{作詞・作曲、服部良一、B面は「今宵は永遠に/鈴木芳枝(歌)」服部良一は編曲のみ} 

 

NHK朝の連続テレビ小説『ブギウギ』で、笠置シヅ子の(メジャー)デビュー曲として番組前半でのテーマ曲のように主演の趣里(笠置シヅ子役)によって何度も歌われているのが、「ラッパと娘」。朝ドラのテーマ曲「ハッピー☆ブギ」(歌/中納良恵(EGO-WRAPPIN’)、さかいゆう、趣里)を作詞・作曲した服部隆之の祖父にあたる服部良一(ドラマでは、 草彅剛 さん演じる 羽鳥善一 のモデル)が、作詞・作曲したナンバーです。 

 

物心ついたころから笠置シヅ子ファンだったpopfreakにとっても、「ラッパと娘」は戦後の大ヒット「東京ブギウギ」と並んで大好きな歌だったので、ドラマで「ラッパと娘」の楽譜を羽鳥先生から手渡された福来スズ子(趣里)がいつバンド付きで歌うのか、ワクワクしながら毎朝を楽しみしていました。 さてこの曲については巷間語られすぎていて、本アメブロで取り上げるのは気恥ずかしいのですが、あえてチャレンジしたいと思って年末大晦日にそっと取り上げてみようと調べていました。 記録によれば、笠置シヅ子は1939(昭和14)年7月13日~31日まで帝国劇場での松竹楽劇団のショウ『グリーン・シャドウ』公演で初歌唱したのが「ラッパと娘」(原題:TRUMPET AND GAL)でした。

 

音楽評論家、瀬川昌久によれば、以下のように高く評価されています。 「笠置シヅ子は、トランペットとかけ合いで「ラッパと娘」をうたう。SDGスイング・バンドの楽長である斉藤広義が丸高帽をかぶってマイクの前でトランペットを吹くところは、かつてパラマウント映画『芸術家とモデル』の中で、アームストロングとマサー・レイのかけ合いで評判になったシーンをまねたもので、服部良一は、とくにこのために「ラッパと娘」というホットな曲を作詞・作曲した。服部得意のスキャットをまじえて、笠置が「バドジズエジドダー・・」と斉藤ガンちゃんのトランペットをけしかける図は、日本ジャズ・ジョーの傑作であった。このショーの公演中、笠置シヅ子は日本コロムビア・レコードの専属となり、7月27日、コロムビアのスタジオで、入社第1回作品として、この「ラッパと娘」を吹き込んだのであった。」(「ジャズで踊って」より引用) 。

 

しかしこの曲には、謎がいくつかあります。まずは、発売日ですが、年を越して翌1940年(昭和15年)の1月新譜としてコロムビアの発売リストの25枚のレコードの一枚に上がっています。録音してから発売までの間が半年もかかっているのは、なにか特段の事情でもあったのでしょうか?さらにもう一つの謎は、冒頭に記したように、B面は別な歌手が歌う「今宵は永遠に」という曲で、こちらでは服部良一は編曲のみ、作詞は別人の名義となっています。どうやら外国曲かもしれませんが、詳細は不明です。

 

さらに調べると戦前のSP時代には、A面とB面の歌い手が違うケースは多々あったようで、「ラッパと娘」と同じ1月発売の他の新譜でも、渡辺はま子と藤山一郎、淡谷のり子と中野忠晴、なんてカプリングのレコードも多く、逆に両面とも同じ歌手が歌っているレコードは少数派だったようです。こうすれば、それぞれの歌手のファンがお目当ての歌手の新曲を買うので、1枚当たりのレコード売上が増えるという見込みだったのかもしれませんね。 

 

また不思議なのは、服部良一は、作詞した際には「村雨まさを」というペンネームを使うことが多かったのですが、本人の自筆楽譜には、「作詞:村雨まさお(まさを、ではない)作曲:服部良一」と書かれていいるにも関わらず、どの資料を見ても作詞者名は、「服部良一」。ついでにJASRACのデータベースにもそのように記されていました。これも謎です。 手書き譜面を見て面白いのは、スキャットがカタカナではなく、「BADODIDUEDIDODA」と大文字で記されていたことです(「昭和ブギウギ」142ページに掲載されています)。 前置きが長くなりましが、笠置シヅ子で「ラッパと娘」。これは映画『舞台は廻る』(1948年)中の歌唱シーンです。

 

 

それとレコード音源も上げておきます。

 

 

さて次は、さきほどご紹介した著書に書かれていた「パラマウント映画『芸術家とモデル』の中で、アームストロングとマサー・レイのかけ合いで評判になったシーン」がYouTubeで見つかりました。「パブリック・メロディNo.1」(バートン・レイン作曲)を歌い踊るシーンですから、このシーンに違いありません。

 

それにしても戦前から、映画でジャズが演奏させる場面には必ずといっていいほど登場するルイ・アームストロングは、世界の人気者だったようです。彼のアドリブは、ジャズのソロ演奏の模範となっただけに、ホットファイヴ時代からトッププレイヤーでした。

 

 

さて、マイブログ恒例のカヴァー映像をいくつか見つけました。「ラッパと娘」、最初は松浦亜弥、愛称・アヤヤが2007年にこの曲を歌っている動画です。最初は半分のテンポで歌う技巧など、難曲を歌いこなす技に感心します。  

 

80年代に京都を中心に活動して注目を集めたロックバンド、BO GUMBOS(ボガンボス)のヴォーカル&ギターのどんとが、東京スカパラダイスオーケストラと共演したスカヴァージョアン。多才なアーティストだっただけに、37歳での死は惜しまれます。  

 

連続テレビ小説でNHKが音楽番組で、服部良一作品を取り上げることが多くなりましたが、その中で驚いたのが、演歌歌手のイメージだった神野美伽が「ラッパと娘」をリズミカルに歌っていたことです。(動画は共有できませんので、URLを貼っておきます。)

 

 https://www.youtube.com/watch?v=yPnp7WjIZ-8

 

さて最後は、趣里の歌唱は、NHKのサイトに上がっているフルバージョン「ラッパと娘/福来スズ子」です。この難しい曲を見事に歌いこなしていて、とても感心している毎日です。(動画は共有できませんので、URLを貼っておきます。)

 

 https://www.youtube.com/watch?v=yPnp7WjIZ-8

 

まさかドラマでボクが尊敬してやまない服部良一にまつわる物語が毎日展開され、しかも笠置シヅ子の「ラッパと娘」が何度も朝から流れる日が来るなんて、想いもよらぬハッピー気分にズキズキワクワクなpopfreakです。 

 

【補足】 トランペットをフューチャーした服部良一楽曲には、「私のトランペット」という秀作があります。時代的には「ラッパと娘」より2年ほど前に作られた曲で、歌ったのは淡谷のり子。朝ドラでは、福来スズ子をこき下ろす恐い先輩歌手として描かれていますが、実際に武勇伝も多く、特に軍部の規制に正面から反発した逸話がいくつも残されています。 今日の補足曲として、「私のトランペット/淡谷のり子」をご紹介したいと思います。

 

なおレコードでのトランペットは、戦前からもトッププレイヤーであった南里文雄です。これは、昭和12年7月の録音のために大連で公演していた南里を、わざわざ服部良一がよび戻したと服部良一CD3枚組の解説に書かれていました。もちろん服部良一・作詞・作編曲です。(レコード発売は、昭和12年11月、カプリング曲は中野忠晴のグループで、淡谷のり子ではありません)