今日は、本当にやることがない。

せっかくナイジェリアにいるのに、一人だと危険だからとどこにもいくことができず、大好きなお散歩もできず、今教会でファスティング(わたしは朝と昼ごはんを抜く)をしているから、とくにご飯食べにいくとかもあまりできず、周りの人たちはもちろんだけど学生か働いているから私と自由に動くことはできず。

 



これは聞いていたことだったけど、1日一個は何かしらできるかと思ってしまっていた。でも、実際は家で時間を過ごすことが多い特に昨日と今日。でも、やることがなくてもピアノが自分にこの期間与えられていること、Wi-Fiがあることは本当に本当に感謝だ。

 


 

結構朝からピアノ弾いて、ファスティングしているので食べる代わりにその時間を祈りに当てる。そしていつもより聖書を読み、いつもより神様を近くに感じる。これができるのは本当に最高だ。

 

 

わたしは、アフリカ大陸とヨーロッパの地理も勉強した笑。意外とあんまり聞いたこともないような国がいくつか出てきて、とてもいい勉強になった。

 

 

やることがない時、時間がただただ無駄に流れているというふうに捉えやすいし、せっかくアフリカ、ナイジェリアにいるのに食べ物もろくに経験できないなんて、もったいない!っても思ってしまう。文句も言いたくなる。でも、こんななかから今与えられている恵みを数える時、自分には十分与えられているんだって再確認できる。めぐみを数えるって本当に視点を変えてくれる。

 


みなさんも、ないものよりあるものを数える日にしていきましょう!!

 

今日は、シドニーの友達が結構恋しい日だ。三年間ずっと一緒にいたのは特にコロナも一緒に乗り越えた仲間は結構気づかないうちに絆ができていたんだな〜。シドニーを去ってからもうすぐ2ヶ月になる。みんなそれぞれ人生の違うページを歩んでいて、私たちのグループの半分の世界中に帰っていった。みんな違う場所でそれぞれ歩んでいる。

 


みんな同じ空の下🥰


わたしの弟も今は日本にはいない。わたしが日本にかえっても彼に会うことはできない。会うことができないのは結構悲しいけど、それが人生ってことだよね。みんなそれぞれが自分の時期、季節を歩んでいく。人生の季節は友達たちと一緒のこともあるし、違うこともある。

 

 

現在、わたしの季節は誰ともあっていない。だから、結構みんなのこと考えると寂しくなったりしてしまう。でも、ここでたじろいだり自信をなくしたらわたしはきっと後ろ下がりしてしまう。だから、今与えられているものに目を向けて今、できることを考えて前向きに歩んでいく!


みんなも私に会えなくて寂しいだろうから、みんなに電話でもしよう👀😊😂

 

一月ももうすぐ終わりだ。あっという間だったな。色んなことがあって、色んな場所に行って、色んな人にあって、色んなもの食べて、いろんな文化に触れて、すっごく耕されてきた。気づきもいっぱい与えられた。さあ、次の時期の始まりに向けて準備完了させるぞ〜〜!

 

1月29日2023年

 

ナイジェリアの宗教の割合をみなさんはご存じですか?

53%のイスラム教と、45.9%のキリスト教でその他が0.6%です。(2018年の段階で)ですので、宗教は彼らの大きな一部で特にラゴスの方はクリスチャンがとても多いです。

 

 

そして、ちょうどダニエルというシドニーで出会った人(この人のおかげでこの旅ができている)の友達がカンファレンスをしているということで、そのカンファレンス”WINEPRESS”というのに参加することができた。



2万人が一つの場所や国境を超えて集まっていてその中で主の御業を次々とみることのできるこのカンファレンスはなんと5時間にわたるものだ。なんとも幸いに、前から2番目の席をもらうことができた。


賛美の感じ

 

 

今までもカンファレンスとかには行ったことあったけれど、今回ばかりは一人一人の温度が違った。みんな、本当に主に飢え乾いてひたすらに主をもとめ、喜びに満ちて賛美とダンスをする。賛美が始まった瞬間にみんなとんでもなくスイッチが入る。

 

 

そして、賛美もものすごくて本当にファイヤーって感じだった。生ぬるい態度でいってしまった1日目、自分の目で歩けなかった人が歩き始める、目がとても悪かった人がいきなり遠くのものがはっきり見えるようになる、聞こえなかった耳が聞こえるようになる、手や首にあったコブが気づいたら無くなってる、そして腰の痛みが完全に消える、などこれらの奇跡を見た時震えました。

 

 

こういうことって本当に可能だったんだ。。。そして同時にそれらがとても自然なことにも感じた。当たり前のように起きたしそれが起きた人の数半端ないから。

 

 

でも、ラゴスはまだまだ病院とかもたりてないし色んな意味で本当に教会は全ての答えがある場所。そして、貧しい人は本当に病院なんていけない。だから癒しの奇跡はこの地に不可欠なもの。それを自分の目で見れたことは本当にかけがえのない宝物、そして体験だった。

 

 

そして、それと同時に主がこれらを見せてくれていることはそして主を違う角度から見て味わったことによって、たくさんの新しいものが始まると感じた。

だから古いものやいままで起きてきたこと、経験に囚われるのではなく”今” 主がしてくれていることに目を向けて、決めつけたりこれがいい!って好き嫌いを作るんではなく柔らかい心でいく。

 

イザヤ43:18−19

はじめからのことを思い出すな。昔のことを思い巡らすな。見よ、新しいことを私は行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか。わたしは荒野に道を敷き砂漠に大河を流れさせる。

 

 

1月26日2023年