宇都宮城1
<宇都宮の歴史シリーズ 6>
私が宇都宮の歴史に興味を持ち始めたのは、1冊の本からでした。
- 童門 冬二
- 近江商人魂―蒲生氏郷と西野仁右衛門〈上〉
やはり商人たるもの「近江商人」の本を読まなくてはと思い、手にしたモノです。
この本には、近江商人を保護した「蒲生氏郷」という大名が登場します。
織田信長に大きな影響を受け、商人を保護育成した大名です。
日野の大名でしたが、晩年秀吉により会津若松に飛ばされました。
そこであの有名な「鶴ヶ城」を作り、見事な城下町の基本を作り上げました。
蒲生家のその後に興味を持ち調べてみると、
蒲生氏郷の子供、「蒲生秀行」が何と宇都宮城主として1598年に来ているのではないですか。
そこで改めて、地元宇都宮の歴史自体、無知だった自分に気がつきました。
その時から、宇都宮の歴史について非常に興味を持つようになりました。
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蒲生秀行は1601年に再度会津若松城主として帰ります。
その3年半の間に、父親の氏郷の手法を踏襲し、宇都宮城下町を整備しました。
また近江の国・日野の商人を連れてきて、商人の集落「日野町」を作ることに。
その後徳川家康の孫、奥平家昌が宇都宮城主に。
1616年家康が亡くなり、日光東照宮が建設されることになりました。
そして2代将軍秀忠が日光参拝で宇都宮に宿泊することに。
この頃から宇都宮の重要性が増すことになりました。
奥平家昌の子供(忠昌)が小さかったため、本多正純が城主になると、
本格的な宇都宮城の大改装、宇都宮の城下町の大改造が行われました。
今の宇都宮を設計したのは、この本多正純さん。
奥州街道を宇都宮市内を通るように改修したり、二荒山神社や釜川なども手を加え、
城下町として礎を作ってくれました。
しかし奥平家から宇都宮城主の地位を奪ったと逆恨みをした家康の長女亀姫が
「宇都宮城に釣り天井を作り、将軍の暗殺を企てている」という噂を流し、本多正純を失脚させたのです。
- 杉本 苑子
- 汚名―本多正純の悲劇
これが有名な「釣り天井」の話になったので、
実際に宇都宮城には釣り天井など無く、無実の汚名だったわけです。
その後無事に奥平忠昌が宇都宮城主として戻りましたが、
彼の死後は赤穂浪士の仇討ちのモデルになった「浄瑠璃坂の仇討ち」などがあり、
その後は戸田家が城主になるまで、頻繁に城主が変わることになりました。
- 高橋 義夫
- 浄瑠璃坂の仇討ち
(つづく)

