宇都宮城2
<宇都宮の歴史シリーズ 7>
関東七名城と謳われた宇都宮城には、天守閣は造られませんでした。
日光参拝に来られる将軍様の宿舎として、御本丸内には「御成御殿」が建てられました。
宇都宮城主はというと、2の丸に城主の御殿があったとか。
現在、江戸時代の宇都宮の姿は、地名や街道としてしか残っていません。
本多正純は、奥州街道を宇都宮市内を通るように変更しました。
そのため多くの旅人や参勤交代の大名などが賑わう宿場町として発展しました。
奥州街道と日光街道の分岐点の伝馬町付近は、
大名が泊まる本陣や、問屋場、旅籠などで大いに賑わったようです。
国道4号線の不動前交差点を斜め北西に折れカーサーの方に進むのが、昔の奥州街道。
そこを北に歩くと、「史跡跡」を示す看板がたくさん建っています。
宇都宮地方裁判所にぶつかり、クランク状に北上すると日光街道に繋がります。
7世紀の東山道の頃はさほど大きな街ではありませんでしたが、
鎌倉時代には宇都宮大明神(二荒山神社)の中心とした多くの寺院があった門前町、
そして江戸時代には、宇都宮城を中心とした城下町と見事に発展していった宇都宮。
そんなに歴史があるのなら、なぜ歴史的建造物が残されていないのか・・・・。
(つづく)

