家族の風景

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赤ちゃんを産んで、可愛がって育てよう…。


ほとんどの親が誰もそう思って妊娠期を過ごし、生まれてきた赤ちゃんを抱っこして、幸せな気持ちにひたるのである。


しかし、一度生まれてくると、赤ちゃんはこっちの思うようにはならないものだ。


出産して、まだ体が戻らないうちから、昼夜を問わない2時間おきの授乳。

「寝かしてくれよ~」と泣きたくなるような気持ちになることは、どのお母さんも経験するのだろう。

寝かしつけに1時間抱っこやおんぶをして、ベッドに寝かせたとたんに目を覚まして泣き出したりすると、「なきたいのはこっちなのに・・・」という気持ちになったことも思い出すのである。


さて、赤ちゃんに対する深刻な虐待で一番多いのは、「乳幼児揺さぶられ症候群」である。


これは、親などの大人が、泣き止まない赤ちゃんにイライラして、黙らせようとして赤ちゃんを持ち上げて前後に強く揺さぶった時に起こるダメージで、実に1.2メートルの高さから赤ちゃんを床に落としたときに脳が受ける衝撃よりも、重篤な障がいが残るというのである。


通常、赤ちゃんをつかんで持ち上げ、前後に振ったり、赤ちゃんを座らせて肩をつかんで前後にゆすったりすることにより、頭部が激しくゆすられておこるものである。頭蓋骨の中で脳が前後に動き、硬膜下出血をおこすのである。


これにより起きる結果として、2割以上の死亡、6割以上の重篤な障がいが報告されていて、実に8割以上の乳幼児に生涯にわたって影響するダメージが起こってしまうのである。


母親が加害者のこともあるが、たまに面倒をみている父親、あるいは母親のボーイフレンドなど、成人男性による強い力での揺さぶりも、致命的な結果を引き起こしていることが多いという。

加害者の言い訳は、決まって「泣き止まないから、黙らせようとして」というものである。



泣き止まない赤ちゃんには、ほとほと途方にくれてしまい、ついイライラしてしまうことも良くわかりますが、どうぞ一人で悩まないで市町村やお近くのNPOなどにも相談してください。


そして何より、「赤ちゃんは泣くのが仕事」と思って、おおらかな気持ちで泣いている赤ちゃんを受け止めてあげてください。


もちろん、授乳や、オムツの面倒は、しっかり見てあげてくださいね。外の新鮮な空気を吸わせてあげることも大切ですよ・・・。

ウチの長男は、おんぶして外を10分ほど歩いてくると泣き止みました。また、車にのせてしばらく走ると、その振動のせいか、寝てしまうこともありました。

どちらにせよ、赤ちゃんが泣き止まなくて困る、というのはほんの2,3ヶ月のことです。いつかはかならず収まると信じて、気長にかまえてください。自分もそうやって泣きながら育ったのですから・・・。



一時のイライラで、思わず揺さぶってしまったわが子に、一生のこる障がいが起きてしまったら・・・。後悔してもしきれないでしょう。


そして、泣いている赤ちゃんをかかえて焦っている親御さんを、周りの人は暖かい目で見てあげられる社会だったら素晴らしいですね。


下に、厚生労働省の作成したビデオがあるので、今子育てしている最中のお父さん、お母さん、またお孫さんが生まれたばかりの方は、ぜひ見てもらいたい。

赤ちゃんの脳が、いかに脆弱で傷つきやすいかが、分かるはずです・・・。






こちらは猫のおかあさん。動物から学ぶことは多いですね。





赤ちゃんが眠くなる音楽はこちら・・・お母さんが寝てしまうかも。



下は、お母さんの子宮の中の音に近い、ホワイトノイズ。こちらも赤ちゃんが眠るのに良いそうです。 どうぞ、おおらかな子育てを・・・・。

子供はあっという間にそだって、手元を離れていってしまうのですから・・・。




2003年より、厚労省による児童虐待の死亡事例検証報告が発表されている。平成15年の7月から12月が、第一次報告書である。



報告書が始まって以来、過去11年(2002-2013)に心中以外の児童虐待死は、582名。無理心中で殺された児童は、427名。なんと1000名を越す児童が親の手にかかって殺されている。虐待を見抜けず、親の言い分をそのまま聞いて、事故として処理したり、死亡原因不明として処理されたケースも過去には多くあっただろうから、その数は1000名を越しているに違いない。



昨年の10月に、平成25年(2013)4月から平成26年(2014)の3月までの検証報告書が、第11次
として発表された。



それを見ると、(第一次の報告の統計は不備なので除く)第2次報告書の虐待死50名(2004年)平成20年まで、増加の一途を辿っており、平成18年の61名、平成19年の78名と20年の67件(心中を入れると、128名、142名、128名)をピークに、その後児童の虐待死は減っている。2012年度が51名、2013年度が、36名である。



男女の割合を見ると、第一次報告から第3次報告書までは女児の割合が高く、それ以降は男子の割合が50%を少し越えるところで保たれている。



年齢的に見ると、0歳児の虐待死が一番多く(4割強)、この傾向は記録をとり始めてから11年、かわらない。



それから、1歳児から5歳児まで、順に割合がさがっていき、6歳になるとぐんと減るのは、過去の統計を見てもほぼ横ばいである。



0歳児から5歳児までの虐待死は、2013年度の報告で全体の86%を占め、ほとんどの子どもの虐待死が学齢期前に集中していることがわかる。これも、過去の統計とほとんど変わらないことから、虐待を受け、死亡する最もハイリスクの子どものグループは、0-5歳児ということがわかる。




2013年度の死亡の原因を虐待の種類で見ると、身体的虐待が6割近く、ネグレクトが25%。 直接死因は、頭部外傷が4割程度、頚部絞扼以外による窒息が18%、頚部絞扼が14%であった。 加害の動機は、「泣き止まないことにいらだって」がもっとも多く、ついで「しつけのつもり」。




ネグレクトによる死因は、家に残したまま外出する、車中に置き去りにするなどが、7割近い。ついで、遺棄するケースが2割程度。食事を与えないなどして死亡させたケースが11%であった。




死亡事件が起きるまでの虐待の期間は1ヶ月以内というのが多く(4割)、虐待が始まって比較的すぐに殺されてしまった子どもが多いともいえる。虐待の兆候を発見したら、早いうちに手を打つ必要がある、といえるかもしれない。



また、6ヶ月以上虐待の期間があった、というのも11%あることから、長期間虐待を受け続け、最後に殺された子どもたちもいるということである。



また、死んだ子どものうち、死亡前に虐待が行政によって把握されていたケースは4割以上あるところから、リスク判定がしっかり機能していなかったという分析もできる。




過去の報告書の統計(心中による虐待死を除く)をすべて見てみると、主たる加害者は、報告書が始まった第一次(2003年)からの累計で、実母による虐待死が320件でトップ。ついで実父が95件。 その次に多いのが、実母の交際相手で、33件である。 実母と実父の共犯が45件、実母と実母の交際相手の共犯が16件、継父9件、継母5件、養母5件、養父2件、母方祖母5件、などがある。 計算すると、582件中、121件は、実父、実母以外の第三者によって、子どもたちは虐待により家庭内で殺されている。これは、なんと21%にものぼる。



虐待死の加害理由としては、「保護を怠ったもの」が最多、ついで、「しつけのつもり」、「泣き止まないことにいらだった」そして、「親の精神疾患(妄想など)」による。




周産期において、虐待のリスク要因となるものはなにか。




第3次報告から第 11 次報告までの推移でみると、「望まない妊娠/計画していない妊娠」、「若年( 10代)妊娠」、「母子健康手帳の未発行」、「妊婦健診未受診」については、継続的に高い水準で重大虐待事例の発生がみられる。自分および赤ちゃんの健康に対する無関心からもその後の虐待のリスクがみてとれる。



特に、「若年( 10 代)妊娠」についてみると、我が国における全出生数のうち母親の年齢が若年( 10 代)の割合は約 1.3%前後で推移注2)している一方で、心中以外の虐待死事例における「若年( 10 代)妊娠」の平均割合は 16.6%である。これらのことを鑑みれば、その高さは顕著である、とし、若年妊娠と望まない妊娠について警告を発している。(pp23) ついで多い特徴が、低体重児、帝王切開、そして喫煙の常習である。



また子どものもつ虐待のリスクとしては、「夜泣き」、「ミルクの飲みムラ」、「激しい泣き」および、身体疾患や発達の遅れといった問題が、保護者からみた養育困難度を助長する要因となっているようである。 その他、「指示に従わない」「無表情」などを上げている加害者もいる。激しいかんしゃくや言うことをきかない、反応がにぶいなどは発達障害の特徴でもあるので、早期発見と親への支援は大切な虐待の予防になる。



虐待死の起きた家庭環境としては、第3次報告から一貫して、実父母が一番多く、総数の45%ほどが実両親と子どもの家族構成である。ついで、未婚の一人親世帯が13.3%、そして離婚の一人親が11.2%、内縁関係が10.4%、再婚家庭が4.9%となっている。 内縁と再婚家庭をあわせると15%になり、家庭に血縁のない大人が存在する家庭はハイリスクともいえる。また虐待死を起こした家庭に祖父母が同居している割合は、11.8%で、祖父母との同居がかならずしも真の支援につながるとは限らない状況が示唆されている。



実父母の心理的・精神的問題をみると、第3次報告書から一貫して「養育能力の低さ」と「育児不安」の割合が高く、ついで「怒りのコントロール不全」、「衝動性」、「攻撃性」、「感情の起伏が激しい」、「高い依存性」、「DVを受けている」、「精神疾患」、「産後うつ」などが続く。 怒りのコントロール、攻撃性などは、加害男性に多く見られる資質かもしれないし、DVを受けている、産後うつなどというのは、女性の多くもつ問題であろう。(pp39)




次に虐待が発生しやすい社会経済的問題を見てみよう。



2013年度の児童虐待死世帯の住居の状態を見ると、一戸建てあるいは集合住宅の持ち家という家庭は、12.5%で、あとは賃貸あるいは公営住宅、他人の家に同居というものである。 



経済状態は、47%が生活保護受給及び市町村税非課税の世帯で、500万円以上の年収の世帯は、23.5%であった。



実父母の就業状態は、無職が実父で31.6%、実母で65.4%、実母のフルタイム就業3.8%、パート30%と、一般に比べて父親の無職率が高く、実母の無職率と就業状態の不安定が顕著である。(pp45)



家庭の地域社会との接触状況を、第3次報告から11次まで総合でみると、「ほとんどない」が42.6%、「乏しい」が28.2%と、実に70.8%の虐待死家庭が、地域から孤立している状況が見て取れる。(pp47)



ここから、貧しい住居状態、厳しい経済状態と、社会的な孤立が背景として浮き彫りになってくる。




関係機関の関与としては、死亡事件の発生以前に虐待通告があった例が、3次報告書から11次までの総合で、96件、20.3%、内訳は児童相談所が67件で14.2%、市町村が24件で5.1%であった。8割近い死亡事例で、子どもが亡くなる前に虐待の兆候が行政に把握できていなかったことになる。 また逆に言えば、2割の子どもは把握していたにもかかわらず、その命を救うことができなかったということである。



通告回数は、第11次報告の例で言えば、1回というのが7件、2回が3件、3回が1件、そして5回が1件である。 5回も虐待の通告(置き去り)があったにもかかわらず、子どもを救えなかったのはなぜか、しっかり検証する必要があろう。 通告理由として多いのは、「外傷」、「ネグレクトを疑わせる外見」、「子どもの姿が確認できない」などがあるが、「置き去り」というのも入っている。




死亡事例の発生した地域に設置された要保護児童対策地域協議会(要対協)の構成機関について、平成 25 年度に把握した心中以外の虐待死事例では、すべての地域で「児童相談所」が含まれており、「市町村担当課」と「福祉事務所」 は9割以上、「保健所」「医療機関」「保育所」「幼稚園」「小学校」「中学校」「児童委員」「警察」「教育委員会」は、 8割以上でそれぞれの要保護児童対策地域協議会の構成機関となっていた。


しかし、表をみると(pp84)、認可外保育施設(11.1%)、児童館(16.7%)、配偶者暴力支援センター(11.1%)、婦人保護施設(2.8%)など、まだまだ児童虐待に深い関係を持つ機関が要対協の構成機関に含まれていない地域が多いことがわかる。 特に配偶者暴力の陰には必ずといっていいほど児童虐待が潜んでいる。ぜひ要対協のメンバーに加えるべきである。また、裁判所(25%)や、民間団体(52.8%)も低すぎる数値といわざるを得ない。



11次報告では、死亡事件が起こった市町村の36件の要対協の代表者会議は、年間1回というところが28箇所(77%)で、進行管理会議は平均2.9時間で、平均102件の虐待事例を検討していたという。これでは、きめ細かい対応は無理であろう。ちなみに、各地の要対協が死亡情報を入手した先は、警察75%、報道41.7%だそうである。 



また、虐待死亡事例の行政機関による検証は、2013年度の36件中19件のみ、なんと半分ちかくが実施されていないそうであり、これは厚労省による「児童虐待防止法」の第4条5項(虐待を受けた児童がその心身に著しく重大な被害を受けた事例の分析を行うとともに、児童虐待防止等のために必要な事項についての調査研究及び検証の責務が規定されている)を遵守していないことになる。また、虐待死亡事例検証報告書を作っても、公開していない市町村もあるが、今後の虐待死亡事件の予防研究や分析のためにも、検証報告書は必ず作成し、一般に公開すべきである。



要対協の関与があったもの、なかったものの事例を見ると、関与があった場合でもその緊急性を把握していなかった場合が多く、また児童相談所や市町村の虐待担当が関与していなかった場合でも、医療機関や保健師が支援を行っていて、虐待の認識がなく死亡事件が起きたケースが多いことがわかる。訪問看護で支援が必要な場合など、要対協のリストにのせ、関係諸機関が連携して情報を共有するなどのシステムが必要なのではないか。また訪問看護士に、ある程度のリスクアセスメントの知識を持ってもらうなども検討の余地があるかもしれない。



また、生活保護や児童扶養手当支給の必要、児童の発達障害への支援、あるいは母親の精神障害や鬱病などに関わる医療機関など、リスクになりやすい要因の支援機関がバラバラにひとつの家族にかかわっていると、必要な情報の共有ができずにリスクアセスメントができない状態になる。すべての情報を集めた時に大きな絵が見えてくる場合があることから、支援に関する諸機関の連携をもっと強めるべきではないだろうか。その際、地域の子育てや家族支援のNPOなどを要対協のネットワークの中に組み込み、そこから得られる情報も共有することが、虐待防止に役に立つのではないか。




2000年、いわゆる児童虐待防止法ができてから、虐待に対する通報(通告)は大変な勢いで増え、児童相談所だけでも年間9万件近い通告がある。



通告をうければ児童相談所では職員を派遣して、48時間以内に対象となる児童を目視して安全確認し、その上で、実際に虐待事例か、あるいは虐待でないかを判断するのである。



虐待と判断された場合、事例(ケース)として対応することになる。家族との分離が必要で子どもを保護するか、あるいは在宅で支援をするかの判断がなされ、児童相談所の職員は、「ケース(事例)」として、受け持つことになるのである。



2013年度に虐待死が発生した児童相談所の職員の平均の担当事例数は、年間109件だったそうである。中には、150件、200件と受け持っている場合もあった。(pp109) これは世界のほかの先進国の虐待対応の組織と比べると、大変に多い数であり、日本の児童相談所の職員が、その仕事量の多さにバーンアウトしてやめていってしまう、ということもうなづけるのである。



これだけの数のケースを抱えていると、ひとつひとつのケースに納得の行くだけの時間をかけて対応することは不可能に近いだろう。また、他機関との連携などにかける時間もなくなるかもしれない。専門性を高めるための研修など、出かけている時間もないであろう。



彼らの1ヶ月の平均の訪問及び来所相談対応件数は、勤務時間内で31.5件、勤務時間外で13.8件であった。(pp111) 相談や、訪問に対応するだけでなく、その報告書を書いたり、会議をしたりするので、月に50件近い対応件数は、ほぼ限界に近いか、限界を超すのではないだろうか。



増え続ける虐待対応件数にみあっただけの職員の増員と、専門性を高めるための予算を中央政府も用意して地方自治体に補助費としてまわすことが、日本全国に均一な質の児童保護を徹底するための必要経費と考えられるのではないだろうか。


「死刑でいいです」という本を読んだ。



これは、共同通信の記者、池谷孝司(いけたにたかし)氏と同じく共同通信の真下周(ましもひろし)氏という二人の記者が書いたもので、少年事件や虐待、いじめや自殺の連載規格に取り組んでいる社会部のジャーナリストたちの告発である。


16歳で自分の母親を殺し、さらに大阪で27歳と19歳の二人の姉妹を刺殺して死刑判決を受けた山地悠紀夫の事件を詳細にするもので、山地がなぜそういう人生をたどったのか、なぜ冷血な殺人者になってしまったのかを分析しようとしたルポである。


「死刑でいいです」というのは、この殺人者、山地のセリフである。


2000年7月、16歳の山地は母親を殺害した。当時、17歳の少年による重大な事件が次々におこり、少年法改正の流れが強まった年だという。逮捕され、裁かれ、少年院に送られた山地。そのあと出所し、わずか2年後の2005年に、まったく見ず知らずの姉妹を殺害したのである。


母親殺害事件でも、大阪の姉妹刺殺事件でも、山地は反省の態度を見せなかったという。護送される警察の車の中で、山地は薄ら笑いを浮かべている。



この本によると、山地は少年院で他人に共感できにくいアスペルガー症候群と診断されたという。この診断が発表された時、私の記憶では、アスペルガーの親の会から、激しい抗議があったと覚えている。アスペルガーの子どもたちに対する偏見と差別を助長する、というのがその理由だった。


しかし、大阪での姉妹殺害後の診断では、「山地は人格障害であり、アスペルガー障害を含む広汎性発達障害には罹患していなかった」との診断がなされ、完全責任能力を認める判決が下された。弁護側は少年院時代の医師の診断などを根拠に「対人関係の構築が困難な発達障害の疑いがある」と主張していたが、裁判長は障害の罹患を否定し、「犯行当時も現在も知能は正常で、社会生活能力も保たれている」とした。今となっては、山地に発達障害があったかどうかは、判断の分かれるところである。 母殺しから9年、そして死刑確定から2年が経過した2009年7月28日、山地の死刑が執行された。享年25才であった。


2000年に豊川市で夫婦殺傷事件をおこした男子高校生(17歳)、そして2003年に長崎で4歳児をビルから落として殺害した12歳の少年、2008年に岡山の駅のホームで人を突き落として殺害した18歳の少年も同じくアスペルガー症候群を診断をされている。


が、アスペルガーをもつ人がすなわち犯罪を起こしやすいという理解をされると確かに困る。なぜなら、犯罪を起こす人々の大多数は、アスペルガー症候群ではないのである。 ただ山地の、自分のしたことが他人の命を奪い、その家族に多大な悲しみをもたらしたということに反省の態度をみせないというのは、共感性に乏しいといわれるアスペルガーのもつ特性と重ならなくもないのである。


しかし、ここで問題にされるべきはアスペルガー症候群自体ではなく、彼らがどういった家庭環境で育ったのかということなのである。 実際のところ、アスペルガーを持った子どもの大多数は、犯罪を犯さない。 特に、アスペルガーだと診断されて親もそれを認知し、きちんと療育を受けている子どもたちは、非行をしたり犯罪を犯すことはほとんどないのである。


こういう重大事件を起こし、あとからアスペルガーだと診断される子どもたちは、実は家庭で発達障害を把握していないことが多く、事件後の不可解な言動から医者が診断してアスペルガーではないか、というものがほとんどである。


つまり問題は、発達障害を持つ人々が、それと認識されないまま学校や社会で生活している中で、孤立感を高めたり、あるいは療育をうけないまま(社会性スキルを身につけないまま)生活して、それが原因でイジメにあったり排除されたりする経験を持つことが、事件につながるのではないかという部分なのである。


この本も、「発達障害と事件を結びつけることに慎重さを求める意見は根強い。診断名が報じられると同じ障害のある人や家族は不安になり「マスコミは偏見を広げる」と憤る。こうした声に配慮し、精神鑑定の結果を報じる際に「広汎性発達障害が直接事件につながることはないとされる」と注釈をつける記事が増えた。・・・・・はっきり書くと、障害が事件につながる「リスク要因」のひとつだと考える専門家は多い。私たちの見方を示すと、障害は孤立につながる要因だと考えている。発達障害の人は人間関係が苦手なため、差別や偏見を受け、相談相手もなく孤立することが少なくない。そのために追い込まれて事件を起こしたケースが目立つのではないか」(PP5-6)とこのルポは分析している。


実は、ホームレスの人々にも高い割合で発達障害を持つ人がいることが報告 されている。そして、この人々のほとんどは、自分に発達障害があることを把握していないそうである。 発達障害があることで職場でも孤立しやすく、ひとつの職場におちついていられず、非正規の職を転々とする場合も多いそうで、転職をくりかえしているうちにホームレスになってしまった、ということなのであろう。


この人々は、なぜ自分が学校や職場で受け入れられないか、なぜ自分が生きづらいのかを理解できないまま年齢を重ねて、鬱病などの精神疾患を併発している場合も多いという。自分が知らないのだから、もちろん学校や会社の同僚も、彼・彼女の発達障害を知らないだろう。ただただ、「社会性のないやつ、変なやつ」という目でみているのであろう。


そうであれば、発達障害の人を孤立させ、追い詰めている社会にも責任があるのではないか。また、発達障害を早期に発見し、きちんとした療育を社会福祉として提供しない国にも責任があるのではないか。



山地の場合、彼の発達障害の症状は、父親による暴力、つまり家庭内での虐待が大きく影響をしたのではないか、とこのルポは分析している。


家庭での虐待が発達障害を引き起こすということは最近の研究でだんだん認知されており、2007年にはあいち小児保健医療総合センターの診療科部長兼保険センター長である杉山登志郎医師によって、「子ども虐待という第四の発達障害」にも詳しく書かれている。


山地の場合、母親殺害の時の最初の診断の広汎性発達障害を、大阪での姉妹刺殺の裁判では否定し、「人格障害」と判断した。


「どちらの障害でも、山地が人に共感しづらかったことに変わりはない。彼の性格は、生まれつきの特性が、暴力的な父とその死、母子家庭の貧困生活、いじめなど過酷な生育歴でゆがんでできたのだろう。 山地の場合、広汎性発達障害と診断されながら何のフォローもなく孤立し、さらに追い詰められていったのはまちがいない。」とこのルポは分析する。(PP6)


山地は、取調べや公判で「死刑でいいです」と話したそうである。自分のしでかした重大な事件に対し反省の気持ちも、そして被害者に対し申し訳ないという気持ちも持たないが、自分は死刑にしてくれてかまわないという。 


判決確定から2年2ヶ月、事件発生から3年8ヶ月の異例の早さで、彼の死刑は執行された。25歳。



残忍な方法で、なんの落ち度もない二人の若い女性を殺害した山地に同情するつもりはない。 また、私は特に死刑制度に反対する者でもない。



しかしこういう事件を詳細に分析してみると、「防げたのではないか」という忸怩たる思いになることが多いのである。



山地の生育歴を見ると、彼の父親の家庭内での暴力は、母親と息子である彼に頻繁に向けられており、その父親を尊敬するような山地の態度も見て取れる。これは、虐待されている子どものもつ特徴のひとつで、暴力で支配されている子どもは、そのつらさと無力感を解決するために、暴力を振るう親に同一化しようとするというのだ。 成長して、母親と大阪の被害者の姉妹を暴力で支配しようとした山地の態度は、父親から学んだものだといっても良いだろう。殺害という究極の暴力によって、山地は人を支配したのである。その暴力の中には、自分を受け入れてくれない社会への怒りもあっただろう。



親は、子どもに暴力を振るう際に、「お前が悪いから殴られるのだ」と自分の暴力を正当化しつつ殴ることが多い。「自分は悪い子どもだからこんな目にあう」と思いながら育つ子どもには、自尊心は育たないだろう。自分を大切にしてくれない親に育てられた子どもは、他人を大切にすることも学ばないだろうし、他人の痛みに共感することも難しいのであろう。




「死刑でいいです」と言い放った山地は、自分自身も大切に思うことがなかったのであろう。共感性の乏しい、社会性の発達していない山地に対し、クラスメイトは排除することで対応した。不登校になった山地には、「所属する場所」がなくなってしまい、生きづらさを感じたに違いない。新聞配達や、パチンコのゴト師などの仕事をしたが、結局人間関係が原因で居心地が悪くなったようである。


「裏切られるのが怖くて友達ができない」と医師に語った山地は、基本的に人間に対する信頼感が育っていなかったのではないか。


母親と山地のあいだのコミュニケーションも十分ではなかった。「自分の好きな女性に、母親が勝手に無言電話をかけた」という理由で、山地は自分の母親を何度も殴りつけて撲殺している。母親は僕のことをわかってくれていない、という気持ちは山地には強かったようである。幼い頃から、母親と山地の間には、愛着関係が育っていなかったのではないか。殺してしまった母親に対して、山地は弁護士にも冷淡な言葉を吐いている。



また姉妹殺害も、ゴト師としての仕事やその仲間とうまくいかなくなり始めた時期に起こした事件である。仲間から受け入れられていないという気持ち。居場所がなくなってしまったという孤立感。人を信頼できない気質が、ますます問題を悪化させる。 逆境に対する、リジリエンスの低さ。 姉妹殺害の理由を聞かれて「人を殺したいという欲求があった」といった山地。姉妹は、山地の「自分を受け入れない社会」に対する怒りの矛先を向けられてしまったのではないか。



持って生まれた気質もあったかもしれない。 父親の暴力や虐待環境、貧困の中での意思疎通の乏しい母親との生活。 虐待やネグレクトによる発達障害と、それに対するフォローのなさ。学校での疎外感、仕事が続かない焦燥感と居場所のなさ。


すべてにおいて、社会的に孤立していく青年の姿が浮かんでくる。


幼少期に親との愛着関係、アタッチメントを形成できなかった人間は、リジリエンス(逆境への順応力、逆境からの回復力)が弱く、自己肯定間が低く、人を信頼しないという。


アタッチメントは虐待環境やネグレクト環境の家庭では育ちにくい。


そういう環境で育ったための、人に対する信頼感のなさ(人に裏切られそうで友達ができない、という彼の言葉)、父親に暴力を振るわれたことで持ってしまった自己評価の低さ、感情表現が乏しく意思疎通が難しかった母親(ネグレクトに近かったかも)との間に育たなかったアタッチメントなどから、幼少期には目立たなかった彼の共感力のなさ、社会性の低さ、そしてリジリエンスの低さが、学童期、青年期にかけて、人とうまくコミュニケーションをとれないという疎外感につながり、大きく軌道をそれていったのかもしれない。


それに気がつかず、あるいは貧困のためそれどころではなく、また、母子の社会的孤立(親類や友人もおらず)や不登校のせいで、彼の持つ問題に対しては誰もなんのフォローもしなかった。 



そのことこそが、この重大事件に結びついたのではないか。




「死刑でいいです」


このルポのサブタイトルは、「孤立が生んだ二つの殺人」である。



この青年は、もう幼い頃からこういう人生を歩んでしまうことが決定されていたかのような、そんな生育歴。



だれかがどこかで彼の苦痛、孤独、そして家族の持つ問題に気がつき、介入することができていれば、なんの罪もない二人の若い女性たちの命が奪われることはなかったのかもしれない。



こういう事件が起きた時、犯人の心理を詳細に探ることは、実は大変に大事なのである。犯罪心理学という分野は、「予防」のためにあるのだ。


どうすれば、どうしていたら、この犯罪を防ぐことができていたのか。



護送される時、薄笑いを浮かべる山地の表情には、重大事件を起こしてしまったという反省の色はかけらもみられなかった。


「死刑でいいです」と言い放った青年には、命を奪われてしまった二人の姉妹の気持ちを思いやる能力がなかったのかもしれない。その家族の悲痛な思いを理解する能力はなかったのであろう。



彼にとって、彼の命と同じぐらい姉妹の命は軽いものだったのかもしれない。



命の重さを、その大切さを知るには、自分の命を大切に思えることが前提だろう。 生まれたときから親に虐待され、無視され、この世の誰ともきちんとした信頼関係も愛着関係も築くことのできなかった人間には、他人の命の重みを知ることは不可能だろう。



死刑になって当然。 そう思う人間はたしかに存在する。


被害者感情を思えば、人の命を無残に奪う人間には、おのれが生き延びていく価値も資格もないかもしれない。 因果応報。そのとおりである。



しかし人を3人も殺しておいて反省もなく、淡々と「死刑でいいです・・・」と言い放つ青年がどうして育ってしまったのか、その原因を究明することは、犯人をあっというまに死刑にしてこの世から追放してしまうことよりも、実は重要なことなのではないだろうか。 今後このような不可解な事件が起きないようにするためにも・・・・。




参考資料:


「死刑でいいです -孤立がうんだ二つの殺人」 池谷孝司/編著 (新潮文庫、平成25年)


「子ども虐待という第四の発達障害」 杉山登志郎 (学研教育出版、2007年)


「子どもの虐待 - 子どもと家族への治療的アプローチ」 西澤哲、(誠信書房、1994年)


子どもの虐待とネグレクト、Vol.17 No.3 February 2016, 特集「レジリエンス再考」、一般社団法人 日本子ども虐待防止学会