前回の記事で書き忘れたのが「涙の太陽」の英語タイトル、「Crying in a Storm」(嵐の中で泣いている、という意味かな?)。
なかなか凝った洋楽っぽい作り込みですね。おかしいのは、日本語が普通にしゃべれるのに、英語しか話せないという設定で会見を通訳入りでやった(らいし)という凝り方です。
今だったら、さしづめ炎上しちゃうところでしょうが。メディアの気分もおおらかで、いたずらもOKとする寛大な時代ですね。
さて、なぜか今日は朝から♪ラララ~とセクシーなウィスパーで目覚めました(笑)。理由はありませんが、こんな歌声が寝起きに聴こえるとは、ようやく風邪もいえた証拠ということでしょう。
もちろんCDを引っ張り出して、ジャケットで癒されました。
マイ愛聴盤
俳優が歌ったヒット・ソングは多いものの、モンローもこの曲以外にも「ダイヤは最良の友」「私の心はパパのもの」など名歌唱が残されています。CD1枚分あるわけですから、大したもの。
それにこれには入っていませんが、「♪ハッピー・バースデイ・ミスター・プレジデント」という代表曲ありますしね(笑)。
さて、これは1954年公開の映画『帰らざる河』(The River Of No Return)のテーマ曲として、ケン・ダービーが作詞し、映画音楽の専門家ライオネル・ニューマンが作曲しました。
トレイラーを観ればお分かりのように、オープニングで歌っているのはモンローではなく、テネシー・アーニー・フォード。当時のカントリー・シンガーの第一人者です。
テネシー・アーニー・フォード
肝心のモンロー出演の歌唱場面がこれです。もちろん映画は未見ですが、歌い方が色っぽいなぁと子供のころから萌えてました(マセガキなもんで)。当時こんな映像観たら、鼻血ブー(死語?)かな。
カヴァーを探したのですが、モンローと張り合うのは得策ではないと思ったのか、この人と雪村いづみくらい。
まずはジュディ・オングのテレビ出演時の映像で。編曲:国分弘子というのも意外です。
それでは(画面が黒バックで文字のみですが・・・)雪村いづみの1番日本語、2番英語という当時の主流カヴァー歌唱のお手本です。
戦後、アメリカのセクシー・シンボルだったマリリン・モンロー。亡くなったのは、1962年のことで、まだ36歳だったそうです。
その後、20年経ってアメリカの女性のセクシー・シンボルは、マッチョなマドンナと交代してモンローを思い出す人も少なくなってきたようです。
“寝るときは、シャネルの5番よ”って、本当のことだったのでしょうか、いまだに真相を知りたいpopfreakです(苦笑)。