子鬼のパンツ
あかあかと燃えるストーブに、やかんとおもちが一つ、のっています。
お留守番のなおやは、小皿にしょうゆをついで、ストーブの前にすわりました。
しゅうしゅう、かたことこと、ぷしゅん。
おもちがわれてふくれ、おいしそうなきつね色になりました。
外はこがらしがふきあれ、窓をばたばたとゆらします。
なおやはおもちを食べながら、ひと月まえの、正月のことを思い出しました。
(いとこのゆうたとみいこも来たし、まだ独身のおじさんは、かわいい子犬をつれてきたんだ。白くて毛がくるくるしていて、鼻ぺちゃの・・・)
「あん!」
子犬がなおやのとなりにいて、吠えました。
お母さんが言っていました。犬というものは、人間が自分について話したり思ったりするのが、わかる生きものなのよって。
この犬、えつこは、おじさんが仕事のために引っ越すことになり、飼えなくなったのでここにおいていったのでした。
子犬は女の子でした。まだ名前もなかったので、なおやがえつこ、と名づけました。亡くなったおばあちゃんの名前です。
「犬らしくないわねえ。でもまあ、いいか」
と、お母さんは笑って言いました。
お母さんは、今日も仕事に出ています。出かける前になおやに、
「恵方巻きというおすしを買ってくるから、帰ったら豆まきをして、それから食べようね。最後までだまって食べるのよ」
と言っていました。
今日は二月三日、節分の日です。
「えつこの分も買ってくるかなあ?母さん」
なおやは言いながら、おもちを食べ終わりました。それから、ずいぶんくふうして作った鬼の面を用意して、母親の帰るのを待ちました。
(帰ってきたらこれをかぶって、玄関に立っているんだ。うふふ、本物の鬼が来たと思うかな)
風がさらにあばれ、家をゆさぶります。
がらーん、ごんごん、すっとんとん・・・どしん!
何かが屋根をころがって、地面に落ちたような音です。
なおやはどきどきしたので、テレビでも見ようと、リモコンをさがしました。
すると、おいおいと泣く誰かの声が、風に負けず聞こえてきました。家のすぐ前のようです。
なおやは玄関に行ってみました。えつこもなおやを追いこすようについてきます。
ドアの向こうから泣き声が聞こえます。
(となりのぼうやかもしれないぞ)
なおやはサンダルをつっかけ、えつこが出ないように、ドアを少しだけ開けました。
冷たい風がすき間からふくらみ、入りこんできます。息がとまるほど、冷たい風です。
そこに、小さな人影が見えました。
うそだろう?なおやは何度もまばたきしました。
鬼の姿をした小さな男の子が、大きな目に涙をためて、なおやを見ています。
裸に毛皮のパンツをはいて、いがのついたこん棒をぶら下げ、もじゃもじゃの巻き毛の間に小さな角が、つんつんのっています。全身が、足のつま先まで赤さび色なのです。
なおやはつばを飲みこみました。
「この木がじゃまをして、ここから先に入れねえんだ。うおーん、おーん!」
男の子はなおやにうったえると、さらに大声で泣きました。
なおやは誰かいないだろうかとまわりを見ましたが、風が吹くばかりで車も通りません。
しかたなく外に出て、ドアを閉めました。
「何がじゃまなの?このぎざぎざの葉っぱのこと?」
玄関先にはヒイラギが植わっています。
「そうだあ」
男の子はおびえながら、木を見上げています。
「家の中に入って悪さするか、食べ物をとってくるまでは帰れねえんだ。おいら、どうすればいいんだよう。うおーん、おんおん」
鼻ちょうちんを作り、世にもあわれに泣いています。
「うら庭から入ればいいだろう?」
なおやは言ってしまいました。こんなあやしいやつを家に入れていいのかな・・・。母さんもすぐに帰ってくるし。
なおやはいま一度、この小さな鬼をながめました。
(それにしてもうまく化けてるなあ。母さんもあんなお面よりも、この子を見たほうがよっぽどびっくりするだろう。おもしろくなるぞ)
なおやは、秋のもみじのような小さな手をひいて家のうらにまわり、庭に入りました。
「なっ。ここなら大丈夫だろう?」
男の子は庭を見わたすと、鼻をふくらませてふんふんにおいをかぎました。
垣根のさざんかが、大きな花をいくつもつけています。花壇ではひな菊やパンジーが風にたえてゆれています。
えつこがガラス戸ごしに、あんあん、吠えたてました。
「あれは何だ?うまそうだなあ」
「あはは!鬼だからって、えつこを食べちゃだめだよ!腹がへってるなら、もちがあるから焼いてやるよ」
「もちかあ、いいなあ」
男の子がよろこんだので、なおやは戸を開け、部屋に入れてやりました。
えつこは部屋中走りまわり、大さわぎです。
「ちっこくてすばしっこいなあ。ほら、ぶつかるぞ」
おもちを焼くあいだに、えつこと子鬼はなかよしになっています。
「いいにおいがしてきたぞお」
男の子は焼きもちを一つ食べると、もっともっととねだり、六つもたいらげました。
「そんな小さな体でよく入るなあ・・・」
なおやは感心しながら、ふくれた腹を見つめました。
「ずっとそんなかっこうでいて、寒くないの?」
「寒いなんて、産まれてから一度だって、思ったことねえ」
なおやは、しょうゆがぺったりついた、男の子の口を拭いてやりました。赤い顔色は、ごしごしこすってもとれませんでした。
「見かけない顔だけど、どこから来たの?」
「あっち」
爪のとがった指先をぴんと立てて、窓の向こうをさしています。窓からははるか遠くに、雪のかぶった山が美しく、つらなるのが見えます。
「もちはうまいなあ。いつもはねずみばっかり食ってるもんなあ」
「ね・ず・み?」
なおやは声がうらがえりました。
「保育園で、桃太郎の劇でもやっていたんだろう?そうか、今日は節分だから、鬼のかっこうにしてもらったんだな」
「桃太郎って何だ、うまいのか?山には動物がたくさんいるんだ。だけどおいらはなかなかつかまえられねえ。父ちゃんなら、猿も熊も人間だって、つかまえられるよ」
(これは劇のセリフなのか?それにしても、ずいぶん変な子どもらしいぞ)
と、なおやは思います。
(母さんが帰ってきたらいっしょに豆まきをして、鬼は外―!って豆をぶつけたら、きっとまた泣きそうだな)
なおやが腕を組んで考えていると、玄関のチャイムがなりました。
「母さんだ。ちょっと待ってて」
なおやは玄関に行こうとして、足もとにあるこん棒をどけようと思いました。
ウンともスンとも動きません。
ええっ?これ、どうしてこんなに重いの?
おもちゃのバットくらいの、小さな棒です。それを男の子がつかみ、ほいっとほうり上げ、自分の肩にのせました。
なおやはしばらくつっ立っていましたが、すぐに玄関に行きました。えつこが先にいて吠えています。
「ただいま。どうしたの?そんな顔して。お腹でも痛いの?」
お母さんが買い物ぶくろをさげて、家に入りました。えつこが足もとにまとわりつき、甘えています。
「母さん、ちょっと待ってくれる?おーい」
なおやは呼びかけました。
「あら、友達がいるの?もう遅いから帰ってもらう方がいいわよ。おうちの人が心配するからね」
なおやはあわてました。
「おいったら!母さんが帰ってきたんだ」
言いながら部屋に入ると、やかんだけがちゅうちゅう音を立てています。
「あれ、どこにいるんだろう?トイレかな」
お母さんもいっしょに、トイレの中も見ましたが、家中どこにもいません。
なおやはもう、何と言えばよいのが、わからなくなりました。
「誰が来てたの?母さんの知らない子?」
「うん。かなり変わった子だよ。おもしろかったけど」
なおやはがっかりして、つまらなくなりました。
それで鬼の面をかぶり、お母さんとえつこを、追いかけはじめました。
「ちょっと待ちなさい。豆、豆」
お母さんは買ってきた豆を持って、鬼と戦いました。
「鬼は外―!鬼は外―!福は内!」
えつこもずっと走りつづけて転がって、なおやもお母さんも笑いすぎて疲れ、すわりこみました。
「あはは、楽しかったねえ。お腹すいたわね」
おすしを用意しようと、お母さんは台所に行きました。なおやもえつこもお尻にくっついていきます。
「あら、おもち、ぜんぶ食べちゃったの?」
お母さんが冷蔵庫をあけて、言いました。
冷凍にしたおもちは、まだまだたくさんあったのです。それがまるまると、なくなっていました。
「うんとね、友達と、ぜんぶ食べちゃったかも・・・」
なおやは目をきょろきょろさせました。
お母さんは不思議そうな顔をして、なおやを見つめています。
なおやは聞いてみました。
「ねえ母さん、鬼ってほんとうにいるのかな?」
「さあねえ、昔はいたんじゃないかしら。今は鬼の住むような山も森も、少なくなってるでしょう」
「そうか、昔はいたのかあ」
あっちから来た、と言って山を指さした男の子を、なおやは思い出しました。
それからお母さんが、明るい声で言いました。
「あのね、福鬼といって、心を入れかえた鬼は、人間を助けたり守ったりしてくれるんだって」
それを聞いてなおやは、また鬼の面をかぶり、残った豆をかかえました。
「福鬼はー内!」
何度も言いながら、家の中に豆をまきました。えつこがふがふが拾い食いするのを、お母さんがやめさせていました。
恵方巻きを窓に向かって立ち、だまったまま食べ終わると、お母さんが言いました。
「そうだ。もうえつこをお散歩につれていかなくちゃね」
この前えつこは何度目かの予防注射を済ませたので、もう散歩につれていっても良いですよ、と獣医さんに言われたのです。
「行こうよ!今からさあ」
なおやはすばやくえつこをつかまえると、買っておいた新品のリードをつけてやりました。
すっかり暗い夜道です。
風はさらに冷たく、耳もほっぺもちーんと冷えて、手がかじかみました。
「寒いや。今日はもうこれくらいにして、帰ろうよ」
あんなにはりきっていたなおやがぽつり、もらしました。
「そうね。ほら、赤信号よ、止まりなさい」
猫背になっていたなおやは、はっと横断歩道の前で止まりました。えつこだけが元気で行きたがり、首をぶんぶんふりました。リードがすっぽり、ぬけてしまいました。
「あっ!」
「えつこっ!」
なおやとお母さんがさけんだ時、えつこはもう道路のまん中にいました。トラックがすべりこんできました。
「きゃあ!」
お母さんの声がひびき、なおやは目をつむりました。目を開けたとき、えつこは宙に浮いていて、道路の反対側まで飛んでゆきました。
「えつこーっ!」
トラックは行ってしまい、信号が青にかわりました。
うそだうそだ!見たくない・・・!と、心ははれつしそうでしたが、足はしっかりえつこに向かいました。
「えつこ!」
「くーん、きゅんきゅん」
「まあ!」
「・・・!」
えつこは何がおこったのか分からずに、くるくる回り出しました。
「えつこー、大丈夫なの?」
お母さんが抱き上げると、小さな体に巻きついているものがあります。もこもこふわふわしていて、外灯に照らして見ると、なおやは、あっ!と声をあげました。
これは、見おぼえのあるものです。トラのもようで毛皮の・・・パンツです。
「何これ?風で飛んできたのかしら?これのおかげでえつこ、大丈夫だったんだわ!」
お母さんは泣き笑いして、何度もえつこにキスしました。
家に帰ってからもお母さんは、くっくっと笑っています。
「だって、毛皮のパンツだよ?」
あの後帰ろうとするとえつこは、パンツをくわえてはなしませんでした。それでちゃんと持って帰り、自分の寝床に入れてもらったのです。今ではすっかりパンツにあごをのせて、眠っています。
「それにしても不思議ね。名前をえつこにしたから、おばあちゃんが守ってくれたのかしら」
お母さんは母親のことを思い出したのか、また涙ぐんでいます。
なおやは今日という日は、色んなことがありすぎたのでぐったり疲れ、早々と寝ることにしました。
あいかわらず風はひゅるひゅる吹いています。
なおやはふとんに入るとやっぱり、昼間のことを思いだしました。それからお母さんから聞いた、福鬼のことも。
「鬼かあ・・・」
なおやは声に出すと、ぷっ、とふきだしてしまいます。だって、あんなにちびで泣き虫の鬼なんて、いるんでしょうか?
まぶたがとろりと重くなり、眠りそうになると、ざざっと庭で音がしました。
なおやは目をあけて、はねるように起き、カーテンを開けました。
まっ赤なぷりぷりしたお尻が、垣根にこしかけています。
スモモのようにまん丸な裸のお尻が、ぷりんぷりんと、さざんかの間に浮いては消えて、すっと見えなくなりました。
なおやは星空を見すえて、影のような遠い山をさがしました。
するとあの声が風にのって、なおやの耳にとどきました。
もち・・・ありがとう・・・きっとまた・・・くるから・・・なあ・・・。
おしまい