1959年2月3日、若き3人のアーティストを乗せた小型飛行機が墜落してパイロットを含む4人が即死しました。

 

後に“音楽が死んだ日”とドン・マクリーンが「アメリカン・パイ」で歌ったこの事故では、当時「ペギー・スー」がヒット中のバディ・ホリーや 弱冠17歳のリッチー・ヴァレンスが犠牲になったことで知られています。リッチー・ヴァレンスのほうは、事故直前の1月には「オー・ドナ」が全米第2位にランキングされたばかりでしたが、後に彼の代表曲となる「ラ・バンバ」はそのシングル盤のB面曲だったのです。

 

 ボクの手持ち資料「ビルボードNo.1ヒッツ」によると1959年1月19日付けの第1位はプラターズの「煙が目にしみる」で、「オー・ドナ」は4位でした。その最中に事故で亡くなったリッチー・ヴァレンスを偲んで、ラジオDJたちが数少ない音源の中からB面もかけたのではないかと言われています。 

 

さてその「ラ・バンバ」は、メキシコのベラクルス地方で300年以上も前から歌われ続けてきた伝承歌です。それをたまたま1941年にロスアンジェルス近郊のバコイマに生まれた若きチカーノ(メキシコ系アメリカ人)リッチー・ヴァレンスが歌ったことも奇跡のようなものですね。 オリジナル盤、リッチー・ヴァレンスのレコードです。静止画です。 そのリッチーの伝記的映画が制作されたのが、1987年。音楽と出演は、チカーノ・ロックバンドのロス・ロボスで、彼らのヴァージョンが全米ナンバー1を獲得しました。ロス・ロボスの公式MVです。 おそらくこの曲の一番古い録音(と思われる)が、1939年のエル・ジャロチョ(Alvaro Hernandez Ortiz)でしょう。結婚式のダンス音楽として録音されています。 他にもラテン・ポップスバンドのジプシー・キングスも歌っています。 「天使のハンマー」でお馴染みのトリニ・ロペスが、TVスタジオでのライヴ演奏で「ラ・バンバ」を歌っています。 最後は、われらがドラゴン・アッシュの「ラ・バンバ」。ヒップホップとチカーノロックの融合です。降谷建志、カッコいいですね。

 

このMVの作りが凝っていて、まるで1980年代の大ヒット、AHAの「テイク・オン・ミー」みたいな実写と線描が交差する不思議な技法です。(なんて言ったらおこられそうかな) ご参考までに、興味のあるかたは当時センセーションを巻き起こした「テイク・オン・ミー/AHA」のMVご覧ください。  

 

リッチー・ヴァレンスが残した「ラ・バンバ」を日本に伝えた歌手がいます。1961年に来日したハリー・ベラフォンテです。

 

この方は♪デーオ、デーーーオ、でお馴染みですが、世界にカリプソを広めた功績はつとに有名ですが、 日本公演で「ラ・バンバ」を歌ったそうです。来日公演を観た作家の故三島由紀夫は“「バナナ・ボート」や楽しい「ラ・バンバ」をことに愛する”と紙上で絶賛したそうですから。

 

その三島由紀夫も今年で死後50年。 2年前の「TPP11」による政府の無茶な国際的な包括合意によって著作権の存続期間が70年になっていなければ、来年は青空文庫で氏のすべての著作に接するチャンスだったのに、と思うと残念でなりません。