ポール・ホワイトマンは、1920年代“キング・オブ・ジャズ”と呼ばれました。

彼は自分の楽団によるレコードのヒットやジョージ・ガーシュウィン「ラプソディ・イン・ブルー」の初演についで、男性の3人組コーラス・グループを楽団に加えました。

これがそのグループ、リズム・ボーイズの写真です。
♪blowin’ in the music リズム・ボーイズ

真ん中にいる端正な美男子が、後に大人気歌手として活躍するビング・クロスビーです。
ホワイトマン楽団時代の貴重なリズム・ボーイズの映像です。
King of Jazz "Happy Feet" Rythm Boys (Bing Crosby)


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ちなみにもう2人のメンバーのひとり、アル・リンカーは、“ロッキン・チェア・レディ”と呼ばれた女性歌手、ミルドレッド・ベイリーの兄です。

ビング・クロスビーは、1931年にこのグループから抜けてソロ・シンガーとなり、ソフトなバリトンでヒットを連発。長く第一人者として活躍したことはご存知の通りです。

そのきっかけとなったのは、1931年8月31日から始まったCBS(もちろんラジオです)での番組でした。それはスポンサーなしの15分番組で3日間で終わりましたが、終了後“あの歌手の放送を続けろ”と投書が殺到したそうです。そこで局は大急ぎで企画をたて、11月2日から「ビング・クロスビー・ショウ」を開始。人気番組となりました。

♪blowin’ in the music ビング・クロスビー
ビングの明るいムード、軽快なスウィング感、リラックスした歌唱、なめらかな歌声・・・・、すべてが人々を魅了しました。

それ以前の歌手と根本的に違ったのは、マイクの発達によってささやくように歌ってもその声が人々の耳に伝わったこと~今の時代では当たり前すぎてピンときませんが~
でした。このクルーン歌唱が後の歌手の手本になり、ビングのスタイルのような歌手をクルーナーとよばれるようになります。

かつて一世を風靡した大声のスター、アル・ジョルソンのスタイルとは全く違います。マイクとラジオが人気歌手の誕生の仕方や活動スタイルを大きく変えてしまったのでした。

それでは1942年、映画でビング・クロスビーが歌って空前の大ヒットとなった「ホワイト・クリスマス」を聴いてください。
映画『スイング・ホテル』(原題「Holiday Inn」)です。この映画でのほとんどの曲は、アーヴィング・バーリンが書いたものです。

Bing Crosby - White Christmas映画『スイング・ホテル』1942年


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*次回は最終回。ルディ・ヴァリーというポピュラー音楽史上初のアイドル歌手についてです。