先日、スピリチュアル勉強会で、宗教2世の方がシェアしてくれた話がありました。
親の信仰している宗教に疑問を持ち、質問したそうです。
「この宗教っていったい何なの? 祈っているだけでは幸せになどなれないのに、『そうしてさえいれば、神が救ってくださる』って、どうして信じられるの?」
「神に祈っていれば長生きできる。 短命な人は祈りが足りなかったから 『悪』なのだ、って言うけれど、では生まれたての赤ちゃんが死んだとき、それは赤ちゃんが『悪』なの?」
その他、もろもろ…
その方の親は、質問には何一つ、答えられなかったそうです。
ずっと、信仰しているのに…
これは何を示しているのでしょうか。
この親御さんは、本当の「幸せ」とは何か、
本当の幸せって、どうしたら手に入るのか。
何も知らないのです。
そして、自分で探求する力も思考もない。
自分ではよくわからない、「幸せ」。
でも、幸せにはなりたい。
だから、それを仮にも定義してくれている宗教に頼ってしまっているのでしょう。
この「エライ人」たちのいう事を聞いていれば、幸せになれるんだ…と。
この話を聞いたとき、私も、はっと気づきました。
だから、母は、私に良い高校、良い大学に行ってほしいと、無理強いし、過大な圧力をかけていたのか…
母自身は、大学に行かず、高卒で働きだしました。
上に兄が3人もいて、みんな大学に行っていましたので、
母は親から「もうこれ以上学費が出せない、申し訳ない」と言われて高卒で社会に出たのです。
母はごくごく普通の成績でしたが、「私は優秀だった。早稲田大学に行きたくて、勉強していた」と私には言っていました。
もし母が受験したら、この成績では合格しなかったと思います。
良い高校に行って、早稲田大学かそれ以上の大学に行け!の圧力。
なんでそこまで?の理由をいろいろ考えてきました。
自分が行きたくても行けなかったからかな?
大学をあきらめさせられて、悔しかったのかな?
もちろん、それらの理由もあると思います。
が、いまひとつ、スッキリと腑に落ちていませんでした。
が、昨日の宗教の親の話を聞いて、納得しました。
母もまた、どうしたら幸せになれるのか、わからなかったのです。
母は就職した会社で可愛がられ、充実していたようです。
結婚して寿退社し、父の実家で義両親と同居しました。
これが相性が悪く、そんなに幸せな生活ではなかった。
「こんなはずでは、無かった。」
どうしたら、幸せになれるのか。
その答えを、自分がかつてあきらめた「大学進学」に求めたのです。
「大学に行けさえすれば、こんなはずでは無かった」
いつしか、大学に行く=幸せになる方法 という図式ができあがり、
それを妄信したため、子ども達に勉強を強いたのだと。
良い大学に行けば、幸せになれるのよ…
子どもが可愛ければ可愛いほど、厳しく教育する。
幸せになってほしいから。
そこには間違いなく「愛」はあったと思います。
でも。
それは確実に「間違って」いました。
学歴が高くても、幸せとは限らないのが、その答えです。
昔、今ほど情報もなく、教育ママ、学歴偏重社会などという流行に踊らされて。
子どもの様子をしっかりと見て、しっかりと自分で考えて、その上で自分の答えを見つけるということをしなかったママ。
学歴という宗教じみた思想を妄信したママ。
だから、私の反抗期は激しかったね☆
学歴を強いる親。
自分が叶えられなかった夢を、「子どもに託す」という夢のある言葉で強いる親。
これらもまた、幸せがわからない人のための宗教であったわけです。
なるほど。