「ムーン・リヴァー」を作詞したジョニー・マーサーと、「虹の彼方に」を作曲したハロルド・アーレンのゴールデンコンビが作った1943年のナンバー。 元は、フレッド・アステアの主演映画『'The Sky's the Limit(邦題:青空に踊る)』(1943年)のために書かれました。映画の中でアステアがジョーン・レスリーとこの歌を一部デュエットするシーンです。
同じ年に、人気楽団だったグレン・グレイとカサロマ楽団(歌:ユージェニー・ベアード)のレコードもヒットしたそうです。これがアメリカでヒットしたのが、1944年(昭和19年)。もうこの年には鬼畜米英とか言ってる余裕もなかったのでは?一方アメリカでは、こんなスウィートな歌が流行っていたのですから、なんども大本営発表で騙され続けた日本国民の悲痛さを思います。
ボクがこの曲を実質的に知ったのは、サミー・デヴィスJr.とカウント・ベイシー楽団のアルバムを買ってから(冒頭のジャケ写)です。「My」を「Our」にタイトルを変えて、アルバムのネーミングに使ったセンスに脱帽です。動画が見つかりましたが、実際の録音時期(1965年Verve)とはズレているようですが、パワフルでスウィンギーな歌唱と演奏に興奮します。オリジナル盤のアレンジと指揮は、クインシー・ジョーンズです。
ボクの大好きなジューン・クリスティが、かつて在籍したスタン・ケントン楽団をバックに「マイ・シャイニング・アワー」を歌っている1965年のライブ映像がありました。最高にステキ。
あまり知られていないサラ・ガザレクの「マイ・シャイニング・アワー」です。1982年、シアトル生まれで、2005年のデビューアルバムに収録されています。とても好感が持てる歌唱は、そのCD音源です。
さてアレサ・フランクリンが、1980年に「Roygl Variety Performance」とタイトルされたコンサートで、「マイ・シャイニング・アワー」を熱唱しています。さすがのパワーにたじたじ。
最後は、昔からのお気に入り。フォア・フレッシュメンのアルバムにこの曲をトロンボーンをメインにフューチャーしてコーラスしています。もはや、フォー・フレッシュメンとか、ハイローズとか、知る人ぞなし、かも知れません。
かのコルトレーンもカヴァーしたこの曲も、知る人少なしかもしれませんね。
道理で、ボクの取り上げる曲も時代遅れとなり、popfreakの看板に偽りあり。「old-music-freak」とブログの看板を書き換えないといけないかなと、苦笑の8月。
この時期は、京都の市街地の町内会それぞれでは、地蔵盆の季節です。