今日「スポーツ社会学」という授業がありました。
この授業は、
「ゲームの中のスポーツ(Wiiなど)はスポーツとはいえない」
というメジャーに行き通っている考えを
「スポーツは身体活動であるから」
という根本をくずすことで、考え直してみてほしいというのが主題です。
人間の今の考えというものは、
「過去の人からの影響」という変換機を通して
外に出てきます。
つまり、今ある考えは
「世の中のメジャーな考え」
というものに支配されてる場合が多いということなんです。
本題に入る前にもうひとつ話を。
「凍傷」という言葉は、日本人の私たちの中では
当たり前に存在し、
凍傷になる方も多くいます。
しかし、寒い地域である、北極か南極か忘れましたが、
そこに住んでいるイヌイットは、
凍傷にならないというのです。
それはなぜか???
それは、イヌイットの中に「凍傷」という言葉自体ないからだ
というのです。
私はこの話を聞いたときに
???
でした。
そりゃそうですよね?
私の中で凍傷は言葉を知っているし、
また、寒い地域ではなるものだと思い込んでいましたから。
凍傷という言葉がない、つまり凍傷という意識がない
イヌイットにとって凍傷にはなりえないというのです。
これだけではイヌイットの体が生理学的に
凍傷のできない体に対応したのだろう。
と考える人が少なくないと思います。
しかし、それは
人間の体が対応したのか
はたまた、言葉が生まれていないからならないのか
証明することなんてできないのです。
この根本になっているのはどんな考えかというと、
心身二元論という言葉があり、
これは「人間は心と体でできている」
という説です。
しかし、先生は言います。
「身体活動も、精神活動も結局脳が支配している」
痛いと感じるのも実は部位ではなくて『脳』
寒いと感じるのも
楽器を弾くのも
スポーツをするのも
実は『脳』
それを踏まえたときに、
ひとつの仮説が立てられます。
「言葉が生まれることで、脳はその実態を認知し、理解し、具体化する」
つまり、凍傷という言葉が生まれたから、
それがケガとされ、寒いとできると知られた。
だから、そのケガができる。
前置きが長くなりましたが、私が今日題にした、
『病気??』
というのも、これから派生した考え
昔は、精神の病気ってものなんて
認知されていなかった
へこんでいる子は、
がんばれって、めげんなって背中を押されて
また社会に出される。
多動が目立つ子だって
よく動く子だね、って普通の学級で育つ
それを、今は「病気」とする
それは、枠を決めてしまってるんじゃないの?
その子の可能性押さえつけてない?
病気って言葉に安心していない?
ってすごく思ってしまう。
でも私は、どっちが正解なのかわからないんだ。
病気の知識もない。
その子とおんなじ環境にいるわけでも、おんなじ気持ちになったんでもない。
だから、実際わからない。
でもね、人間の行動とかって
学問で研究されてるけど、
それを超える、違った行動、感情って人間には絶対あって。
だから、レールに乗っからないでほしい。
作り出された言葉にすべて従わないでほしい。
自分の脳をコントロールされすぎないでほしい。
違った見方も絶対あるはずだから。
って、ちょっと一人の友達にささげたい言葉なんだよね。
おしまい