{作詞:北山修、作曲:加藤和彦、編曲:葵まさひこ} 

 

映画『トノバン~音楽家 加藤和彦とその時代』を見てきました。

 

60年代後半に、自分たちでザ・フォーク・クルセダーズを自主的に組み、自分たちの作詞・作曲の曲を中心に(世界の民謡や伝承歌も自由に歌って)活動できたケースは貴重な存在でした。

 

 いやいや、そんなことはないだろう、と異論を唱えるかたも多いと思いますが、当時爆発的な人気を誇っていたGS(グループサウンズ)は、数曲を除き、ほとんどのヒット曲は新進の作詞家・作曲家の作った楽曲ばかりだったのです。タイガース、テンプターズのヒット曲はもとより、あのムッシュがいたスパイダーズですら代表曲「夕陽が泣いている」は、ヒットメイカー浜口庫之助の作詞・作曲なのです、といえばお分かりいただけると思います。 

 

さてそのフォークルの話です。1967年にメンバーの中の一人が渡欧するので抜けるため、ザ・フォーク・クルセダーズは解散することになります。その記念にと自主制作盤(LP)を作ることになったのです(タイトルが『ハレンチ』)。 北山修はその制作費用とLP300枚分の製造経費を借金をしたため、なんとかレコードを売らねばならない。その宣伝のために、関西のラジオ局に持ち込んだ中で、神戸にあるラジオ関西が、「帰って来たヨッパライ」をオンエア。それが同局の電話リクエスト番組に飛び火して、リクエストが集中してパンク状態となったそうです。

 

そこでその噂をききつけた東京の音楽出版社の若いスタッフが大阪に飛んで、音源の権利取得の交渉を行ったところ、原盤の権利者から「交渉に来た人のなかで君が一番若いから、君の会社に権利を渡そう」の一言で契約が成立したそうです。 前置きが長くなりました。本題の「あの素晴しい愛をもう一度」は、ヨッパライブームが一段落して「悲しくてやりきれない」など名曲を世に送って高い評価を得ました。

 

さらに北山・加藤コンビには、他のアーティストへの作詞・作曲依頼が多く寄せられ「白い色は恋人の色」を歌ったハワイの二人組、ベッツィ&クリスも一躍人気者になりました。

 

 二人が作詞・作曲の依頼を受けたのが関西の女性デュオ、シモンズにための曲でした。それが締め切りまでに出来上がらず、シモンズは断念して他の作家の作った「恋人もいないのに」を発売してヒットしたのですが、締め切り後にできたのが、「あの素晴しい愛をもう一度」だったそうです。それが余りに素晴らしいできだったため、加藤=北山の二人で(フォークルは解散していた)歌ってシングル発売をすることになりました。 

 

♪命かけてと誓った日から 

すてきな思い出 残してきたのに 

あの時 同じ花を見て 

美しいと言った二人の ・・・・ 

何年たっても、何十年たっても、色あせない名曲だと思います。 

 

まずはオリジナル盤、レコード音源です。

 

 

次は、北山修、加藤和彦、坂崎幸之助によるNHKの番組収録のライブでしょうか。2005年ごろだと推測しています。

 

 

この曲は、多くの人たちと一緒に歌うのにピッタリですね。これは、山本潤子、南こうせつ、青木まり子、西岡たかしらの フォーク同窓会でのライブ映像です。

 

 

フォークの時代に北山修と加藤和彦が出合い、グループを結成。そして1年間という期限付きでフォークルは活動して、解散。 加藤和彦は、音楽家として日本の最新音楽を手掛けて活躍しましたが、2009年に自死。自分には居場所がないとの言葉を遺したそうです。 

 

北山修は、精神科医の道を歩みます。この映画にも登場しています。 はしだのりひこ(端田宣彦)は、シューベルツやクライマックスで「花嫁」など多くのヒットを放ちました。2017年に亡くなっています。 

 

最後の「あの素晴しい愛をもう一度」は、映画『トノバン』のエンディング用に新たに制作されたスタジオでのライヴ映像です。

 

 高野寛、坂崎幸之助、北山修、高田漣、坂本美雨、石川紅奈などによるスタジオでのセッションです。

 

 

加藤=北山の二人の出逢いが、新しい世代に共感を生む新しい音楽を作りました。

 

(本文は、フォークルのアルバム「ハレンチ」とフェスティバルホールでのライブ盤のライナーノーツ、その他出版物を参照しました。popfreak)