$♪blowin' in the musicモカンボ・セッション参加ミュージシャン

(中央が守安祥太郎、左真ん中が渡辺貞夫、右上が宮沢昭ほか)



1954年7月27日から翌日にかけて、横浜・伊勢佐木町のジャズ・クラブ『モカンボクラブ』で行われたジャムセッションがモカンボ・セッションです。

そして有楽町にあるコンボという喫茶店のジャズ好きのオーナーが、このセッションを録音しようと学生・岩味潔に声をかけました。

もちろん録音器がアマチュアの手に入る時代ではありません。しかし録音マニアの岩味はなじみの神田界隈を歩き回り、軍用のワイヤーレコーダーや録音ヘッドなどを探し出して、しかも特注の鉄の箱に収めた“超重量級”録音器を作り上げます、

また録音テープは当時スコッチから発売されていた紙テープ(紙に鉄粉を塗ったもの)です。後になって普及するプラスティック・テープが発売される前の話です。

ところでモカンボに当日集まったミュージシャンは、前回「スロウ・ボート・トゥ・チャイナ」で紹介したメンバー;

宮沢昭(ts) 渡辺貞夫(as) 渡辺明(as) 守安祥太郎(p) 鈴木寿夫(b) 五十嵐武要(ds)のほかにも大勢が揃っていて、

秋吉敏子(p) 海老原啓一郎(as) 山屋清(as) 与田輝夫(ts) 上田剛(b)などのほか、当時駐留軍兵士として東京にいたアメリカのトップ・ジャズ・ピアニストの一人、ハンプトン・ホーズも加わっていました。


I Want To Be Happy とりわけ宮沢と守安のソロは特筆ものです。

宮沢昭(ts) 守安祥太郎(p) 鈴木寿夫(b)清水ジュン(ds)





この一連の録音物は、岩味潔(岩:ロック)とジャズ評論家・油井正一(井:ウェル)の二人が立ち上げたジャズ・インディ・レーベル『ロックウェル』から発売されることになりました。日本のジャズメンにとっては、極めて稀なレコード化された演奏となりました。しかしこれら3枚のレコードを発売してロックウェルは立ちいかなくなり、後にその中古盤は法外なプレミアムがついたという伝説が残っています。



$♪blowin' in the musicロックウェルのロゴと主宰者の二人、油井正一(右)と岩味潔


内田晃一は著書『日本のジャズ史(戦前戦後)』でモカンボ・セッションの守安に触れて、「聴衆はだれのまねでもない彼自身のジャズに到達した守安が、日本のジャズの頂点に立ったことをいやおうなしに思い知り、もはやオレが代わろうと立ち上がるピアニストはいなかった」と述べています。

このレコードが唯一の録音となったピアニスト守安祥太郎の演奏は、お聴きのように当時のジャズ・ピアニストとして画期的な先進性にあふれています。

まさに最先端たるバップ・イディオムを自らのオリジナリティとスピード感溢れる演奏で駆け抜けています。

後にクラリネット奏者トニー・スコットは、この「I Want To Be Happy」について、会う人毎にロックウェルのレコードを聴かせて、このように熱弁をふるったとそうです。

「この大傑作レコードは、世界中のジャズ関係者に聴いてもらうべきだ。そして日本の一角で守安祥太郎という天才が、パーカーの死に遅れること半年で、後追い自殺を遂げたことも・・・」と。


このコメントの“パーカーの後追い自殺”との確証はありませんが、確かに守安はこのモカンボ・セッションの約1年後の1955年9月28日夜9時すぎ、国電目黒駅、山手線内回り電車に飛び込み自殺を果たしました。翌朝の新聞には「現金六千円と『ドン底』のマッチを持っていただけで身元不明」となっています。


内田の著書には、守安の自殺のいきさつを宮沢昭からのヒアリングした内容などが記されていますが、ここで詳述はいたしません。


もし守安の生涯に興味をお持ちのかたには、植田紗加栄・著『そして、風が走りぬけて行った-天才ジャズピアニスト・守安祥太郎の生涯-』(講談社1997年)をオススメしたいと思います。



おそらく宮沢と守安が演奏した「I Want To Be Happy」の参考テイクは、ソニー・スティットとバド・パウエルによるもの↓というのが通説です。







元ネタがあったといっても、その夜モカンボ・セッションに集った日本のジャズメンの演奏の評価に変わりはありません。


$♪blowin' in the music