心の強さとは、すなわち物事の意義を見つけ出す能力の高さなのではないか。
自分に降りかかる苦痛のなかに意義を見出せるならば、それは苦しみではなく未来への準備ではないか。
自ら求めて鍛錬するとき、意義を忘れなければ、必ずや成果への道が開かれるのではないか。
そして鍛錬とは、苦痛に耐えることではなく、苦痛から意義を見出す能力を磨くことではないか。
今日、不幸の中に生きるならば、その不幸に意義を見出せないだろうか。
終わりの見えない不幸があろうと、そこに意義があるならば、未来もそこに必ずある。
本当に強くなるためには、どんな苦痛にも意義を見つけること。
それがたとえこじつけであろうと、意義を持った瞬間から未来への道がつく。
10キロ走るなんてつらい、という人も、例えば出産の苦痛を越えられるのは、出産に意義を見つけられるからであろう。
そして10キロ走ることに意義を見つけた人が、走るのであろう。
思えば、限られた長さの人生の中で、意義を見つけられない時間が、結局浪費された時間なのではないか。
カラダが疲れたから休むのだが、休むだけの意義があるならそれは惰眠とはいえない。
しかし意義を見つけられないのであれば、休むことは無駄ではなかろうか。
意義を見つける能力すなわち心の強さが、カラダの強さとは比例しないことは承知しているが、心を強く出来るならばカラダも強く出来るのではないか。
カラダのみならず、例えば仕事の能力であれ、何であれ。
意義を忘れないならば、未来へ準備もできる。
未来へ準備できる時間は、心も揺れ動かない。
だから、つらい何事からも意義を探そう。
もしどうしても意義を見つけられないならば、それは今生きるに於いてすべきでないことか、もしくは見つける能力が足りないのだ。
強く、なろう。