{2曲とも作詞・作曲;平岡精二}なおシングル盤のジャケット写真は、「あいつ」(1962年再発売盤)のみです。「爪」は前回ブログの「ラ・ノビア」のB面だったため、ここでは略します。
1958年といえば日本でテレビ放送が始まってから5年が経っていますが、1960年代に人気となった音楽バラエティ番組「夢で逢いましょう」(NHK)や「シャボン玉ホリデー」(NTV系)は、まだ始まっていません。 それより前の「ザ・ヒットパレード」(フジテレビ系)では、バンドマスターのスマイリー小原が派手な身ぶりで指揮をして、カヴァーポッポス人気の原点となりましたが、それも1959年6月にスタートしたのですから、映画「三丁目の夕陽」の時代(1958年=昭和33年)には、若者向けのテレビの音楽番組は皆無だったようです。
せいぜい玉置宏の司会でお馴染み「ロッテ歌のアルバム」(TBS系)が、その1958年5月からスタートしたくらいでしょうか。 その時代に、ジャズ歌手の旗照夫が歌った「あいつ」(1958年の発売盤はSPでした。ジャケット写真は再録音された1962年のシングル盤)や、ペギー葉山が歌った「爪(つめ)」(1959年)といった大人を感じさせる”語るような歌唱”に子供時代のpopfreakは、密かにしびれていました。また当時は認識していませんでしたが、ボクはシャンソンに触れてからは、この曲を作詞・作曲した平岡精二というビブラフォン奏者は外国の人なのかと思ったりして、とても興味を持ちました。
その頃の歌謡曲は作詞家が書いた詞に作曲家がメロディを載せる典型的な形式の楽曲が主流で、ましてやシンガーソングライターなどが登場するのは1963年ごろですから、なんてお洒落な曲を作る人なんだろうと、ボクは平岡精二に一人胸をときめかしておりました(笑)。
平岡精二は、昭和6年東京麻布生まれ。生家は遡れば徳川家の家臣に辿り着く名家だそうで、ジャズ・シロフォン奏者でアメリカでも大活躍した平岡養一は叔父にあたります。その叔父にヴィブラフォンを習い、青山学院高等部に在学中から頭角を現し、レイモンド・コンデのグループなどに参加。同大学を卒業後は、自分のグループを結成して多くの楽器をこなし、またハイトーンヴォイスの歌唱も人気で、日本のチェット・ベイカーと呼ばれたそうです。
では、最初の曲は「あいつ」です。旗照夫が発売した最初のSP盤をYouTubeで手回し蓄音器で再生している映像を見つけました。ほとんどSPなどご存じないかたに、78回転(1分間)のStanndard Playingの再生の模様をご覧いただくのも一興かと思います。
なおこのSP盤が明治~大正~昭和35年くらいまでは、シングル曲のレコードとしては主流でした。調べてみると1958年がSPからシングル盤(塩化ビニールを原材料とする通称、ドーナツ盤)に移行する時期にあたり、この前後にはSP盤とドーナツ盤で同時に発売されている曲も多くありました(popfreakは、以前金沢蓄音器館にて「嵐を呼ぶ男/石原裕次郎」のSP盤を館内で試聴したことがありますので、この曲はSPと両方発売されていたことを知りました)。
次は、いかにも石原裕次郎が歌うのにふさわしい「あいつ」を歌う裕ちゃんのレコード音源です。
最後は、平岡精二とブルー・シャンデリアによる「あいつ」。聴くと女性ボーカルかと思う方もおられると思います。なにしろ平岡精二は日本のチェット・ベイカーですから、キーが高いのです。
次は「爪」の音源再生です。 ペギー葉山のレコードです。「ラ・ノビア」とカプリング(B面)されています。
大人の女性の魅力にあふれた沢たまきの「爪」。以前マイブログで取りあげました「ベッドで煙草を吸わないで」が彼女の代表曲だと思いますが、こちらは岩谷時子(作詞)といずみたく(作曲)のコンビによるものです。ちなみに、ペギー・リーの「Don't Smoke In Bed」(邦題:ベッドで煙草はよくないわ」)とは別曲です(笑)。
この「爪」も平岡精二とブルー・シャンデリアのCDが発売されていますが、YouTubeからのリンクはNGでしたので、「つめ・平岡精二と~」で検索をお願いします。
最後にペギー葉山が、メドレーで「つめ~あいつ~つめ」を歌ったバージョンがありました。この録音の伴奏を務めたのは秋満義孝クインテットで、後年ペギー葉山が秋満の伴奏を得て録音したバージョンだそうです。
2年ほど前に「平岡精二/ビクター・イヤーズ」なる2枚組CDが発売されました。喜び勇んで買って聴きながら、この才能溢れる音楽家の「時代を先取りする洒落た感覚」に改めてしびれているところです。 松尾和子にも楽曲を提供したトラックも数曲含まれていて、あまりの大人歌唱ぶりは夢のようです(笑、なおこの記事は、CDのライナーノーツを主に参考にしました)。