2015年刊の自伝数えてみると、ボクがこのブログを始めてから7年半の月日が流れました。光陰矢の如し。
最初にトライしたのは、二人の音楽家や俳優を取り上げて相関性を解き明かしてゆく「しりとり形式」でした。今思うと、大胆でした(^_^;)。案の定、その形式を続けるのが余りに煩雑で半年で断念しましたが、その頃取り上げた楽曲の中にはもう一度きちんと紹介したい曲がいくつかあります。
この「シェルブールの雨傘」もその一つ。1964年公開のオリジナル・ミュージカル映画として世界にフランスの音楽映画の創造性をアピールした楽しく哀しい物語のテーマ音楽です。
まずは映画から。いつくかの場面をつないだ動画に流れるのは、ミシェル・ルグランが作編曲を手掛け、作詞はこの映画の監督ジャック・ドゥミが書いたナンバーです。
再度この曲を取り上げようと思ったきっかけは、昨年ミシェル・ルグランの自伝が刊行されたためです。(上の写真)
この映画の驚くべき試みは、全編が音楽によって物語が展開することです。オペラ的とでもいいましょうか。
ルグラン自身も「全編プレイバックつきで撮影することになっていた。そのためにクランク・インの前に90分のオーケストラと歌手による音楽の録音費用を出してくれる音楽出版社を見つけなければならなかった」と苦労を語っています。
そして苦労して完成したエリゼ宮での試写会で、「私たちの前に一列に並んだレジオントヌール勲章をつけた二重あごの大臣たちは、なんの遠慮もせずに冷笑したのだ。ジャック(ドゥミ)とカトリーヌ(ドヌーヴ)と私は半旗をかかげて大統領宮をあとにした。
それにメインの配給会社フォックスによるポスター展開もごくわずかで、五日間に数本のアドピラー(柱巻広告)に貼られただけだったが、初日の水曜日、映画館は満席になった。ジャックと私は、ジャンゼリゼの映画館ル・ピュプリシスの前にできた長い行列を眺めて喜びにひたった」とあります。
最初に企画段階で売り込んだプロデューサーからは「登場人物が平凡な日常生活を一時間半歌いつづける映画を、観客はぜったいに観たがらないだろうね」といわれたそうですから、革命的作品というものは既成概念にとらわれたエスタブリッシュメントからは常に無視されることの証左でしょうか。
「つむじ風のなかで、音楽も取り残されてはいなかった。音楽を最初にカヴァーしたアーティストはナナ・ムスクーリで、彼女は映画からの二曲を数か国語で歌った。これは、大西洋の向こう側で私たちを待っていた成功の先がけとなる」(同・自伝より)
ナナ・ムスクーリが英語で歌うヴァージョンです。英語詞はノーマン・ギンベル。英語題は「アイ・ウィル・ウェイト・フォー・ユー」。英語詞が英語圏での曲のヒットと映画のヒットに貢献します。
この映像ではミシェル・ルグラン自身がピアノも弾いています。
その後アンディ・ウィリアムズ、トニー・ベネット、アストラッド・ジルベルトなどにカヴァーされた中の一人ライザ・ミネリの映像です。1972年ステージで画質が悪いのですが、サビからの説得力は抜群です。
ライザ・ミネリ
次はアンディ・ウィリアムズです。軽快テンポに乗せて自身が歌う『アンディ・ウィリアムズ・ショウ』(1970)より。
フランク・シナトラもカヴァーしています。ルーズな4ビートが持ち味ですね。粋ですね。
最後は、ミシェル&クリスティーヌ・ルグラン姉弟によるフランス語デュエットです。
ちなみにクリスティーヌは、アカペラコーラスのスウィングル・シンガーズのメンバーとしてお馴染みです。もちろん映画『シェルブールの雨傘』でもエムリ婦人の吹き替えを歌で担当しました。
なお、カトリーヌの吹き替えはダニエル・リカーリ、ニーノ・カステルヌオーヴォにはホセ・バルテルです。
最後にトリヴィア話を。
「ミキシングの際の自由を確保するために、これは絶対に4トラックで録音しなければならなかった。しかし、フランスのスタジオには設備がないから不可能だという答が返ってくる。」「私はクインシー・ジョーンズにS.O.S.を発信した。
わずか五日後、私たちのもとにアメリカからピカピカの真新しいステューダー製テープレコーダーが到着した。したがって『雨傘』はパリで行われた最初の4トラック録音となった」そうです。
このころから、クインシーはオーガナイザーとして頼りになる存在だったのですね。4チャンネル録音機がEMIスタジオに導入されてビートルズが始めて使用したのは1964年のアルバム『A Hard Days Night』からなので、いかにクインシーが凄腕かということが分かりますね。