魂はちゃんと伝わる | POP RADIO WEB

魂はちゃんと伝わる


普段、普通に歩いているとあまり意識しないけれど、もし自分が車椅子で移動するとなると、街の作りはかなり不便であることに気付く。段差が多いし、あっちもこっちも、普通に歩けることを前提にして、というか、ほとんど何も考えられていないかのような街作りになっている。

彼がいつから歩けなくなったのか、僕は知らない。とくにそういう話をする機会が今まで無かった。物心ついた時にはすでに歩けなかったのか、途中から歩けなくなったのか。心に与える影響はどっちも同じとは言えないと思う。

そんなことをふと思ったのは、彼の音楽を聴いたからだ。僕がステージは怖いところだな、と思ったのは、あの場所はどんなに取り繕っても、本当のことが丸見えになってしまうという点だった。音楽は、ごまかしが効かない。だから、普段から真摯に取り組んでいかないと、それが全部ステージに出てしまう。

肉体が心に与える影響は大きい。太っている人と痩せている人では思考が違うし、背が高いと低い人でも、変わるはずである。歩けないとか、手が使えないとか、そういうものも僕は一緒だと思っている。僕で言えば、十代の頃は喘息でまるっきり走れなかったから、丈夫でたくさん走れる人と僕との考え方はかなり違う。そういうことだと思う。

便宜上は障害者とか言われているけれど、そういうものは全部個性だと僕は思っている。ただ太っていたり痩せていたりしても不便なことはあるし、その延長線上で歩けないとか手が使えないとかがあって、それはより不便なことがあるということだと思う。それ以上特別なことはないという風に僕は思う。

ただそれが表現に向かえば、自然に身体と心、すべてが反映される。Toshiさんは歩けなかった分、より前向きに、心が強くなったのだと思うし、歌からそういう力強さが十分伝わって来た。彼自身の元々の資質と、体の不便さみたいなものがそれをより強くしたのだろうと思う。そういう土台があって、ああいう歌が生まれたように思う。

繰り返すが、それが個性なのだと僕は思っている。個性に良いも悪いもないから、僕はただそれを見て、面白いか面白くないか判断するだけだ。Toshiさんの取り組み方というか、あの突っ込み方は僕には面白いし、それはやはり、車椅子での生活という要素から生まれた精神面での表現も含まれていると思う。僕には偏見も何も無いから、普通にそう思うだけで、もちろん、それがすべてでも無い。僕が見た感じでは、自分の中にある要素はすべて歌に叩き込んでいるように思えた。

Toshi igさんと会ったのはひななっちゃん☆のワークショップの時で、それ以降、彼はよく、僕のバンドのライブに足を運んでくれるようになった。そんなわけで、今日は逆に、彼のソロライブということで、僕は仕事が終わると東京を縦断して(笑)、千葉まで出向いて行った。

到着すると、Miifyが居た。Toshiさんがゲストして呼んだそうである。そういう人のつながりも面白いなと思う。Miifyはまさか僕に会うとは思っていなくて、びっくりしていた。

ToshiさんもMiifyyも、まっすぐで強い人だと思う。いろいろな事を思った、濃い時間だった。その場にいる二人のことだけでなく、ひななっちゃん☆とかとっととか、いろいろな人のことを思った。

みんな軸がぶれなくてまっすぐで、素晴らしいなと思う。僕はずっと、軸がぶれっぱなしで、どうしようも無いのだけど、この人達がみんな、自分に一目置いてくれている現状を見ると、自分にも何かあるのだろうと思う。なにかあるのなら、もうひと仕事しなきゃあいけないなと、帰りの電車の中で思った。

演奏後、Toshiさんは額に汗をかいて、充実感に溢れた顔をしながら、ビールを飲んでいた。やれることはやりきった、満足感がにじみ出ていた。それで、いいと思う。音楽にそういう風に向かえるなら、それでいいじゃないか。

Miifyは、帰りの挨拶で「それじゃ」と言って手を出したら、両手で僕の手を上下に挟んで来た。握手するつもりも無かったのだけど、バン!って挟んで来たのだった。ダンサーの人も来ていて、紹介されてお喋りをして、それじゃ帰るよと言って手を出したら、今度はハイタッチして来た。うん、わかるよ。Miifyの気持ちは伝わった。今夜はそういう夜だった。ToshiさんもMiifyも、そういう夜だったね。僕も、そういう気分だったよ。

思いは伝わる。魂は、ちゃんと込めれば、ちゃんと届く。これは僕の実感だ。そして、ToshiさんやMiifyもまた、そのことを知っている人達なのだと思う。