ポール・ニューマンが亡くなって、先日もテレビで放送されていました。映画『スティング』です。監督は『明日に向かって撃て!』と同じジョージ・ロイ・ヒル。
とてもお洒落な悪党たちが、スマートに大掛かりな詐欺を実行して大金を巻き上げる痛快ストーリー。映画の場面場面の展開毎に入る“静止画”が、まるで無声映画時代のイメージでしたね。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/84/7c/10108621688_s.jpg?caw=800)
映画音楽として使われたのが、19世紀末にラグタイムという新たな音楽を作り出した一人、スコット・ジョプリンの曲。そのアイディアは監督だったそうですが、
ピアノ演奏と編曲によって1970年代にラグタイムを蘇らせたのは、映画音楽を担当したマーヴィン・ハムリッシュの力です。
おなじみとなった曲が「エンターテイナー」。『スティング』といえばこの曲が浮かびます。
オリジナル・サントラ The Entertainer、静止画ですが。
⇒リンク
さてそこから遡ること30余年、1940年代にもラグタイム・ミュージックがアメリカのルーツ・ミュージックとして再評価を得たことがありました。
そのきっかけとなったのは、1938年にカーネギー・ホールで企画されたコンサート『From Spritual To Swing』でした。企画者はジャズ評論家で音楽プロデューサー、ジョン・ハモンドです。
ニューヨークの富豪の長男として生まれたジョン・ハモンドは、黒人音楽に強く惹かれ、テディ・ウィルソン(P)やビリー・ホリデイ(VO)をレコーディングするなど
才能ある黒人ジャズ・ミュージシャンの発掘に努めました。ちょうどその前年、カーネギー・ホールでは白人ジャズ・バンド・リーダー、ベニー・グッドマンがクラシック音楽の殿堂カーネギー・ホールで初のジャズ・コンサートを成功させて、若者がジャズに熱狂するさきがけを作りました。まさに時代が変わり目を迎えていたのです。
その夜のコンサートにジョン・ハモンドが『フロム・スピリチュアル・トゥ・スウィング』というタイトルを付けたことでわかるように、アフリカ原住民の音楽とアメリカのジャズやフォークの関係性を示すなどジャズの音楽ルーツを検証するアカデミックなコンサートでした。同時に人気絶頂のグッドマン楽団を登場させると共に、カンサス・シティの新人カウント・ベイシー楽団を起用。
それとニューオリンズに発生したジャズの萌芽としてのラグタイム・ミュージックのピアニストたちを出演させました。ミード・ルクス・ルイス、アルバート・アモンズなどです。
『フロム・スピリチュアル・トゥ・スウィング』ジャケット
このコンサートが大衆を熱狂させました。会場に来ていたドイツ人の貿易会社社員アルフレッド・ライオンは、当夜のブギウギ・ピアノに感激して翌年ブルーノートというジャズ・レーベルを始めています。
また音楽では食べることができなかった多くの黒人ミュージシャンが、このラグタイム・リバイバルによって多くの録音の機会を得、またコンサート活動も行うことができたようです。
ちょっと話が逸れましたが、映画『スティング』によってスコット・ジョプリンが脚光を浴びた背景には、この40年代リヴァイヴァルを演出したジョン・ハモンドの功績があったからではないかと私は思っています。
ちなみにジョン・ハモンドは、親友ベニー・グッドマンに黒人のテディ・ウィルソンを組ませ、初の混成バンドを作るように勧めたことでも有名です。音楽を基点に反人種差別を実践しています。
また彼はのちにボブ・ディランを発掘するなど、常にアメリカの音楽界をリードしたプロデューサーでした。
時ちょうどオバマ大統領の誕生にあたり、ちょっと硬いネタになってしまいましたが・・・。
もう1曲。『スティング』より「パイナップル・ラグ」です。タイトルとスティール
⇒リンク
あまり映画の本論には触れずじまいでした。期待はずれでしたらお詫びのしるしに
予告編でも観てください。
The Sting - trailor
⇒リンク
<最初に掲載したYouTubeリンクのURLが3つとも間違っていました。謹んでお詫びと訂正のお知らせ>
*次回は、ロバート・レッドフォードとバーバラ・ストライザンドが出演したあの映画の名曲を・・・。
とてもお洒落な悪党たちが、スマートに大掛かりな詐欺を実行して大金を巻き上げる痛快ストーリー。映画の場面場面の展開毎に入る“静止画”が、まるで無声映画時代のイメージでしたね。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/84/7c/10108621688_s.jpg?caw=800)
映画音楽として使われたのが、19世紀末にラグタイムという新たな音楽を作り出した一人、スコット・ジョプリンの曲。そのアイディアは監督だったそうですが、
ピアノ演奏と編曲によって1970年代にラグタイムを蘇らせたのは、映画音楽を担当したマーヴィン・ハムリッシュの力です。
おなじみとなった曲が「エンターテイナー」。『スティング』といえばこの曲が浮かびます。
オリジナル・サントラ The Entertainer、静止画ですが。
⇒リンク
さてそこから遡ること30余年、1940年代にもラグタイム・ミュージックがアメリカのルーツ・ミュージックとして再評価を得たことがありました。
そのきっかけとなったのは、1938年にカーネギー・ホールで企画されたコンサート『From Spritual To Swing』でした。企画者はジャズ評論家で音楽プロデューサー、ジョン・ハモンドです。
ニューヨークの富豪の長男として生まれたジョン・ハモンドは、黒人音楽に強く惹かれ、テディ・ウィルソン(P)やビリー・ホリデイ(VO)をレコーディングするなど
才能ある黒人ジャズ・ミュージシャンの発掘に努めました。ちょうどその前年、カーネギー・ホールでは白人ジャズ・バンド・リーダー、ベニー・グッドマンがクラシック音楽の殿堂カーネギー・ホールで初のジャズ・コンサートを成功させて、若者がジャズに熱狂するさきがけを作りました。まさに時代が変わり目を迎えていたのです。
その夜のコンサートにジョン・ハモンドが『フロム・スピリチュアル・トゥ・スウィング』というタイトルを付けたことでわかるように、アフリカ原住民の音楽とアメリカのジャズやフォークの関係性を示すなどジャズの音楽ルーツを検証するアカデミックなコンサートでした。同時に人気絶頂のグッドマン楽団を登場させると共に、カンサス・シティの新人カウント・ベイシー楽団を起用。
それとニューオリンズに発生したジャズの萌芽としてのラグタイム・ミュージックのピアニストたちを出演させました。ミード・ルクス・ルイス、アルバート・アモンズなどです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/5e/0d/10108621685_s.jpg?caw=800)
このコンサートが大衆を熱狂させました。会場に来ていたドイツ人の貿易会社社員アルフレッド・ライオンは、当夜のブギウギ・ピアノに感激して翌年ブルーノートというジャズ・レーベルを始めています。
また音楽では食べることができなかった多くの黒人ミュージシャンが、このラグタイム・リバイバルによって多くの録音の機会を得、またコンサート活動も行うことができたようです。
ちょっと話が逸れましたが、映画『スティング』によってスコット・ジョプリンが脚光を浴びた背景には、この40年代リヴァイヴァルを演出したジョン・ハモンドの功績があったからではないかと私は思っています。
ちなみにジョン・ハモンドは、親友ベニー・グッドマンに黒人のテディ・ウィルソンを組ませ、初の混成バンドを作るように勧めたことでも有名です。音楽を基点に反人種差別を実践しています。
また彼はのちにボブ・ディランを発掘するなど、常にアメリカの音楽界をリードしたプロデューサーでした。
時ちょうどオバマ大統領の誕生にあたり、ちょっと硬いネタになってしまいましたが・・・。
もう1曲。『スティング』より「パイナップル・ラグ」です。タイトルとスティール
⇒リンク
あまり映画の本論には触れずじまいでした。期待はずれでしたらお詫びのしるしに
予告編でも観てください。
The Sting - trailor
⇒リンク
<最初に掲載したYouTubeリンクのURLが3つとも間違っていました。謹んでお詫びと訂正のお知らせ>
*次回は、ロバート・レッドフォードとバーバラ・ストライザンドが出演したあの映画の名曲を・・・。