「小さな靴屋さん」がフランス産なら、同じ頃(昭和10年ごろ)に日本語訳詩で人気を博したのがドイツ生まれの「小さな喫茶店」。

 

♪小さな喫茶店に入った時も二人は
お茶とお菓子を前にして ひと言もしゃべらぬ
そこでラジオはあまい歌を やさしくうたってたが
二人はただだまって むきあっていたっけね
(原訳詩通り)

 

こんな情景は今でこそ考えられません(笑)が、当時のうぶなカップルの姿が微笑ましくてステキです。


原曲はコンチネンタル・タンゴで、作られたのは1928年。作曲はフレッド・レイモンド。昭和では3年、日本では藤原義江の人気が沸騰していた時代にあたります。

 

最初に歌ったのは東京音楽学校出身の河原喜久恵で、なんと原語のドイツ語で放送されたとのことです。その後NHKの音楽課員だった青木正がペンネーム「瀬沼喜久雄」として発表したのがこの訳詩です。

 

昭和10年にこの歌を中野忠晴がコロムビアで発売して、ポピュラー音楽ファンを中心に大いに受けたそうです。ちなみに中野忠晴はこの後も「コロムビア・ナカノ・リズム・ボーイズ」のメイン・ヴォーカリストとして活躍、「山寺の和尚さん」(1939年、服部良一作曲・編曲)もヒットさせた人です。

 

中野忠晴の「小さな喫茶店」

 

 


テレビの音楽番組で活躍していたザ・ピーナッツが録音したのは、1970年だそうで少し後になってからですね。

 

 


テレビ出演時の菅原洋一と梓みちよのデュエットもいいですねぇ。タンゴ歌手、菅原洋一の面目躍如というところでしょうか。

 

 


この曲が生み出されたドイツの映像が無いかと探したところ、こんなデュエットのテレビ出演映像が出てきました。“Duo Thomasius”がどんなアーティストかは分かりませんが、「小さな喫茶店」がドイツ生まれの曲だと納得する映像です。

 

 


最後は、コンチネンタル・タンゴで人気者だったアルフレッド・ハウゼ楽団の演奏です。

 

 


今でこそ、アルゼンチン・タンゴとコンチネンタル・タンゴの違いなどを語る人はいませんが、前者は港町ブエノスアイレスで生まれた(生粋の)タンゴを指し、後者は1925年にアルゼンチン・タンゴの代表楽団、フランシスコ・カナロ楽団がヨーロッパに楽旅してタンゴ人気を各国で広めた影響から、ヨーロッパ各地、特にドイツでストリングスを中心にした編成のオーケストラがタンゴ・レパートリーを取り上げた一連の演奏ものを指します。

 

フランスでのカナロ楽団のインパクトがよほど強かったのか、帰国後「パリのカナロ」という曲が生まれたくらいです。

 

そのハウゼ楽団は、ドイツを代表するコンチネンタル・タンゴ楽団として、日本でもレコードが多く発売されて絶大な人気があったことは今や知る人ぞなき時代となってしまいました。