(ZAZのアルバムに収録された「オー、シャンゼリゼ」の歌詞カード) 

 

新春初投稿は、パリの大通りを世界に広めたこの曲でスタートです。この曲は、georgesandさんから年末にリクエストいただきました。 

 

原題は、「Les Champs-Elysees」。シャンゼリゼ通りを歌ったこの曲を最初にフランス語で歌ってヒットさせた人は、ジョー・ダッサン。時に1969年のことです。 ジョー・ダッサンのテレビ出演時の動画がYouTubeに上がっています。

 

 

 

このジョー・ダッサンは、映画監督で『日曜はダメよ』などで世界的に知られるジュール・ダッシンの息子です。生まれたのはニューヨークで、父親ジュールはロシア人夫妻の子で、 母はジュールがアメリカで知り合ったハンガリー系の音楽家との間にできた子供ですから、ジョー・ダッサンにはフランスの地縁・血縁は無いと知りました。これが最初のビックリ。 しかもジョーは、両親の離婚後は母とともにヨーロッパを転々とし、学校を11も渡り歩いたそうです。その後フランスへ入って映画出演などを経験した後、フランスのCBSレコードと契約して2年後にようやく「オー、シャンゼリゼ」の大ヒットに恵まれました。

 

しかし悲運なことに、彼は1980年に休養先のタヒチで心臓発作を起こして急死してしまいます。41歳の短い人生でした。 

 

この曲の2つめのビックリは、「オー、シャンゼリゼ」がイギリス生まれの曲だということです。 原題は、「ウオータールー・ロード(Waterloo Road)」というタイトルで、作詞・作曲はマイク・ウィルシュ(Mike Wilsh)とマイク・ディーギャン(Mike Deighan)のイギリス人たち。 1968年にジェイソン・クレストというイギリスのロックバンドがレコードとして発売しました。 これがジェイソン・クレストのオリジナルヴァージョン「Waterloo Road」です。声に出して歌えますね、「♪オー、シャンゼリーゼ」とね。

 

 

 

この曲を聴いたフランス音楽界の重鎮で、ヒット曲の作詞を多く手掛けていたピエール・ドラノエがヒットを予感したのか、タイトルと歌詞にあるロンドンの有名な通りウオータール通りを、パリのシャンゼリゼ通りに置き代えたということです。

 

これまたビックリの第3弾。 1つのヴァージョンのヒットだけでは終わらないところが、この曲の生命力なのでしょう。 ちょうどそのころ、フランスを代表するレコード会社、バークレイ所属のシャルル・アズナブールに見いだされたダニエル・ビダルがバークレイと専属契約を結んでレコードデビューを飾ります。 

 

彼女のデビュー曲の「天使のらくがき」がどういうわけか、日本でヒットします。小柄でチャーミングなところが第二のフランス・ギャルとイメージされたのでしょうか。本人のNHKインタビューによれば、その当時のバークレイが日本発売元のキングレコードとアーティストの相互交流をすることで企画が進み、ビダルに日本語で歌わせることによって日本でもヒットを連発します。 なかでも1971年に発売された「オー、シャンゼリザ」はフランスでもヒットし、日本ではフランス語ヴァージョン発売から2か月遅れで発売された日本語盤は、彼女の日本での人気を決定づけることになりました。 これはダニエル・ビダルのレコードヴァージョン(フランス語)です。歌詞がスクロールしますので、フランス語をお読みになれる方はぜひ歌って楽しんでいただきたいですね。

 

 

 

さてこの英国製フレンチポップが、そこで終わらないのもこの曲の生命力といえるでしょうか。 2010年代にフランスで大人気歌手となった若手シンガーZAZ(ザズー)が、2015年のアルバム『パリ』でカヴァーしているのです。しかもこの曲のプロデューサーは、かのクインシー・ジョーンズ(冒頭の歌詞カード参照)。 

 

このミュージックビデオも、18世紀にできたヴェルサイユの劇場を借りて撮影した本格的な作品です。これで21世紀のZAZファンは、「オー、シャンゼリゼ」はフランス産のフレンチポップスと信じて疑わない事態となったのでは、とpopfreakは推測しています。 マイケル・ジャクソンをプロデュースしたクインシーが、われらがパリジャン?、ZAZのシャンソンアルバムにヒットのお墨付きを与えたとね。でもZAZはパリ生まれではなく、フランス中部のサントル地域圏トゥールの生まれ育ちなのですがね。 2015年のアルバム『Paris』収録、ZAZの「オー、シャンゼリゼ」の豪華MVです。

 

 

 

時代は戻って日本でのカヴァーです。シャンソン好きな日本でも、われらがコーチャンこと越路吹雪がマネージャー兼務だった岩谷時子の訳詞で歌っています。

 

 

 

また佐良直美にいたっては、1972年の紅白歌合戦で、北村英治とディキシーランドオールスターズをバックに歌っています。シンプルなテンポ、明るいメロディ、それに誰でも憧れるパリの街を夢見ていた時代ですよね。なお訳詞は片桐和子によるものです。

 

 

 

もう1ヴァージョン。布施明、涼風真世、因幡晃が宮川 泰・編曲指揮によるテレビ番組で歌っています(訳詞は安井かずみ)。「夢見るシャンソン人形」(演奏み)とのメドレーです。

 

 

 

最後にもう一度、ダニエル・ビダルが何十年か後に、テレビ番組のゲストで歌っています。日本語とフランス語のミックス。正確な収録時期は分かりませんが、後ろに並んでいる人たちを見ると、あの人は今・・昭和は遠くなりにけりを実感します。

 

 

 

1つの曲が生まれ、他国の歌詞に歌い替えられて連綿とヒットが続く代表的なナンバー「オー、シャンゼリゼ」。

 

ちょっと状況は違いますが、「マイ・ウェイ」の英語盤がフランク・シナトラに よって世界の大ヒットにつながったクロード・フランソワの「コム・ダビチュード」を思い出させてくれます。この物語が映画化された『最後のマイ・ウェイ』もいい映画でした。 ご興味があるかたは、以下のリンクでお読みください。

 

(音源再生ができないものもあると思いますが) 

2008年に最初に記事にした回: 

https://ameblo.jp/popfreak/entry-10117612025.html 

2011年に記事にした2本目: 

https://ameblo.jp/popfreak/entry-11074331478.html?frm=theme