2009年12月7日、156カ国の人たちの参加のもと、
スターバックスが企画した「愛こそはすべて」が世界を駆け巡りました。感動的な映像です。
アフリカのエイズを撲滅するための世界基金への貢献だそうです。
ビートルズの演奏による「愛こそはすべて」が全世界初の同時宇宙中継で歌われたのが1967年6月25日ですから、このスタバ「愛こそはすべて」は、それから42年後ということになります。
ビートルズの「愛こそはすべて」は15枚目のシングルとして発売され、後に『イエロー・サブマリン』と『マジカル・ミステリー・ツアー』の両方のアルバムに収録されています。
「愛こそはすべて」収録アルバム
いい歌は歌い継がれる・・とボクはブログで繰り返していますが、これもその名曲のひとつです。
宇宙中継版でどうぞ。
The Beatles - All You Need Is Love
一言で42年といいますが、1967年の宇宙中継から42年前はというと、1925年。日本ではNHKでのラジオ放送が始まった大正14年のことです。
その年に作られた曲とは;
・からたちの花(北原白秋作詞・山田耕筰作曲)
・出船の港(時雨音羽作詞・中山晋平作曲)
「出船の港」は、3年後の昭和3年に藤原義江によってレコード化され、
またその翌年の昭和4年には昭和歌謡を代表する曲「東京行進曲」(西条八十作詞・中山晋平作曲)が佐藤千夜子によって大ヒットしています。
一方1925年、ニューヨークはブロードウェイで初上演されたミュージカルで歌われたのは;
・マンハッタン(ロレンツ・ハート作詞・リチャード・ロジャーズ作曲)『ギャリック・ゲイエティーズ』より。
・二人でお茶を(ティ・フォー・トゥー)(アーヴィング・シーザー作詞・ヴィンセント・ユーマンス作曲)『ノー、ノー、ナネット』よりなどが有名どころです。
スタバの「愛こそはすべて」(2009年)からビートルズ宇宙中継の「愛こそはすべて」(1967年)までの42年間と、ビートルズ「愛こそはすべて」からさらに42年間さかのぼった1925年との隔たりの大きさには愕然としますね。
同じ42年間の時間差だとは信じがたいほど隔世の感あり、です。
単に“メディアが発達した”というだけでもないような気もしますが、昭和歌謡も歌い継いで欲しいという願望をこめて。
東京行進曲/佐藤千夜子
当時この4番の歌詞が物議をかもし、逓信局から放送で歌ってはならないとのお達しがあったとか。
これに対して論陣を張った西条八十の気骨溢れる主張など、またの機会にご紹介しましょう。
スターバックスが企画した「愛こそはすべて」が世界を駆け巡りました。感動的な映像です。
アフリカのエイズを撲滅するための世界基金への貢献だそうです。
ビートルズの演奏による「愛こそはすべて」が全世界初の同時宇宙中継で歌われたのが1967年6月25日ですから、このスタバ「愛こそはすべて」は、それから42年後ということになります。
ビートルズの「愛こそはすべて」は15枚目のシングルとして発売され、後に『イエロー・サブマリン』と『マジカル・ミステリー・ツアー』の両方のアルバムに収録されています。
「愛こそはすべて」収録アルバムいい歌は歌い継がれる・・とボクはブログで繰り返していますが、これもその名曲のひとつです。
宇宙中継版でどうぞ。
The Beatles - All You Need Is Love
一言で42年といいますが、1967年の宇宙中継から42年前はというと、1925年。日本ではNHKでのラジオ放送が始まった大正14年のことです。
その年に作られた曲とは;
・からたちの花(北原白秋作詞・山田耕筰作曲)
・出船の港(時雨音羽作詞・中山晋平作曲)
「出船の港」は、3年後の昭和3年に藤原義江によってレコード化され、
またその翌年の昭和4年には昭和歌謡を代表する曲「東京行進曲」(西条八十作詞・中山晋平作曲)が佐藤千夜子によって大ヒットしています。
一方1925年、ニューヨークはブロードウェイで初上演されたミュージカルで歌われたのは;
・マンハッタン(ロレンツ・ハート作詞・リチャード・ロジャーズ作曲)『ギャリック・ゲイエティーズ』より。
・二人でお茶を(ティ・フォー・トゥー)(アーヴィング・シーザー作詞・ヴィンセント・ユーマンス作曲)『ノー、ノー、ナネット』よりなどが有名どころです。
スタバの「愛こそはすべて」(2009年)からビートルズ宇宙中継の「愛こそはすべて」(1967年)までの42年間と、ビートルズ「愛こそはすべて」からさらに42年間さかのぼった1925年との隔たりの大きさには愕然としますね。
同じ42年間の時間差だとは信じがたいほど隔世の感あり、です。
単に“メディアが発達した”というだけでもないような気もしますが、昭和歌謡も歌い継いで欲しいという願望をこめて。
東京行進曲/佐藤千夜子
当時この4番の歌詞が物議をかもし、逓信局から放送で歌ってはならないとのお達しがあったとか。
これに対して論陣を張った西条八十の気骨溢れる主張など、またの機会にご紹介しましょう。