「キンポコ」と一緒に社会問題を考えていくシリーズへとなりかけている本稿6弾です。

いよいよ、大勢の視聴者をムラムラ(=モヤモヤ)させている例のシーンの解説に入ります。その2、その3で書いたものについても簡単にまとめて記述してありますので、どうぞ気軽に進めてください。

 

 

*以下ネタバレです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マタがいなくなった後、地球におけるドン・クラーイの支配の影は一層顕著に現れるようになります。朝のニュースでは、いきなり「年金問題解決」といったあり得ないようなプラスのニュース、続いて「日本マナー法」とかいうとんでもない悪法の成立、そして唐突に日本国をべた褒めし始めるアクション仮面....... テレビに映る不可解な事象に野原家は困惑するしかありません。外に出ても、男性専用車両を真の男女平等と高らかに笑う意味不明な会社員、会社では一気に重役にまで出世してしまうひろし、幼稚園では笑っているだけで「細かいことを気にしすぎ」、「これでいいと思う」とのたまう防衛隊の4人。そんな外界の変化に、野原一家はただただ違和感を覚えるばかり。

そして、帰宅したしんのすけが窓に埋め込まれたパズルのピースを外した瞬間、黄昏色に染まった景色がたちまち崩れ、夜の光景が姿を現しました。その時みさえとひろしは、しんのすけが連日話していたことが真実であることにようやく気付くのです。

 

 

 

この一連のシーンは、これまで視聴者の中に鬱憤を貯めこませていた、ストレス社会の日常のシーンと見事な対比を成しています。ここで、もう一度それぞれのシーンをおさらいしながら説明していきましょう。

 

先のその2、その3に書きましたストレス全開のシーンでは、家事や通勤、勤務、夫婦喧嘩など、個人のことで精一杯で、しんのすけ以外、誰も背後に迫る脅威に対して目を向ける者はおらず、真実を語るしんのすけに耳を貸す者はいませんでした(みさえを困らせるほど泣くようになったひまわりだけは異変を感じていたはずですが)。加えてテレビでは、政治家の汚職事件や環境問題、経済問題、家庭問題などが大々的に報じられ、まさに世紀末といった描写がなされています。

それが、後のシーンではネガティブなニュースは一切消え、テレビの番組には政治家が登場するようになり、些細な罪で死刑になるような法が通り、子供向けのヒーロー番組はプロパガンダ的な番組へと急変。我々視聴者から見ても絶対に不自然なのに、「これぞ真の男女平等」、「これでいいと思う」と、一般市民は不平を一切言いません。

 

これらが意味することは実に明快です。前者は報道の自由が守られ、民主主義、個人主義にまみれた日本を、後者は報道もまともにできない、民主主義も人権も糞もない、人民が政府に逆らうことを許されない共産主義の中国を表しているのです。現在のコロナウィルスに関する報道の両国の違いを例にとると、日本は野党が意味のない批判を繰り返している様子や、政府の対応の甘さなど、マイナスのニュースもしっかりと報道しているのに対し、中国はというと、コロナの収束や経済の復興といったプラスのニュースは報道しますが、中国政府に不利な情報は報道しません。そして、武漢におけるコロナウィルス発生の最初の兆候を匂わせる記事に限らず、今度はウィルスが中国由来であることすらももみ消そうという中国政府の姿勢。このような言論弾圧、事実隠蔽、厳重な検閲など、(一部北の国を除く)他国に類を見ない中国の監視体制が日本に反映された状態、それが、後者のシーンで描かれていることなのです。そして、最終的には社会がそうなっていることに誰も気付かぬまま、日本は闇に包まれていた、という流れになります。一見無駄だと感じていたシーンの連続が、日本における中国共産党のサイレントインベージョンを克明に表現していたのです。

 

このように並べてみると、社会問題といったニュースをしっかりと報道してくれているシーンの方に逆にありがたみを覚えるかもしれません(日本のメディアに関しては偏向的なところも多いですし、ネトウヨや政治家による表現の自由の侵害もありますが... )。そして、それこそが本郷監督のメッセージを裏付けるものになるのですが、それはまた後程。

(*前者の影響がドン・クラーイによるものなのかどうか、現時点では私にもわかりません。少なくとも、当時の日本人にとって中国のサイレントインベージョンというのは、ドンクラーイの脅威を語るしんのすけに対する組長先生の反応のように、夢、果てはサンタクロースやなまはげ、ツチノコのような存在だったのでしょうね。)

 

 

 

今回も少し短くなってしまいましたが、この映画が単なる現代社会の皮肉を表現した作品でないことはおわかりいただけたでしょうか?あくまでもアニメ映画ですので、かなり誇張された表現になってはいます。それでも「キンポコ」は、現代社会の実情がふんだんに描かれた、日本式「サウスパーク Band in China」であったとも言えるでしょう。

 

次回、「ボイン姉、死す」!