ジョージ・ガーシュウィンは、貧しいロシア移民の子供としてニューヨークに生まれました。
ソング・プラガーとしてレミック社という音楽出版社で働きながら、作曲の仕事をしていたジョージにある日チャンスが訪れます。

当代の売れっ子ミュージカル・スター、アル・ジョルソンを紹介されたのです。

♪blowin in the music ジョージ・ガーシュウィンのイラスト

ジョージ・ガーシュウィンは自信作「スワニー」をピアノで弾いて聴かせたところアルは大いに気に入って、公演中のミュージカル『シンバット』で急遽歌うことにします。

「スワニー」は、この公演がきっかけとなって大ヒット。楽譜とレコード併せて200万枚を超えたそうです。
それにしても公演中のミュージカルに、途中から新曲を歌ってしまう(構成を変える)というのも、アルがいかに大スターであったかを示すエピソードでしょう。

後にジョージ・ガーシュウィンの伝記映画『アメリカ交響楽』でアル・ジョルソンが「スワニー」を実名で出演し、歌っている映像がありました。

Al Jolson sings Swanee (movie "Rhapsody In Blue")「アメリカ交響楽」1945


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下の写真は、マイ・コレクション「スワニー/アル・ジョルソン」78回転のSP盤です。酔狂ですよね、SPなんて。

♪blowin in the music スワニー/アル・ジョルソンSPレーベル

このころにはすでにアル・ジョルソンの大声で歌う古い歌唱スタイルは、時代遅れとなっていました。
しかしジョージ・ガーシュウィンの自伝のストーリーで、恩人アル・ジョルソンの役割を無視するわけにもいきません。
結局、この映画出演がアル・ジョルソンの再評価につながったのか、2年後に『ジョルスン物語』1950年に『ジョルスン再び歌う』という伝記映画(主演はラリー・パークスですが、歌はすべてアル自身の吹き替え)が2本作られました。

アル・ジョルソンはアメリカ映画界のヒーローでもあります。映画が無声からトーキーに代わった第一作『ジャズ・シンガー』に出演し、世界中をアッと驚かせたのです。1927年のことです。その時経営危機に瀕していたワーナー映画はこの大ヒットで盛り返します。そして映画の黄金時代が始まるのです。

もともとアル・ジョルソンが活躍していた1910年代には、マイクロフォンはまだ発明されていませんでした。ミュージカルの歌手や出演者たちは大声の持ち主で会場の隅々に響き渡る声量が必須条件でしたが、後にマイクロフォンが発明され、ビング・クロスビーのような“クルーナー”が登場し、ラジオというメディアでささやくように歌う歌手が人気を博すと、アル・ジョルソンのような両手を広げて大声で歌うスタイルは時代遅れとなり、急速に人気を失ったのです。

そもそも『ジャズ・シンガー』への出演も他の歌手が出演を断ったため、すでに落ち目になっていたアル・ジョルソンにお鉢が廻ってきたといいます。でも、過去の栄光にとらわれずに勇気をもって出演した世界初トーキーでアル・ジョルソンは再び人気者として蘇ります。

映画史を語るどの本にも“初のトーキー映画は『ジャズ・シンガー』です”という記述がありますが、この映画の初セリフが語られるシーンまで解説しているものは稀です。

YouTubeにその初セリフ・シーンがアップされていました。注意してご覧ください。
ちょっと前説しますと、この映画はアルの初セリフの場面までは、まるで無声映画のように字幕が挿入され、バックでBGM(音楽)が流れています。日本では弁士がレコードを使ったり、スクリーン裏に控えた楽士によって音楽を流していた方法と同じ効果を狙っています。映画の出演者がセリフを話す、というトーキーのインパクトをより印象付けるための演出ではないか、と思われます。

下の映像の前半はそういう構成ですが、4分30秒~4分47秒までの間にアル・ジョルソンが初セリフを話すシーンがでてきます。注意してお聴きください(なお「トゥッ、トゥッ、トゥッティ、グッドバイ」を歌う直前です)。

Al Jolson - Jazz Singer 6:59/4:30-4:47(Toot Toot Tootsie, Goodbye)



 (⇒リンク)


なにを言っているかというと、
"wait a minutes, wait a minutes, you ain't heard nothin' yet, you ain't heard nothin' yet."と数回繰り返しています。

このセリフは、ショウで鍛えたアル・ジョルソンのお得意のセリフで、「ちょっと待ってね。あなたはまだ何も聞いていない」という意味です。
まだ何も聞いていない、つまりこれからが私の本領発揮の歌の聞かせどころです・・・誰が訳したかは知りませんが、このセリフに
「お楽しみはこれからだ」という名訳が付けられました。後にイラストレイターの和田誠さんが、この「お楽しみはこれからだ」
をタイトルにした映画エッセイを出して、評判になったことはご存知の方も多いと思います。

♪blowin in the music 和田誠/お楽しみはこれからだ

アル・ジョルソンが人気を博したスタイルは、顔を黒塗りにして口の周りを白く塗る19世紀初頭に登場したアメリカ・ショウ・ビジネスの原型というべき『ミンストレル』の
スタイルを蘇らせた
ものです。黒人を笑いものにするお行儀のよくないエンタテイメントがミンストレルであり、アルはそのスタイルを20世紀に再登場させた成功者でした。

しかし、ジョージ・ガーシュウィンを世に送りだすことに貢献し、落ち目になったらトーキー映画で息を吹き返し、戦後はガーシュウィンの自伝映画に出演して
また注目を集め、さらには2本の自伝映画で自らの功績を世に知らしめることになったアル・ジョルソン。まさにアメリカ音楽界、映画界の不死鳥だといえるでしょう。

だいぶ前にニューヨークにいって中古レコード店でアル・ジョルソンのコーナーを見つけて驚きました。
こんなLPを買ってきました。『1935年の放送録音』海賊版ですが、発売されていたレーベルには、"THE JOLSON SOCIETY PRESENT A COLLECTOR CLASSIC"
とありました。そんな愛好家集団があること自体が驚きでした。ちなみに値段は5ドル99セントでした。


♪blowin in the music NYで買ったアル・ジョルソン海賊盤

昨年、音楽評論家の青木啓さんが亡くなったため、おそらくいまや日本でアル・ジョルソンについて語る人は皆無でしょうね。

*さて、ジョージ・ガーシュウィンにはもう一人恩人がいます。キング・オブ・ジャズことポール・ホワイトマンです。次回は、さらに深~いお話です。
もうそろそろこの“音楽人脈つながりブログ”も終わりが近くなったきました。あと少しお付き合いください。