ジミ・ヘンドリックス


 ジャニス・ジョプリン

二人がそれぞれにセンセーションを生んだステージ、それは1967年6月のモンタレー・ポップ・フェスティヴァルです。

ジャニスは、ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディグ・カンパニーをバックに「ボール・アンド・チェイン」を熱唱し、伝説が生まれました。

Janis Joplin - Ball and Chain モンタレー・ポップ・フェス(1967)


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同じフェスティヴァルに登場したジミ・ヘンドリックスも「ワイルド・シング」の演奏の最後にライターのオイルをギターにかけて火を放ちます
その神業的ギター・テクニックと度肝を抜くパフォーマンスは世界に伝説を生みました。

Jimi Hendrix Monterey Pop Festival 67

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また二人は、1969年8月、ニューヨーク郊外ヤスガース・ファームで行われた“ウッドストック・ミュージック&アート・フェスティヴァル”にも出演、センセーションを巻き起こします。
とりわけジミの演奏した「アメリカ国歌」の歪みまくったギター・サウンドは、自由と愛を求めて集った若者たちのを代弁するかのように雄弁でした。
そのディストーション・サウンドは、あたかもアメリカがベトナムで続けていた北爆の爆音のように聴こえました。

Jimi Hedrix - Woodstock Live (アメリカ国歌は、リンクです)
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ジャニスのアルバム『パール』や『ウッドストック』のビデオなどのマイ・コレクション

ジミの出演時間は、当初3日目(8月17日)の夜の予定だったのですが、3日を通してメイン・ステージだけで延べ34組が出演したこともあり、大幅にスケジュールが遅れたため、出番は翌8月18日の朝になっていました。
観客も疲れ果て、出演者もフタッフにも脱力感が漂うなかで演奏の最後を飾った「アメリカ国歌」は、60年代の終わりを告げたのか、また70年代の始まりを宣言したのか、受け止める人によって価値観は相違します。

大衆音楽という観点から見れば、ウッドストックが終わった8月18日の翌日から3日間、ジャズ界の革命児マイルス・デヴィスは過去のジャズを“止揚した”アルバム『ビッチェズ・ブリュー』を録音しました。
 ビッチェス・ブリュー/マイルス・デヴィス

1968年にはパリ・カルチェラタンで学生が5月革命を起こし、わが国でも学生運動が猛威をふるいました。

時代の変わり目には、若者のエネルギーが“オブジェクション”を突きつける重要な役割を果たしたことは歴史が証明していますが、近年の学生には時代に異議申立する動機も意欲も力もないのでしょうか?

そして1970年9月18日、ジミ・ヘンドリックスが、そして同年10月4日にはジャニス・ジョプリンが相次いで変死します。
この3年ほどの短い時間を燃え尽きた二人に共通した思いとは、果たしてなんだったのでしょうか?

*次回は、ジャニス・ジョプリンの伝記的映画「ローズ」に主演したベット・ミドラーについてです。
<携帯電話でアクセスされている方へ>以下の過去ブログのYouTube映像にリンクをはりましたので、ご覧ください。
(⇒過去ブログ)
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