最愛のシーズー ポーちゃん2 | YukonからのHappyメッセージ

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こんばんワンわんわん 昨日とは打って変わって、寒い一日でした。 横浜では帰りに、少し雪がパラパラ。。雪の結晶

昨日ブログでポーちゃんを紹介している途中、涙が止まらなく中断となりました汗続編をお届けします。 ブログのタイトルに反して、Yukonの「Happy」メッセージではありませんが、ポーちゃんは、かけがえのない存在だったし、生き甲斐だったので最後まで読んでいただけると嬉しく思います。


ポーちゃんは14歳と8カ月のとき、「メラノーマ」という悪性皮膚がんで口腔内の粘膜に黒色の腫瘍が現れました。 舌、指、足の裏などに発生する場合もあるそうです。

いったん発症すると進行が早く、徐々にリンパ節や肺などに転移する可能性が大です。


腫瘍があごの骨まで達している場合は、外科手術でその骨まで一緒に切除するそうです。 ただ、ポーちゃんは、腫瘍が現れたのが、14歳で高齢だったので、獣医さんはQOLを尊重して、腫瘍の周囲組織を含めて切除するという方法を進めてくださいました。 2回以外は、レーザーで腫瘍を取り除いてくださいましたが、数か月後には腫瘍がまた現れ、その都度、レーザーで切除して、それが亡くなる6カ月前は数週間後に現れてきました。 またリンパ節も腫れてきました(T_T)


17歳2カ月で逝くまでに、9回くらいの切除のオペを行ったと思います。幸いポーちゃんは心臓が強かったので、腫瘍を取り除いた後は、食べられるようになり、元気になりますが、さすがに16歳過ぎてからは、徐々に弱ってきました。 心臓が強いとはいえ、全身麻酔はシニアのポーちゃんには、かなり悪影響があったと思います。


虹の橋へ旅立った11月13日の2カ月前は、ほとんど食べれなくなり、週に何回か点滴で栄養を入れていました。ポーちゃんは完全にお家の仔なので、入院はさせたくありませんでした。 夜中は痴呆になったように、鳴き続けて、母と交代で付き添っていました。 


「苦しいよ~助けてよ~」とポーちゃん鳴いているの? 「家族とまだ居たいよ~」と叫んでいるの?

もう本当につらかったです。 また、涙がでてきました。 すみません。


虹の橋へ旅立った日は、ポーちゃんを半日獣医さんに預けて、点滴をしていただいていました。 15時頃、ポーちゃんが急に息が荒くなり、息を引き取りましたと獣医さんから連絡がきました。


ポーちゃんの最期は病院ではなく、家族に見守られ、旅立ってほしかったと、悲しさ、悔しさでいっぱいでした。 ポーちゃんに申し訳なくて、申し訳なくて。 その気持は一生消えないと思います。


ポーちゃんは、本当に病気もしない元気な仔でした。なのに、なぜこんな、恐ろしい病気になるのでしょう?小さいポーちゃんが一体なんでこんな罰を受けるのでしょう?


犬の一年は、人間の四年といわれています。ポーちゃんは14歳8カ月から17歳2カ月の2年間だから、人間でいえば、8年間、癌と戦ったのです。 よく頑張ってね。 でももっと生きていてほしかった。 もっともっと思い出を一緒につくりたかった。 もっともっとポーちゃんにキスしたかった。 顔をそむけてもいいから。。


ポーちゃん、今は痛みもなく走り回っているよね?たくさん、食べてる? いつか私が逝くとき、見つけてね。 一緒に橋を渡ろうね。


Yukonの家に来てくれて本当にありがとう。 Yukon家族はポーちゃんと家族でいられて幸せでした。 いつまでも愛しているよポーちゃん。


長いメッセージになりました。 お付き合いくださってありがとうございます。 ワンちゃんやネコちゃんなどを飼われている皆様、お願いがあります。 ペットではなく、家族です。 だから最期まで一緒にいてあげてください。 愛して、大切にしてあげてください。