ぷりんです。

 

本日は「ぼくの稲荷山戦記」をご紹介いたします。

こちらも「たつみや章」さんの作品です。

こちらの作品は、これから子供と読む予定です。子供とこんなお話ができるといいなと思うところを書きたいと思います。

わたしは、「たつみや章」さんの作品が大好きです。図書館でお借りしたこの本をみますと、1992年発行、2012年第20刷発行となっています。当時は人気作品だったのだと思いますが、現在ではあまり知られていないようで、図書館ではいつでも借りることができます。それはそれでありがたいのですが、しかしできれば、もっとたくさんのお子さんにお読みいただきたい作品だと思いブログでご紹介いたします。

 

1回では書ききれませんので、前後半に分けて書きたいと思います。

 

物語前半のあらすじをご紹介いたします。

 

主人公(主役)は森田守君中学生の男の子、彼の目線で物語が語られます。

マモル君は祖母と二人暮らし、裏山の稲荷神社を巫女としてお守りする女系家族ですが

マモル君は一人っ子で男の子です。ですが神様を視る能力があります。

 

マモル君のお母さん(美佐代姫と神様から呼ばれている)はマモル君が小さいときに亡くなっています。巫女の役目は、マモル君の祖母が務めています。

 

そんなある日、マモル君の家に、守山初彦さんという男性(イケメンです)が訪れます。実は、守山さんは稲荷神社の神様の一の眷属で、真名を「初音」と言います。

本来はキツネの姿です。

 

守山さんはある使命のため、人の姿と、大学の考古学教室に所属するという肩書を持っています。その使命とは、稲荷山開発計画の白紙撤回です。作品タイトルの「稲荷山戦記」はここからきています。

 

開発阻止の理由は二つです。

1つは、稲荷神社のある稲荷山は、すでに一部が宅地開発され、自然環境が破壊されています。自然のエネルギーを力とする神様(マモル君は「ミコト」様と呼んでいますのでこれに習います)にとっては大変な痛手で、マモル君から見てもつらそうな状況です。

 

そんな中、最後に残された神社と裏山の古墳も含めて、レジャーパークとする開発計画が進行し、市有地の買収も完了し、開発許可も出ているらしく、工事着手寸前です。

 

古墳のある稲荷山からは海を見渡すことができる気持ちの良い場所で、開発計画が興ることもわからないではありません。しかし、神様の眷属としては、神様を苦しめる開発は断固阻止したいわけです。

 

もう一つは、人間が開発することにより犠牲となる様々な生物たちへの思いやりです。

生活の場を失う動物や昆虫たち、無残に刈り取られる木々や草花、その無数の魂の悲鳴が守山さんには聞こえます。何とかして助けたい。

 

また、ミコト様を助ける潮彦というわだつみ(海)の神様のもとにも、海岸の埋め立てや護岸工事による自然破壊により、卵を産む場所を失った魚たちが泣いて苦情を申し立てます。

 

マモル君は、ミコト様の様子や自然が破壊された結果の意味を知り、稲荷山戦線に参加します。そして守山さんに言います。「人間って・・・悪い奴なんだね」

しかし守山さんはこう言います。「そうではない、すこしばかりまちがっているだけだ。お主様(ミコト様のこと)も人を気遣うからこそ荒れたこの土地に残ろうとしている」

 

つまりミコト様は最初から開発計画を阻止するつもりはないのです。自らを苦しめる開発行為すらも許して人に慈愛の心を送っています。信仰心を忘れた人々はこれに気が付かないという構図です。

 

この「信仰心」がポイントです。物語のラストに思いもかけない展開が待っていて、人の信仰心について考えさせられます。ここは後編で。

 

そうはいっても、眷属としてはなんとしてもミコト様を守りたい。そこで稲荷山戦線の戦術は次の通りです。

 

古墳の考古学的価値を明らかにするため、発掘調査を実施し、遺跡として現状有姿のまま保存という結果を目指す。

 

市役所の文化財保護課に話を通し、遺跡発掘のための予備調査を認めさせ、マモル君の学校の地歴部の協力による調査及びマスコミの取材対応を同時に実施して、「地元中学生が遺跡発見」というニュースが流れます。

 

これを皮切りに、考古学専門家を交えた前方後円墳の発掘調査が始まります。

 

一方で、守山さんとマモル君は、開発元である四井商事本社に乗り込み、開発部長と面会して計画の白紙撤回を要求します。四井サイドは、遺跡発見のニュースを受けて、発掘調査への協力と開発計画の一部変更(古墳を史跡公園として残す)を主張します。

守山さんの目的は自然環境の保護にありますので、話し合いは決裂します。

 

人の考える「自然」と、稲荷山に生きる生物にとっての「自然」は、そもそもその定義が全く異なるわけです。「自然」をどうとらえるかという前提が全く異なるので話し合いがまとまる余地もないというところがポイントです。

 

面会を終えた守山さんは、四井本社ビル内の悪い気(傲慢、我欲、嫉妬、怨嗟)に当てられ具合が悪くなった時、たまたま四井商事社長の次男、鴻沼秀二氏とその秘書三浦友子に出会います。この二人が稲荷山戦線に加わり、後半の物語が展開します。

 

私の感想ですが、この話の展開は「もののけ姫」を思い起こします。作品としては「稲荷山戦記」が先ですが。私は、もののけ姫に登場する「アシタカ」のような気持ちです。双方の折り合えるところはないだろうかと考えてしまいます。

 

出典は忘れたのですが、日光東照宮を造営する際、山の神様に了解を得てから造営工事を行ったと聞いたことがあります。また、たつみや章さんの作品「月神の統べる森で」では縄文時代の暮らしが描かれています。そこで暮らす人々は、生きるための食料として、鳥や魚を捕る時も、まず神様にお祈りして許しを乞い、必要な分を授かった後には感謝の祈りを捧げます。作者はこうしたあり方を理想としているのかなと感じます。

 

貞永式目(鎌倉幕府第三代執権北条泰時が制定)の第1条の条文にこんなくだりがあります。「神様を敬う人の純粋な真心にふれ神様のご威光はさらに輝きを増し、神様の広く厚きご神徳のご加護で人は導かれ運を開く」(東京神社庁ホームページから抜粋)

稲荷山の地元の人々が稲荷神社を信仰し、信仰心というプレゼントを神様にたくさん送れば、あるいは神様も力を盛り返し、人々の様々な願いをかなえることもできる気がいたします。現に都会のビル群の中におわす力の強い神様もいらっしゃいます。

 

そこは物語の設定もありますので、今後、稲荷山戦線が展開し、戦いが始まります。

長くなりましたので続きは後半編にて。