この春まで私が講師をしていた朗読教室の入っているIBEI・国際教育比較研究所が事務所を移転したということで、引っ越し祝いを兼ねて約半年ぶりに顔を出してきました。

写真はありませんが、理事長夫妻は私の訪問をとても喜んでくださり、今後朗読教室を再開するにあたっての話を色々と。

最後の授業の際、生徒諸君は一日も早い再開を望む声を聞かせてくれましたし、良き方向に進むといいですね。




その後は渋谷へ移動→収録。

企業ものVPというかPR動画みたいなのです。

収録前に今回のディレクターである仲介業者の女性スタッフと話した時には「何番のボイスサンプルのような、兼定さんの一番ナチュラルでストレートな読みで」と言われたのですが、現場というのは面白いもので、録っていくうちに「もっと優しく」とか「もっと自信満々な感じで」などの注文が(笑)。

結局、私の思う私のナチュラルとはかなり違った出来になったのですが、自分で言うのもなんですけど、かなり良いのが録れた気がします(自分で言うなよ)。


正直、ここ数年この商売をやってきて痛感するのは、自分のナチュラルがなんなのか、自分自身ではわからないということ。

わかっているつもりでも、それはつもりでしかないということ。

これは昔芝居をやっていた頃にも似たような経験がありまして、本当に自分の胸の内から出た台詞、リアルな台詞を心掛けて、自分の思うナチュラルな芝居をしても相手には一向に届かず、もうめんどくさくなっちゃっておざなりに、わかりやすいベタベタな芝居をすると、相手役に「けんちゃん、あたし伝わったよ!」って言われたことがありまして…(例えが悪すぎたか 苦笑)。

結局は、自分がナチュラルにやっているつもりでも、聴いている人間に伝わらなければ意味がないわけで。

聴いている人間が何を言おうが自分の方法を変えない、もしくは、伝わらないのは相手のせいだとか言い出したら、それはマ○ターベーション以外の何者でもないですし、そんなマスター○ーションの手伝いにカネを払う人などいないでしょう(こっちがカネを払えばマス○ーベーションの手伝いをしてくれるところなら今日のスタジオの近くにいっぱいありましたけど 笑)。


芝居にせよナレーションにせよ、多少、というか、それなりの脚色をしないことには伝わらないものです。

その脚色の仕方にどんなセンスを出せるかが、プロとしての力量なのではないかと、最近身をもって感じております。

そしてそのセンスというものは、昨日今日でサクサクっと体得できるものではなく、長い年月をかけて、自らの日々の稽古の中で試行錯誤を重ねながら、多くの現場を踏み、多くの人の言葉を聴きながら、少しずつ体得していくものなのではないかと。


…やはり音声の世界は一筋縄ではいかない、本当に奥が深いものなのだなあとしみじみと感じている、秋の日の私でした。



喫煙所にある壊れた時計。

こういうアメリカンレトロな雑貨っていいですよね。

こういう雑貨を売っている店って、大抵海外の怪しげなお香とかも売っていて、高校時代にやたらとそういうお香にハマっている友達がいたことを思い出しました(笑)。



お疲れ様でした。


明日は数日前に納品した案件の修正がありますので、今日のテンションをキープしたまま寝ようと思います。

おやすみなさい。