思い出したくもない3月11日。我が家のCDラックは崩壊し、ヴィデオ棚も倒れました。

恥ずかしながら、現場写真です(涙)。


$♪blowin' in the musicヴィデオ棚には多数のベータも・・

やや気持ちが立ち直った後にリヴィングにぶちまけられたCDを集め直して、アイウエオ順に並べ替えている作業を始めたところです(汗)。

そこで忘れていた名曲を見つけたました。この曲です。

CDには1991のクレジットがありますが、シングルは翌年リリースされ大ヒットしました。



おそらく多くの方は、その後このヴィデオ映像とともに日本のテレビCM(塩野義製薬・セデス)に使われたのでご存じのかたも多いはず。

ボクは、CMで流れる前に探しまくった記憶があります。確か新宿のはずれのCDショップで発見したことを覚えています。

この名曲を作ったのはウェンディ・ウォルドマン他2名(CDには3人のクレジットがあります)。ウェンディは日本では知名度の低いシンガー・ソングライターですが、かつて活躍したカーラ・ボノフの流れを汲む人。

自作のアルバムにもこの曲を収録しています。検索したらYouTubeに2004年の年末にKulak's Woodshedにてウェンディが歌っている映像が見つかりました。




いつもは1曲を何人もの歌い手で聴き比べるのがマイ・ブログの主旨ですが、さすがにこの曲はヴァネッサ・ウィリアムズと作家のみで「決め打ち」ということで。



【余談】~芸能ネタのお好きな方に~

さてヴァネッサが世間の耳目を集めた裏話。紹介するのはあまり気乗りしないのですが、当時大いに社会問題になったこともあり、あえて引用をお許し願いたい。

(以下、Wikipediaより)

1983年、アフリカ系アメリカ人初のミスアメリカ(第59代)になるという、歴史的快挙を成し遂げたことは全米のみならず、世界的に著名。容姿端麗で、野生味溢れる優れた演技力も持つことから、シンガーにとどまらず、アーノルド・シュワルツェネッガーと共演したイレイザーをはじめ、数々の映画、テレビドラマやミュージカルにも出演するなど女優としての成功も収め、シンガーとしても成功した女性の1人である。

しかし、1982年に撮影された彼女の上半身のヌード写真がペントハウス誌1984年9月号に掲載されたことが元で、自らミスアメリカのタイトルを返上(1984年7月23日に開かれた記者会見で意向を伝えた)し、いったんは2位のシュゼット・チャールズが繰り上げ優勝した。このスキャンダルによって、当時のアメリカでは彼女のキャリアは終わったものと見られていた。

しかしその後、これが彼女の承諾なしに無断掲載されたものであることが確認されたこともあって、ミスアメリカ1984aとして2位のシュゼット(ミスアメリカ1984b)とともに公認されている(インターネット上にある世界の多くのWebや一部の雑誌等には、あたかもヴァネッサがミスアメリカのタイトルを剥奪された欠格者である旨の誤った記述が数多く見受けられるが、実際には"ミスアメリカ1984"のみ2名が選出されている)。


(引用ここまで)

・・・ということでおそらく塩野義製薬もあの暖炉の前の優しいヴァネッサの映像を使用することにしたのでしょう。

いまとなっては、これもちょっといい話ですね。


【おまけ】~カラオケ好きのあなたに


Karaoke/Save The Best For Last




歌詞の意味はよく分かりませんが、“ベストなものを最後にとっておく”ということのようです。

なんだか彼女のミス・アメリカ辞退事件の顛末を象徴するような歌詞・タイトルですね。