縄文中期の人達はシュメールから来た | 縄文のIsland

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(1)十日町に住んでいた縄文中期の人達はシュメールから来た。彼らがいなくなったのは雪が原因。温暖だったが雪が降るようになったので移動した。南米に行った。

=縄文中期の人達はぱっと出現して、ぱっといなくなった人達と聞いたことがあります。アカデミズムでは縄文中期の人達が何処から来たかはまだわかっていないのではないかと思います。大陸から船で渡ってきたのでしょうか。

渡って来たとして、どういう経路を辿ったというのを考える時に、白山神社を辿ることはひとつのヒントになるのではないかと思います。何故かといえば菊理援命様は縄文と関係している神様のようだからです。さらに火焔型土器により関係が深い神様のようだからです。

シュメール(イランイラク辺り)
→クンルン山
→白頭山
→石川県にある白山比め神社
→糸魚川市にある能生白山神社
→新潟市の白山神社
→長野県の戸隠神社
→十日町市
→浦佐の白山神社
→箱根の九頭龍神社
→秋田県の白山山地
→十和田神社
→十勝
→南米へ

こんなイメージで考えて見ました。

白頭山もハク頭、八九頭(八頭龍、九頭龍)、もしくは八九十と考えたら経路だったかもと考えられます。十勝も、十日町とほぼ同じ字義だと思うのでいれてみました。

十日町には火焔型土器の国宝1号が出土しています。中条の笹山という所からの出土です。笹山陸上競技場の隣に発掘のための施設兼展示所兼発掘物作業所的な建物があります。そこで言えば土器の発掘された土器を見たり、土器の破片を触らせてくれると思います。少し前まで発掘に一般市民が(募集して)参加していました。今は多分仕分けなどのために中止になっているのかもしれません。中里(十日町から25分くらいの所)にある「なじょもん」というところにも土器の展示をしていて(まだ行ったことがないですが)、こちらも言えば土器に触らせてもらえると思います。十日町博物館には国宝認定を受けた火焔型土器が展示されています。とても存在感があります。

シュメールというのは、イラクのティグリス、ユーフラテス川一帯で栄えた文明のようです。大洪水後のポストアトランティス時代の最初の文明でしょうか。シュメールのことはゼカリア・シッチン博士が解読した書物が翻訳されたものがいくつかあります。それらを手掛かりにして考えていけば何か見えてくるものがあるでしょう。ゼカリア・シッチン博士の話はほぼ真実だそうなので、過去の文明の秘密を知る上でとても大切なものだと思います。いずれシュメール、ヒンズー、インド、道教、神道の神々の関係が繋がって見えてくる日が来るのではないかと思っています。