゆだねることだ。子どもが死んでしまってから後悔しても遅いのである。



子育てをしている家族には社会がやさしくあるべきなのである。おせっかいをする必要はないが、優しく見守るべきなのである。 少しの子どもの騒ぎ声や足音に苦情をいいたてたり、電車内でにらみつけたり、そういうことのない社会になってほしい。


誰だって子ども時代はあったはずだ。自分だって、社会に迷惑をかけながら大人になったはずだ。それを忘れてはいけない、と思う。




どの子どもも、すこしでも悲しい思いをしないで毎日を暮らしていけますように・・・。




資料1,2,3:Child Fatality Review: Quick Reference for Health Care, Social Service, and Law Enmforcement Professionals, Randell Alexamder, MD, PhD, FAAP, Mary E. Case. MD, (STM Learning, Inc. St. Louise, 2011)


資料4:Quick Reference: Child Abuse for Healthcare, Social Service, and Law Enforcement Professionals, Second Edition, Angelo P. Giardino, MD, PhD, FAAP, Randell Alexander, MD, PhD, FAAP. (G. W. Medical Publishing, Inc. St. Lous, 2006)