ついにpopfreakが辿り着いたスタンダード曲の古典中の古典、「マイ・メランコリー・ベイビー」が、今日のお題です。 

 

1912年にジョージ・ノートンとメイベル・ワトソンが作詞し、アーニー・バーネットが作曲したスウィートなナンバー。この冒頭のメロディを聴くと、だれしもとろけそうになるに違いありません。 

 

1912年とは、日本の元号でいうと明治45年ですが、大正元年でもあります。さすがに発表されたのが、同年の7月30日以前(明治45年)か、それ以降かなんて、どーでもいいような話ですが、今から120年前にかの国ではこんな大甘なラブソングが愛好され、多くのアーティスト、楽団が歌唱、演奏していたことを思うと嬉しくなりますね。 

 

さすがに多くの録音や演奏がありますので、1回目としては男性シンガー編です。最初に登場するのは、1934年(昭和でいうと9年)収録の動画がいかにも古典を思わせる直立不動(東海林太郎を連想しますね)の歌唱のアル・ボウリー、イギリスの歌手兼バンドリーダーとして、30年代に大活躍した人。記録には、トミー・ライマンという歌手でヒットしたとありますが、残念ながらYouTubeには上がっていませんでした。 アル・ボウリー「マイ・メランコリー・ベイビー」1934年の映像です。

 

 

 

お次は、ボクの大好きなビング・クロスビーです。主演映画『Birth Of The Blues』(1941年)の劇中で子供を抱いて「マイ・メランコリー・ベイビー」を歌っていますが、この甘い歌声で囁かれたら、目が覚めても寝たふりしたまま聴きほれますよね。

 

 

 

さて、フランク・シナトラは、コロムビア時代にこの曲を録音しています。 1948年に発売されたレコードですが、このソロ歌手時代、ボビーソクサー(女学生)を熱狂させたと言われますが、ストリングスの大甘サウンドにシナトラがまた甘く歌っています。ちょっと糖分過剰(笑)なヴァージョンです。この後でキャピトルに移籍して、スウィンギーなシナトラの世界が広がりますが、その少し前です。でも上手いですね。唸ってしまいます。

 

 

 

いつも子分扱いしてしまうのですが、ディーン・マーティンの歌唱も素晴らしいですよね。ここではメドレー2曲目(3:00~)に歌っています(1曲目は「スロウ・ボート・トゥ・チャイナ」です)。時は1964年のライヴ映像は、バックの女性コーラスに囲まれてご満悦な様子のディーノです。

 

   

 

1977年の初公演を思い出すペリー・コモは、どうしてこんなに甘く歌えるのかが不思議でなりません。下を向いているのに、声がマイクに響いてくるのがね。これは1962年のTV番組録画で、ヴァース風な構成で歌っています。 ペリー・コモで「マイ・メランコリー・ベイビー」

 

 

 

そうなのです。男性編のしめくくりは、21世紀を代表するマイケル・ブーブレ です。アルバム『To Be Loved』に収録されていますが、動画ではないのが残念です。男性編のラストは、ブーブレさんの「マイ・メランコリー・ベイビー」です。

 

 

 

ビング・クロスビー⇒フランク・シナトラ⇒ディーン・マーティン⇒ペリー・コモ⇒マイケル・ブーブレ。男性シンガーの王道的な系譜をたどると出て来る「マイ・メランコリー・ベイビー」。

 

アメリカン・スタンダードの代表曲だと思います。 

 

ちなみに明治45年ごろのわが国のレコード界で超のつく人気者は、吉田奈良丸と桃中軒雲右衛門の浪花節語りでしたね。明治は遠くなりにけり。 

 

次回は、ジュディ・ガーランドを始め、キラ星の如き女性編です。