3度目の焼け野原
<宇都宮の歴史シリーズ 12> 最終回
戦後、軍事施設は民間に格安に払い下げされました。
現在の作新学園も文星短大附属高校などの私立高校も、
軍事施設の払い下げの広大な土地で開校しました。
「国内一早い復興」めざし、急速な都市計画を進めました。
2度の戦火で歴史的建造物は焼失し、
それらを復元する余裕はなく、無機質な近代建造物でしめられる街になってしまいました。
他県から宇都宮の街に移り住んだ人々が、
「宇都宮は最近開け歴史がない街」と勘違いされるのは仕方がないのかもしれません。
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タイトルを見て、「あれ?焼け野原にもう一度あったっけ?」と思われた方も多いのでは。
太平洋戦争での宇都宮空襲以降に、震災や災害で燃えたわけではありません。
しかし1晩で、728億円もの市民、県民の財産が焼失したのです。
2003年11月29日の夜。それは起きました。
政府は緊急危機対応会議を開き、「足利銀行の一時国有化」が決定したのです。
一般株式の場合は、上場廃止による損失は仕方ないかもしれません。
しかし2度に渡って県内企業に公募した1999年・2002年の増資については残念でなりません。
足利銀行は自己資本比率の増強を目的に、
栃木県内の自治体・取引企業・自行員を始め多くの人達に「株」の購入を依頼しました。
まさに足銀を助けようという善意の支援金でした。
1999年8月 第一回優先株 428億円
2002年1月 普通株 300億円
国有化されて丸2年。
当初は「国有化の是非」が大きな議論になりましたが、決定事項は覆ることなく、
貴重な財産が消えてしまいました。
--------------------------------------------------------------------------国の大きな転換期に、焦土となった宇都宮。
日本国の中では地方の1都市で起きた小さな出来事なのかもしれません。
しかしキチンと私たち親の世代が語り継ぎ、
再度焦土にならないよう伝えていく必要があるのではと思います。
「郷土愛」という言葉があります。
住んでいれば自然に沸いてくるモノではありません。
まず自分の郷土の歴史を知り、
多くの祖先が悪戦苦闘しながら街を築き上げてきたことを知ることにより、
今度は自分達が後生に残し使えていく大切な財産だと
自覚していくことではないかと確信してます。
<宇都宮の歴史シリーズ 終了>
