【おわび】(昨日記事に上げました「ドント・エクスプレイン」(言い訳しないで)は、6年余り前にすでに記事にしていたことに気付かず、映画『Lady Day at EMERSON'S BAR & GRILL』で聴いた同曲の余りの衝撃に突き動かされて重複掲載してしまいました。もちろん両方の記事は残しておきますが、初回掲載の時にコメントをいただいた方やイイネをいただいた方には、誠に申し訳ありません。そこで今回の映画を見終わった後でもう2曲、深く印象に残ったビリー・ホリデイの持ち歌のうちの1曲、「月光のいたずら」(原題:What a Little Moonlight can do)を、おわびとしてマイブログにて取り上げることにいたしました。ご了解ください。popfreakより謹んで)

 

 この曲は、ボクの持っている彼女のLPの中の1枚『ladylove』(United Artistsレーベル)(写真右側犬を抱いた写真)に収録されており、このアルバムの解説でジャズ評論家の油井正一は、「この歌は、もしホリデイが名唱を残さなかったら、誰にも知られずに消えた歌だと思う」と書いています。 

 

またビリーは、1934年にハリー・ウッズが作詞作曲したこの曲がよほど気に入ったのか、①1935年7月(テディ・ウィルソン・コンボと)、②1954年4月にヴァーヴレコードに、③1956年11月10日のNYカーネギーホールでのライブ、④1957年7月6日ニューポート・ジャズ・フェスティヴァルで(ヴァーヴ)と計4回録音しています。

 

UA盤のアルバムは、1954年の冬に最初にして最後のヨーロッパツアーを行った時の貴重なテープ録音をレコードにしたもので、この4つのテイクには入っていません。久しぶりにLPを引っ張り出して聴きましたが、再生音はお世辞にもいいとは言えない代物でしたが・・。 

 

まずは貴重なビリー・ホリデイ自身が歌っている動画で「月光のいたずら」。これは1958年のライヴ動画ですが、ビリーの最後のピアノ伴奏者といわれたマル・ウォルドロン(p)が弾いています。亡くなる前年ですが、歌う前に最初に咳き込んで決して体調がいいとは言えない状態のようです。でも歌いだしたら、LADY DAYの本領発揮です。

 

 

 

なお最後の伴奏ピアニスト、マル・ウォルドロンは1957年4月からビリーが44歳で亡くなる1959年7月までの2年余り彼女のバックを務め、自ら作曲した「レフト・アローン」を彼女の死後、追悼の意を込めて録音(ゲストにジャッキー・マクリーン<as>が参加)し、その他の曲も収録して(最後はマルがレコードプロデューサーのインタビューに答えた追悼メッセージまで録音されています)、ベツレヘムレコードから発売したアルバムが『レフト・アローン』(冒頭の左の写真)です。

 

このアルバムは日本ではとても売れたようですが、「レフト・アローン」には歌詞もついていて、ビリー自身が歌ったこともあるそうです。 この頃、ペギー・リーも「月光のいたずら」を録音していました。1958年のキャピトル盤ですが、このヴァージョンを聴くとシンプルなこの曲を歌いこなすのはとても技量がいるのだということに気付きます。淡々とスウィングするのがツボでしょうか。

 

 

 

次は、大御所カーメン・マクレーの1986年のライヴステージ映像です。この投稿者のクレジットにありましたが、レザーディスクになっているものだそうです。

 

 

 

若き日のナンシー・ウィルソンが、1969年11月にあの「エド・サリヴァンショウ」に出演したときの、軽快極まる「月光のいたずら」の歌唱です。

 

 

 

ダイアナ・ロスは、映画『ビリー・ホリデイ物語』(1972年制作)に主演したことは知られています。サントラ盤ではこの曲はライヴ録音ヴァージョンが収録されていますが、どうもライヴのノイズが気になったのためダイアナ・ロスの別のライヴ盤(1993年 パーロフォン(イギリス))収録の「月光のいたずら」にしました。もちろんレコード音源です。

 

 

 

ヴォーカルの魔術師とでもいうべきカサンドラ・ウィルソンも、この曲の料理の仕方にてこずっているようです。場所と年度は不明ですが、ジャズクラブでのライヴ映像で「月光のいたずら」です。

 

 

 

驚いたのは、ポップシンガーのクリスタル・ゲイルが、1980年に録音していたのです。これはもちろんレコード音源ですが、この曲は、本来このように歌うべしというお手本かもしれません。軽快なビートが基本でしょうね。 それに間奏のクラリネットが「月光のいたずら」のビリー・ホリデイによるオリジナル盤を思い出させてくれました。

 

 

 

冒頭にご紹介したビリー・ホリデイの「この名唱」があったからこそ、「月光のいたずら」は歌い継がれることになったと、ジャズ評論家が指摘した1935年の録音盤を最後にアップします。 

 

伴奏は、テディ・ウィルソンのピアノと、ベニー・グッドマンの1番のクラリネットソロの見事な味わいがあったからこそ、2番を歌うビリー・ホリデイの歌唱(1:00~)がこの曲を世に伝える説得力を持ったということなのでしょう。20歳の瑞々しいビリーの歌声です。

 

 

 

ビリー・ホリデイは、「奇妙な果実」はじめ多くの歴史的な録音を多く残した伝説の歌手です。その辛かったであろう彼女の半生に憑依したかのように語り歌うオードラ・マクドナルドの全身全霊をかけたパフォーマンスに、ボクは深い感銘をうけたためか、いつもよりテンションの上がったpopfreakブログとなりました。

 

でもボク自身も、映画『Lady Day at EMERSON'S BAR & GRILL』(邦題;ビリー・ホリデイ物語)をお薦めしたほうがいいのかどうかを図りかねております。 

 

そうこうするうちに、ビリー・ホリデイの生誕100周年(1915年生まれなので2015年)は優に過ぎてしまいました。