国上寺(燕市)  | 縄文のIsland

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朝、9時頃まで今日は何処にも行かないかもと思っていましたが、10時頃になり、良寛さん縁の地に行ってみようと思いました。私は良寛さんを理解したいという心が数年前からあったりします。名前は知っていますが、何がすごいのかわからないのでわかりたいという気持ちがあります。


一年前位に購入した良寛さんの本を頼りに行くところを探しました。燕市に国上寺(こくじょうじ)という越後最古のお寺があり、その近くに良寛さんが過ごされた住処があるというので、行ってみたいという気持ちが湧きました。


国上山(くがみやま)の中腹に国上寺はあり、国上寺に向う山の麓、道路の左手に「乙子神社」の看板がありました。良寛さんは20年過ごした「五合庵」から老朽化と山坂の登り降りが身にこたえたため、乙子神社の社務所へ59歳の頃移り住んだそうです。


乙子神社の御祭神は天照皇大神と建諸隅命(天香山命の末子)(乙子とは末子の意)だそうです。


良寛さんが20年過ごしたとされる五合庵は国上寺の方丈護堂の先、5分〜10分程山を下った先にありました。


国上寺は真言宗豊山派の寺院で、本尊は大日如来を祀っているそうです。


開山は泰澄大師によってなされたそうです。本堂で本尊の左側に「泰澄大徳」とお祀りされていたので、泰澄大師が何か関係されているのだろうかと思ったのですが、そのようです。ぐるっと本堂の裏側を回ってみると、閻魔様の像が見られました。


本堂と大師堂の間に登山口があり、30分程で山頂へ行けるようです。私がお詣りしていた時も3人のグループの登山者を見かけました。


本堂左手側に六角堂があり、大黒様をお祀りしていて、その大黒様は源義経が彫ったものなのだそうです。国上寺に一時身を隠していたという言伝えがあるそうです。


乙子神社の社務所はこんな感じだったのだろうという感じで再建されたもののようです。五合庵も再建されたもので、良寛さんはこの場所で過ごしていたのだなという思いを馳せる感じでした。


国上寺は、弥彦神大明神の神託によって泰澄大師が創建したそうです。今の弥彦神社に天香山命が祀られる前に、この地に元は祀られていたという立て札がありました。


国上寺にお詣りした後、ここまで来たのだからと、弥彦神社まで行ってみました。


その後、加茂市にある青海神社に行きました。良寛さんは度々加茂に托鉢に来ており、親友の医師を偲んだ歌碑があるという青海神社へ行ってみたいと思いました。


一の宮である弥彦神社へ行った後なので、そのまま帰りたいのですが、思った時に行かないと次はないかもしれないので、その時の気持ちで行ってみました。


乙子神社へ



乙子神社

このような感じだっただろうと再建されたもの

国上寺本堂へ

本堂

登山口

六角堂

大師堂



五合庵へ

五合庵



弥彦神社