{作詞・作曲:ホアキン・プリエート、訳詞:あらかはひろし}
1960年代前半の日本でのヒット曲を探索していると、外国曲に日本語訳詞をつけて日本の歌手が歌ったヒット曲がたくさんあります。そのスタイルで一番身近なのは「カヴァーポップス」で、弘田三枝子、坂本九、伊東ゆかり、田辺靖男などが歌ったお馴染みのヒット曲が浮かんできます。
今日の1曲「ラ・ノビア」(最初のレコードには「泣きぬれて」という邦題がついていました)もその手法で発売されたシングル盤ではありますが、曲の出発点はアメリカではありません。曲を作ったホアキン・プリエートは南米チリの音楽家で、1958年頃に詞と曲を作り、3年後に彼の兄弟でアルゼンチンで音楽活動していたアントニオ・プリエートがレコード化してヒット。
それがヨーロッパに伝わり、カンツォーネ人気に乗せてイタリアのトニー・ダララが歌い、どうやらそれが日本でペギー葉山が日本語で歌うことになったようです。 ペギー葉山の最初の発売シングルのタイトルには、「泣きぬれて LA NOVIA」というタイトルの横に(泣いている花嫁)と副題までついています(冒頭のジャケット写真参照)。
♪白く輝く 花嫁衣裳に 心をかくした 美しいその姿
・・・・・
祭壇の前に立ち いつわりの愛を誓い・・・
と、心ならずも結婚する花嫁の複雑な心境が歌われています。
最初の歌唱は、1994年9月、ペギー葉山が出演した「ポピュラーソングフェスティバル」の歌唱映像です。安定した歌唱がステキですね。
ペギー葉山といえば、1958年に発売して翌年大ヒットした「南国土佐を後にして」が有名ですが、それを歌うことになった時に、自身はジャズ歌手を任じており、この曲を歌うことに抵抗があったそうです。
その数年後、この「ラ・ノビア」のヒットを経て、「あいつ」、「爪(つめ)」、「学生時代」など、時代の青春ソングを歌う人気歌手として活躍しました。2017年に亡くなっています。
次は、ペギー葉山への橋渡しとなったイタリアのトニー・ダララの「ラ・ノビア」です。彼は日本でもカンツォーネ歌手として「アル・ディラ」(アメリカ映画「恋愛専科」の主題歌でした)でもお馴染みですね。
ヨーロッパでは一方でこの曲はイギリスの歌手、ジュリー・ロジャーズが1964年に英語詞で「The Wedding(La Novia)」というタイトルで歌ってヒットさせたそうです。
最後は、創唱者(おそらく)のアントニオ・プリエート(作詞・作曲したホアキンの兄弟)による映像です。映像はこの歌の主人公である花嫁が主役ですが、果たしてこれはこの曲のために作られた映画の一部なのか、MV的なものかは不明ですが、最後にアントニオの近影が出て来るのでこの曲が人気となった時代を回想しているテレビ番組のようです。
「ラ・ノビア」。チリで生まれ、アルゼンチンで歌われたのが、ヨーロッパに渡ってカンツォーネとして人気となり、それが日本では、ペギー葉山、岸洋子など多くの歌手よってヒットしました。
英語版もイギリスでヒットしたそうですから、ポピュラー音楽の伝わり方、広がり方には興味が尽きません。