George Gershwin 自身の演奏による「I Got Rhythm」。珍しい動画です。

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「スワニー」の斬新さと素晴らしさを理解して、ジョージ・ガーシュウィンを世に送り出した最初の恩人がアル・ジョルソン(前回ブログ)だとすると、20世紀アメリカ音楽の最高峰と評された交響曲『ラプソディ・イン・ブルー』をジョージ・ガーシュウィンに発注した第二の恩人がポール・ホワイトマンです。
こんな楽しいルックスのおじさんです。シンボル・マークのイラストでもおなじみです。
♪blowin in the music ポール・ホワイトマン

♪blowin in the music ピッタリのイラスト

ポール・ホワイトマンは、20年代には人気ジャズ・バンドのトップに躍り出ていました。
1920年に「Whispering/Japanese Sandman」のカプリングのレコードが200万枚の大ヒットとなったのがそのきっかけです。
ちょっと渋い~ですが、こんな曲です。

Paul Whiteman - Whispering

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バンドとして成功の後、ポール・ホワイトマンは“シンフォニック・ジャズ”というコンセプトを打ち出しました。
ジャズの手法(即興演奏やリズムの導入など)をクラシック音楽と同等のレベルに昇華し、かつ大衆に愛される音楽として完成させるには、シンフォニー的アプローチをジャズに応用すべきだとポール・ホワイトマンは考えて、ジョージ・ガーシュウィンにシンフォニー作曲を委嘱しました。
当時のポール・ホワイトマン楽団には、ピアノとアレンジにグローフェ(組曲『グランド・キャニオン』の作曲者)が在籍していたことからも、ポールの本気度が分かります。

果たしてポール・ホワイトマン楽団が初演した『ラプソディ・イン・ブルー』(1924年、初演のアレンジはグローフェが担当)は、ジョージ・ガーシュウィンをアメリカ作曲家の新代表たる評価を与えました。

YouTubeにポール・ホワイトマン楽団が出演・演奏した音楽映画『キング・オヴ・ジャズ』(1930年=昭和5年!)に『ラプソディ・イン・ブルー』の冒頭の8分くらいのハイライト場面があります(ただしピアノを弾いているのは、ジョージ・ガーシュウィン本人ではありません)。

Rhapdogy in Blue - from the movie "King of Jazz" 1930(“新しいレビュー形式の色彩映画として特記すべきものである”と音楽評論家で故・野口久光先生はある本でコメントされています)その時代(1930年)を考えると想像を絶する特殊撮影が行われています。トーキーが始まって(前回ブログ)まだ3年なのに・・・。


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*ポール・ホワイトマンが世に送ったもう一人のシンガーを次回はご紹介します。ネタがディープになってきました。あと2回で終わりますので、もう少しお付き合いください。