最近はテレビのCMを見る機会がトント減りました。それは民放の番組を敬遠しているせいです(笑)。でも、たまにはいいこともあります。スズキの車、ハスラーのTVCMで懐かしい歌を聞いたことです。
もともとこの「パパはマンボがお好き」、1954年にペリー・コモがヒットさせたナンバーです。バックコーラスはレイ・チャールズ・シンガーズ(あのレイ・チャールズとは同名別人です)。
1954年10月2日から18週間チャートに入って最高4位までいったミリオン・セラー。コモの温かい声と人柄がステキです。
ペリー・コモのテレビ出演動画です。バックコーラスがレコードと同じかどうかは不明です。
その頃は、マンボ・ブーム。♪ウッ、アッ、マンボッ、てな掛け声に腰を振り振り大の大人が燃え盛ったことは以前「マンボNo.5」(1950年アメリカで発売、日本では2年後)でご紹介したことがあります。
⇒リンク「マンボNo.5」
こうやって大人がマンボでエロく(笑)盛り上がっていたときに、若者たちは虎視眈々と自分たちのアイデンティティを求めていたというわけです。
翌年1955年、「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が映画『暴力教室』で使われて、映画館は踊り狂う若者の熱狂に溢れたとか。
時代の転換点。エルヴィス「ハートブレイク・ホテル」は1956年ですから。
この人が歌うと、「パパはバラードがお好き」みたい聴こえてしまうのは、なぜ?キング・コールが日本のマンボ・ブームに果たした役割は大きいと思いますよ。
ナット・キング・コール
実はかの、ディーン・マーティンも録音しているのですが、イントロやアレンジがペリー・コモと全く同じなのです。ご興味あるムキはどうぞ。
日本のラテン・ブームを担ったのは、有馬徹とノーチェ・クバーナと見砂直照と東京キューバン・ボーイズのビックバンド。
いずれもマンボを踊る大人のためのバンドでした。
東京キューバンの音源です。(静止画)
最後は、江利チエミの「パパはマンボがお好き」、1955年の発売だそうです。
いままでにも「ヴォラーレ」を始め、洋楽懐メロがTVCMに使われることがたくさんありました。
その内、かつてニッカウィスキーがキャスリーン・バトルの「オンブラ・マイ・フ」(ヘンデル作曲)で大成功したような、クラシック名曲のCM化で楽しませてくれるかも知れませんね。
森麻季さんにアルビノーニのアダージョとか歌って欲しいと思うのは、ボクだけかな?ただし、マンボのリズムはご法度ですよ(笑)。