久しぶりにお祓いをしました(自分で)。

 

私の事をうらやましいと妬んでいる

女性が感じられました。

 

なんで、あんたみたいな人が

こんなに、愛されているわけ?

 

その人は、愛されたい愛されたいと

熱望しているにもかかわらず、

自分の満足する愛を得られないと。

それで私が妬ましいと。

 

私は考えました。

愛されるって気持ちいいよね。

だから「愛をくれる人」って大事で

自分からも自然に愛を与えたくなる。

 

私は?

自分の親が私にしたような子育て。

母が父にしたような仕打ち。

それを踏襲したら、母と同じように

愛されない存在になってしまう。

 

このことを反面教師にして、

夫の気持ち、子どもの気持ちになって

接してきました。

 

家族だから。。。

この言葉に甘えず、

よりよい関係を築けるよう

自然に気遣って暮らしてきました。

 

その結果、今がある。

 

愛されたかったら、

動機が大切なんじゃないかな。

自分が満足したいから、

自分がいい気分でいたいから、

自分が、自分が、自分が、、、

 

それじゃ、打算的な心が見えて、

人は愛してくれなくなるのではないかな?

 

自分も大事で、自分ファースト

それでいいんだけれど、

愛されたかったら、

相手に対するときは、相手を

尊重してあげなくては。

まず自分から愛を与えなくては。

 

私はそう思うのです。

 

愛を与えられた、愛を表現された

その時の心地よさは

自分が十分わかっている。

 

だから、ちょうだい!ちょうだい!

とするのではなくて、

与えてあげる。

 

すると相手は心地よい。

こんなにも心地よくしてくれる人のことを、

人は「大事に愛する」のでは

ないでしょうか。

 

妬んでいる女性と対話しながら、

私はそう思っているんだよ、

とお伝えして、帰ってもらいました。

 

先日、先生から宿題が出されました。

「自分が親を選んで生まれてきている。

 この親の元なら、今生でやりたい、

 したいと思っている経験を

 することができると。

 

 だから、自分がこの毒親を

 選んだ意味を知って、

 この親で良かったんだ、

 そのように納得できた時に、

 初めて癒されるのです。

 

 さあ、ユーリさんがこの親を

 選んだ意味はなんでしょう?」

 

この宿題は、なかなか難しくて

先生も数年かかって解く謎だと。

 

今回、愛される意味と理由を考えて、

愛に見える行為だけでは意味がない、

本当の意味の愛を与えたときに

愛されるのでは、、、という

考えが出ました。

 

これは、毒親に育てられなければ

気づかなかったこと。

宿題の、たくさんある答えの

一つかもしれません。

 

母は、季節の行事とか、お弁当とか

ごちそうとか、頑張っていました。

でも、それは

「ちゃんと親をやってる自分」を

大事な大事な世間様に向かって

表現することが最重要だったからです。

 

母は、私が本当に助けを必要としている時、

何ひとつ助けてくれない人でした。

面倒に巻き込まれたくないと

突き放す人でした。。。


母としての表面的な事のみ一生懸命で、

私はこんなに子どもの為に頑張ってるのに!

と、愛を得られない事に文句を言っていました。


なんか違うんだよね。。。

「必要な時」「必要な助けを」

「ふだんは自由にしてあげる」

が大事なんじゃないかな。