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フルマラソン100回完走への道

この道を行けばどうなるものか。迷わず行けよ、行けばわかるさ。

昨日今日と仕事が休みだったこともありますが、初の2日連続更新です()。今日UPする分は何日か前から構想を練っていたのですが、昨日のはたまたまネットでハイウェイホテルの記事を見たので突発的に書きました。気の向いたとき、書きたいネタがあるときしか書かないので、2日連続で書くこともあれば、1ヶ月以上間が空くこともしょっちゅうです()。毎日更新されているブロガーさんは本当にすごいと思います。

 

 

今日、昨年の神戸マラソン以来久しぶりに三宮に行ってきました。行ったところは大丸神戸店。目的はコレです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今、大丸神戸店で昭和レトロ展が行われているんです。昭和に関するいろいろなものが展示されていて、懐かしさを感じながら楽しんできました。

 

 

 

 

何と昔のアーケードゲームも。インベーダーやドンキーコング、パックマンをはじめ50種類ほどのゲームが楽しめます。なつかしすぎる~。

 

 

ファミコンもあり、好きなゲームで遊べます。僕は買ってもらえませんでしたが、よく友達の家で遊ばせてもらいました。

 

 

地下1階の「ケーキハウス ツマガリ」では、昔の神戸の街並を洋菓子で再現していました。

 

 

いろいろなグッズも販売されていたので、懐かしさついでに買ってしまいました()

 

YouTubeでも昭和レトロに関する動画がUPされていて僕もたまに見ますが、「懐かしさのあまり涙した」というコメントが本当に多いです。それだけ「昔はよかった」と思っている方が多いということですね。久しぶりに映画「ALWAYS 三丁目の夕日」が観たくなりました。

 

昔と違い、今はモノにあふれ豊かで便利になっている。もちろんそのこと自体はいいことなんですが、そうなればなるほど人の心は貧しくなっている、というか「自分さえよければそれでいい」という人が増えているような気がします。

 

それを象徴するモノがスマホやないかと思うんです。便利なのはもちろん暇つぶしにはこれ以上ないツールなのは分かりますが、周りを見渡すと歩きスマホは当たり前、自転車に乗りながらスマホをいじっている人間もしょっちゅう見るし、車を運転しながらスマホの画面を見ている強者(?)を見ることも珍しくありません。マナーやモラルがないがしろにされすぎなんちゃう?と思うんです。そういった風潮に対する反発の意味合いから、2年半くらい前までは頑なにスマホを持つのを拒んできました。ただ、今の時代スマホがなければできないことも多々あるので、しょうがなしに持つようになりましたが、ガラホに戻したろかと思うこともしばしばですし、ぶっちゃけ「いっそのことこの世からスマホなんかなくなってもうたらええねん」と思うこともたまにあります。

 

 

 

僕の会社の近くの小学校に掲示されていた絵です。本来なら大人がこどもに見本を見せないといけないはずなのに、見本を見せる対象のこどもにこういった絵を描かれている・・・なんか違和感を感じずにはいられません。大人が歩きスマホをするから、スマホを持ち始める中学生や高校生もそれにならってするんやと思います。生まれたときから悪いこどもなんている訳がなくて、悪い方向に行くか行かないかは環境や周りの大人の影響によるところが大きいんやないですかね。こども達には、見本にすべき大人と反面教師にすべき大人とを見極める目を持ってくれたらと思います。

 

そういう僕もこどもの見本としてふさわしい立派な大人ではありません。ただ、他人から見て見苦しいことやカッコ悪いことはしないようにしようとは日頃から思っています。これまでの人生でお世話になった方々や若くして事故などで亡くなった学生時代の友人達に対して恥ずかしくない生き方をしたいですから。改造したバイクで爆音立てて走ったり、人に不快感を与える動画などをYouTubeSNSUPしたりするくらいなら「もっとカッコいいことや他人から尊敬されるようなことをして目立ったらええのに」って思うんですわ。

 

今のこどもたちが大人になるころ、就職や結婚、子育てや年金を含めた老後に至るまで今以上に住みにくい世の中になるであろうことは容易に想像できますし、モラルも今以上に低下してるんやないかと思います。平均寿命どおり生きれば自分の人生もあと30年前後。自分なんかの力ではどうにもならないことは百も承知ですが、こどもや孫の世代のために少しでもいい世の中になったらいいなぁと思います。

 

仕事の帰り、電車の中で本を読むんですが、仕事で疲れていることもあって読む本は肩の力を抜いて読めるこんな本ばっかりです()

 

 

 

ただ、最近自分にしてはちょっと堅めのこんな本を読んでいます。

 

 

武士道は新渡戸稲造が武士道の体系を、義・勇・仁・礼・信()・名誉・忠義の順に解説していったものです。たとえば、義はサムライにとって卑怯な行動や不正な行為を恥とする心性である、など武士道の源泉や影響力、未来に至るまで書かれています。

 

令和の今の時代、こういった精神が忘れられつつあるのは事実です。ただ、災害のあと略奪が起こらなかったり、サッカーのW杯などで日本人サポーターが試合後ゴミを拾っていることなど日本人の行動が外国人から賞賛されていますが、こういった行動の根底にあるのが武士道なんやないかという気がします。たとえ時代が変わっても変わったらあかんものもあると思います。僕も自分なりの武士道を心の中に持ち続けたいですね。

 

しかし、家では娘とトランプなどの勝負ごとをするとき、負けそうになるとズルをする、武士道の風上にもおけないオヤジです()