2008年4月19日に公開された双葉社創立60周年記念作品、映画クレヨンしんちゃん16作目「ちょー嵐を呼ぶ 金矛の勇者」。映画の公開記念に販売されたチョコビ いちご味(バンダイ×東ハト)、付録の映画限定シールは私の記憶にも依然顕在です。

 

Amazon 映画クレヨンしんちゃん ちょー嵐を呼ぶ 金矛の勇者

 

しかし、この「キンポコ」は、クレしんファンにとっては「劇しん切っての駄作」と称されるほど強烈な批判を受けました。ストーリーのテンポの悪さや支離滅裂性、悪役の弱体化など、理由は様々です。劇しん1作目から、本作のベースであり、かつ人気の高い4作目「ヘンダーランドの大冒険」を手掛けた本郷みつる監督の作品とは思えないという批評もちらほら。デザイン性やアクションなどを評価する視聴者もいる一方、久しぶりにクレヨンしんちゃんを観て、外れを引いたと吐露する視聴者も少なくなく、むしろ「アンチ・キンポコ」の主張が目立つ感じがしますね。実際、Amazonにおける評価もこの映画のみダントツで低いです。

 

 

 

このようなことから、双葉社創立記念のために制作されたはずの映画は、2020年現在に至るまで劇しん界の恥としてけなされ続けてきました。

 

 

本当にそんな作品を本郷監督が望んで制作したのでしょうか。望んでいなかったにしても、これまでの監督の実績を考慮すれば、このような結果にまでなるのは逆に不自然です。私も、この映画の重要性について模索しようと何度も試みてきましたが、私の小さなお頭では、そのメッセージ性を正確にとらえることは困難でした。結果的に「キンポコ」は、劇しんの中でも唯一、筆者の脳内でモヤモヤしたまま残存する悩みの種と化したのです。

 

そんな時、昨今のコロナショックに伴う世界情勢の変化が、この映画のメッセージ性を捉える糸口を提供してくれました。改めて考えてみれば、なぜ今まで気付かなかったのか、と思えるほどに単純なヒントがいくつも隠されていました。そうやって自分の洞察力のなさに幻滅する一方で、本作品が、公開当時の、ひいては現在の国家や国際問題に関するトピックを巧妙に包含していることに総毛立つのを覚えました。筆者を含めた視聴者は、透明な主幹の周りに浮かぶ枝をただただ眺め、拾い集めていたにすぎなかったのです。その透明な幹が見えるようになった時こそが、過去最低の駄作が、一気に次回作以降の作品をも凌ぐ歴代最恐のトラウマ映画に成り上がった瞬間でした。

 

本稿は、本作のストーリーの各所について様々な動機付けを行いながら徹底解剖した結果を、数回に分けて順番にだらだらと記していくだけのものです。先に忠告しておきますと、この話は日本の、そして、あの悪名高いお隣の赤い国の闇の部分、この映画なりに言えば「ドンクラーイ」部分を明確に記すものなので、政治的な話が苦手な方は要注意を。また、以降はすべて、私が本作品を視聴しながら延々と理由付けを行った結果に過ぎないので、あまり鵜呑みにするのも推奨しません。その他、私が考察する本作の主題とあまり関係ない部分はなるべく省いていくようにしますが、コラムとして少し紹介することもあるのでどうぞよしなに。

 

*以降、すべてネタバレですので、先に映画を視聴されてから読み進めることを推奨します。原則として映画に関する画像は貼り付けませんのでご了承ください。場合によっては歌詞の引用もありますが、何しろ歌詞自体が少ないので、引用の域を超えないようになるべく努力したいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まず、冒頭から紹介される「金の矛と銀の盾と選ばれし者」に関する伝説。

ストーリー終盤でオカマ役の「ドウドウ(銅鐸)」を演じる屋良有作さんのナレーションから、ドン・クラーイ世界の王「アセ・ダク・ダーク」と、反逆者である「マタ・タビ」の戦闘シーンで映画はスタートします。

 

 

当作品の重要アイテムである「金矛」が、この時点で登場していますが、そもそもこの矛の役割とは何なのでしょう。

ご存知の通り、「チ〇ポコ」という下ネタとの語呂合わせであることに変わりはありません。しかし、それにしてもなぜ本郷監督が矛と盾を題材に用いたのか、ということの論理的な説明にはなりません。

 

思い出してほしいのは、中学でも習ったことのある、「矛盾」という中国の格言です。この映画は、「矛盾」という漢文をモチーフにした伝説から始まっている、これが意味することはただ一つ、「この映画は中国に関する話である」という、基本的な話題の提示です。戦闘シーンで描かれる雲も、どこか東アジアの宗教画っぽいタッチになっていることにも注目してみると、「この作品は中国を題材としているんだよ」というメッセージが、映画の冒頭で提示されていることがよりよくわかるはずです。

 

なお、矛と盾の作中での意味について、さらにもう一つ別の見解がありますが、それはストーリー終盤において解説しますので気長にお待ちください。

 

 

今回はひとまず、最初の入りとしてここまでにしましょう。次回では、映画の中では人気のある、あの挿入歌が登場するシーンについて、詳しく記していきますね。