カミソリに “硫酸” …「怖かった」 2022年9月6日 13:31  スポニチ

 

 歌手の加山雄三(85)と妻で元女優の松本めぐみさん(75)が6日放送の

テレビ朝日系「徹子の部屋」(月~金曜後1・00)にそろってゲスト出演。

結婚当初に受けた女性ファンからの凄まじい嫉妬について明かした。

 

 1970年9月4日、「エレキの若大将」(1965年)での共演がきっかけで

結婚に至った2人。女性人気が高かった加山との結婚について、めぐみさんは

「突然の結婚だったので、皆さま、びっくりされたと思う」としつつ「結婚した

ばかりの頃は…いや~怖いぐらい」の女性ファンの嫉妬があったという。

ファンレターでカミソリが入っていたり、“硫酸をかける(という脅し)”とか…

ちょっと怖かったです」と振り返った。

 「1年間ぐらいは主人の仕事場へ私をずっと連れて歩きましたね。凄い危ないって

ことで、連れて歩いてくれました」と、過激なファンから守るために加山の仕事場へ同行していたことも明かし、「それぐらい人気があったんです」ともらした。

 

この時代、過激なファンが多かったんですね。

硫酸をかけるという脅しは、読んでいても本当にビックリします 叫びあせる

 

だから愛する人を守ろうと一生懸命で、仕事場まで連れて歩いていたんですね 照れ ラブラブ

 

昭和45年9月、加山雄三、松本めぐみ結婚

2022-06-29

Facebook Miyake Taijiさん曰く、若大将にとって多額の負債を抱え、

不遇の時代でしたが、一生の伴侶を得ました。

加山雄三は4月で85歳…不撓不屈の若大将を支える妻の献身、

夫婦「卒婚」も8年で卒業

 

 ことし4月の誕生日で85歳になる加山雄三が意気軒高である。

筋トレ中に腰椎圧迫骨折、さらに脳梗塞を起こした2019年、翌20年には誤嚥から

小脳出血を発症し救急搬送、歩行もおぼつかず、ろれつが回らないなどの後遺症が

残ったが、言語トレーニングなどのリハビリで復活、昨年末に復活コンサートを

成功させ、そのアンコール公演を今月開く。

「加山さんは言葉をうまくしゃべることができなくなった時、もう駄目だと

絶望感にさいなまれたそうです。しかし、それでも諦めず、復活へとつなげた。

言語トレーニングにウオーキングとリハビリに励む姿がこのほどNHKプレミアム『ザ・ヒューマン』でオンエアされたのですが、前向きな姿と共に驚いたのが、

奥さまの(元女優、松本)めぐみさんが甲斐甲斐しく寄り添っていたことです」と、加山を知るマスコミ関係者が言う。

 

加山雄三「夫婦の絆を強くしたのは朝ご飯。

23億の大借金を抱えていた俺と結婚してくれて、

どんなに感謝をしても感謝しきれない」

俺は100歳まで生きると決めた 婦人公論 2024年06月10日

『俺は100歳まで生きると決めた』(著:加山雄三/新潮社)

 

2024年で87歳の加山雄三さん。俳優・歌手として活躍し、70代以降は愛船の

火災や病に見舞われながらも、ニックネーム「若大将」そのままに人生を駆け抜けて

います。著書『俺は100歳まで生きると決めた』から一部を抜粋し、加山さんが語る

幸福論をご紹介。今回は、夫婦について。仲良くしていられる秘訣は、

愛し合い、信頼し合い、尊敬し合うことと、もう一つは――

朝ご飯が夫婦の絆を強くする

そして、俺がどんなに感謝をしても感謝しきれないのがカミさんだよ。

彼女がいなかったら、今の俺はいない。それは間違いないよな。

仕事も、プライベートの生活も、彼女がいてこそやって来られた。

考えてみてくれよ。彼女と結婚した時、俺は23億円の大借金を抱えていた。

にもかかわらず一緒になってくれた。

その後も圧雪車に轢かれたり、脳梗塞になったり、小脳出血になったり、

俺は何度も三途の川を渡りかけた。その都度俺を救ってくれたのはカミさんだった。

彼女がいなかったら、俺はとっくにあの世へ行っていた。

いまだに俺は彼女にまったく頭が上がんないけれど、

なにもかも今があるのはカミさんのおかげだから、当たり前だよな。

夫婦が仲よくしていられる秘訣をみんなによく聞かれる。

おたがい愛し合い、信頼し合い、尊敬し合うことだと思うけれど、もう一つあげるとしたら、毎朝ご飯を一緒に食べることじゃないかな。やってごらんよ。

その日の最初のご飯を一緒に食べれば、おたがいを思いやれるようになるよ。

 

本当に当時、23億の借金を抱えた人と結婚をするという覚悟が凄いと思います。

一緒に返済しよう、何があっても夫を支えようと思えたからこそ、

貧しい時も一緒に乗り越えてこれたんですね 照れ

でも事故や病気になった時、奥さんが加山さんを救ってもらえたのが分かります。

この人じゃないと、加山さんを救えなかった。女神のような人ですね ウインク おばあちゃん パンチ!パンチ!

同じものを食べて、幸せを分かち合える

結婚したばかりのころは、必ずカミさんと朝ご飯を食べた。子どもたちが生まれて

学校へ行っているときには、朝5時半から6時には起きて、俺も食事のしたくをして

きた。家族みんなが起きてきたら、全員そろって、顔を見合わせて、お祈りをするんだ。「今日もこうしてご飯を食べられることに感謝しましょう」手を合わせる。

俺はとくに決まった宗教を信仰しているわけではない。だから、空に感謝する。

自分たちをこの世に生んでくれた親父、おふくろ、じいさん、ばあさんにお礼を

言う。お祈りを終えたら、おいしい朝ご飯だ。同じ食事を同じテーブルで、

同じようにおいしいと思えるのは、とても大切だよな。幸せなことだ。

同じものを食べると、食べ物の好みが近くなる。幸せを分かち合える。

家族が絶対に仲よくなれるよ。今はさ、夫婦で他愛もない話をしているよ。

ご飯も一緒に食べるけれど、テレビも一緒に観る。報道番組で心温まる

出来事を知ると、一緒によろこぶ。ひどい事件を知ると、一緒に悲しみ憤る。

おたがいが掛け替えのない存在に

テレビにつないで、YouTubeも見ているよ。俺たち二人のお気に入りのチャンネルもけっこうあるんだ。同じ番組をいつも二人で観ていると、考え方や感じ方も似てくるよな。同じ時間を過ごすのは大切でさ。今までもずっと仲がよかったけれど、

さらにお互いが掛け替えのない存在になってくる。

長く夫婦でいるから、そりゃあケンカもしたよ。でも、そんなことはみんな忘れちゃったな。たいがいは俺が原因だからさ。忘れちゃうのは、俺の都合でもあるけどね。

うちの夫婦は、いつもカミさんがえらい。カミさんの言うことを聞いていれば

間違いない。でも一つだけ、俺が誇れることがある。それは、カミさんを自分に

とって唯一の女性だと見抜いたことだよ。俺には間違いなく人を見る目がある。

 

※本稿は『俺は100歳まで生きると決めた』(新潮社)の一部を再編集した

ものです。

2022年末のNHK紅白歌合戦出演を最後にコンサート活動から引退した加山雄三は、

ある決意をする。「俺は100歳まで生きる」と。新たな音楽活動に挑戦して本人が「攻めに転じた」という70代から愛船の火災と病に見舞われた80代、そして未来を

見据えた余生まで。自身を育んだ茅ヶ崎の海や強い絆で結ばれた友たちに思いを

馳せながら、永遠の若大将が語る幸福論!

 

加山さんは、本当に良い人と出会えたことは運命で、彼女と恋をして結婚をして、

何があっても最後まで添い遂げられる運命の人だったんですね ラブラブ

夫婦だから、たまにはケンカもするのは仲がいい証拠。

人生良い時もあれば悪い時もあります。その悪い時に自分にとって、

その人がいかに自分にとって必要な人か、大切な人かが分かります。

最後まで、その人は信じて着いて来てくれると思います。それが内助の功ですね 照れ 

 

 

加山雄三の現在の住まいは妻とケアハウスに!

引退している?息子は俳優、父・母は大俳優だった

俳優
 

 

 60年代から、東宝映画、「若大将」シリーズで、役者として活躍。

そして、歌手としても、数々のヒット曲を出してきた、加山雄三さん。

正統派イケメンで女性にも人気、音楽面でも、慕うプロミュージシャンも多い

加山雄三さん。

その、加山雄三さんも、86歳!今は引退して、奥さんとケアハウスにいる、

といいます。又、子供さんは4人で、次男は俳優の「加山 徹」さん。

そして、加山雄三さんのご両親も、美男美女の俳優さんでした。

そこのところを今回、まとめてみました。

加山雄三は現在、妻(松本めぐみ)とケアハウスに

 

 

 加山雄三さんは、最初、脳梗塞を起こした2019年頃に、都内の高級住宅を

手放しました。そして、超!高級ケアハウスに奥さんと一緒に入居しました。

場所はどこか、と調べて見たら、「サンシティ銀座EAST」という説が多数です。

食事や掃除、洗濯などの支援サービス付きの高齢者住宅です。

中央区の月島、という所ですね。カフェやプールもあるようです。

長い間、第一線で活躍してきた、加山雄三さんに、ふさわしいところですね。

ただ、脳梗塞になったからではなく、その前から決めていたようです。

奥さんの松本めぐみさんへの配慮でもあるでしょう。

 

 加山雄三さんは、1965年に叔父と、パシフィックホテル茅ヶ崎を開業しました。

しかし1970年に23億の負債を抱えて倒産。その年に、加山雄三さんは、

マスコミをのがれるために渡米し、そこで松本めぐみさんと結婚。

帰国して会見を開いても、無責任だとか、逃げた、などとヤジが飛び、

誰も祝いの言葉をかけてくれなかったのです。

でも、この借金は、めぐみさんの支えもあり、10年で完済!しかし、この苦労を

バブル絶頂期にスキー場を開設して赤字になり、又かけてしまうことに。

そんなこともあり、2014年くらいから、別居がささやかれていていました。

めぐみさんには、愛想をつかされた、と言われていたのです。

卒婚、と言われ別居はしていました。

でもそれは、「グリーンカード(米国永住権)」を取るために、

アメリカと日本を行き来していためぐみさん。

加山雄三さんが脳梗塞を起こし、帰国してからは、一緒に入居したのです。

もう、これからは、ずっと一緒です!

加山雄三は、現在は歌う事は引退している?

 加山雄三さんは、2022年85歳の年にコンサート活動から引退することを

表明しています。82歳の2019年に軽度の脳梗塞を発症。

この時には、加山雄三さんご本人が「おかしい!」と思って、

病院に検査に行ったのだそうです。

奥さんの松本めぐみさんと、お寿司屋さんに行って出されたお寿司を

食べようとした時。その時に、意志とは関係なく勝手に左手が動いたのです。

それで触ってみたりしても他人の手みたいで、脳がやられているんだと思い

早々に帰宅します。そして、病院でMRIとCTRを撮った結果、軽度ではあるが、

脳梗塞であると判明。即、入院しましたが後遺症もなく退院し、コンサートにも

すぐに復帰します。その翌年には、水を勢いよく飲んだことで誤嚥を起こし、

咳き込んだことで小脳出血と診断されます。

3ヶ月の入院をしましたが、最初は呂律が回らなかったと言います。

その後、ウォーキングや言語トレーニングで驚異の回復をします!

さすが加山雄三さん!

しかし、お客さんの前で歌い続けていくことのしんどさを感じていきます。

歌えなくなってやめるより、歌えるうちに引退しようというのが加山雄三さんの

美学!最後のステージは、名誉船長を務める豪華客船「飛鳥2」の船上で。

そして、その年の紅白歌合戦にも出場。

でも、86歳の誕生日には、「引退撤回」の示唆をしていたそうですが・・・。

 

加山雄三の息子は3人、次男は俳優、子女、と4人の子供

 

加山雄三さんと、松本めぐみさんの間には、4人の子供さんがいます。

長男池端 信宏・・・作曲家・花火演出家

長岡の花火まつりも演出している。

両親のいいとこ取りのイケメンです。

 

次男加山 徹(かやま てつ)・・・俳優

1975年(昭和50年)生まれ。

1995年、「山下 徹大」と言う名で俳優デビュー。

ほぼ毎年、ドラマに出演しています。

2019年には、「加山 徹」に改名。

 

長女池端 えみ・・・女優

1978年(昭和53年)生まれ。

2000年にデビュー。本名、「絵美子」

ニューヨーク在住。目力のある美人ですね!

 

次女:梓真悠子・・・タレント、女優・料理研究家

男の子2人のシングルマザー。お母さんに似ていますね。

 

加山雄三さんの父親は、戦前からの日本を代表する二枚目映画スターの上原謙さん

です。

本名、池端 清亮(いけはた きよあき)。

そのイケメンぶりに、松竹映画に友人が応募し、合格。

1940年代に、松竹を辞め、フリーの俳優、という存在の日本での第一号だった

そうです。イケメンでモテたので、反対を押して結婚した奥さん・小桜葉子さんは

何度か自殺未遂を起こしたのだとか。

52歳の時に小桜葉子さんは、心不全で逝去。

 

お母さんの、小桜葉子さんは、目鼻立ちのはっきりした華やかな美人さんです。

戦後になって、上原謙さんが太ってきたことで、運動と食事療法を学んだそうです。

「小桜式プッシュ体操」と名付け、テレビに出たり、「小桜葉子整美体操教室」を

経営しました。上原謙さんは82歳の時、心不全で亡くなります。

 

 

86歳誕生日の加山雄三が ”引退撤回” に意欲

「まだチャンスはある。どこかで歌うつもり」

スポーツ報知 

花束を贈られ、笑顔の加山雄三

 花束を贈られ、笑顔の加山雄三

 

 歌手の加山雄三が86歳の誕生日である11日、東京・銀座の加山雄三ギャラリーで

文化放送のラジオ番組「くにまる食堂」(月~金曜・前11時)の公開収録に

ゲスト出演した。

 

 毎朝、スクワット20回を日課にして健康を維持する若大将。昨年大みそかのNHK

紅白歌合戦を最後にコンサート活動を引退しているが、「まだチャンスはある。

どこかで歌うつもり。どこかは言わないよ」と“引退撤回”も示唆した。

パーソナリティーの野村邦丸氏と約1時間、上機嫌にトークを交わし

エンディングではフランク・シナトラの「マイ・ウェイ」を口ずさんだ。

 

 サザンオールスターズの桑田佳祐、原由子夫妻、山下達郎、竹内まりや夫妻という加山を慕う音楽界のスーパースターに招待され、中華料理店で会食したエピソードも披露。

 

100歳まで生きると決意した加山。体調が良くなれば引退撤回をして、

復帰して、みんなに歌番組やLIIVEで加山さんの歌声を聞かせてください お願い カラオケ ギター

 

いつもまで、夫婦仲良く心身ともに健康で、頑張って下さい 笑ううさぎ おばあちゃん 虹

 

 

伊勢物語のあらすじ

 第二十一段   わすれ草

 

【原文】

 

むかし、男をんな、いとかしこく思ひかはしてこと心なかりけり。

さるを、いかなる事かありけむ、いさゝかなることにつけて、世の中をうしと

思ひて、出でていなむと思ひて、かかる歌をなむよみて、ものに書きつけける。
 いでていなば心かるしと言ひやせむ
  世のありさまを人は知らねば

 

とよみおきて、出でていにけり。この女かく書きおきたるを、けしう、心おくべき

ことを覚えぬを、なにによりてかかゝらむと、いといたう泣きて、いづ方に求めゆかむと、門にいでて、とみかうみ、見けれど、いづこをはかりとも覚えざりければ、

かへりいりて、

 

 思ふかひなき世なりけり年月を
  あだに契りて我や住まひし

 

といひてながめをり。

 

 人はいさ思ひやすらむ玉かづら
  面影にのみいとゞ見えつゝ

 

この女、いとひさしくありて、念じわびてにやありけむ。いひおこせたる。
 今はとて忘るゝ草のたねをだに
  人の心にまかせずもがな

 

返し、
 忘草植ふとだに聞くものならば
  思ひけりとは知りもしなまし

 

またまたありしよりけにいひかはして、をとこ、 

 

 忘るらむと思ふ心のうたがひに
  ありしよりけにものぞかなしき

 

返し、
 中空に立ちゐる雲のあともなく 
  身のはかなくもなりにけるかな

 

とはいひけれど、おのが世々になりにければ、うとくなりにけり。

 

 

【現代語訳】

 

昔、男と女が、相思相愛の深い仲で浮気をしようなどという気は全くなかった。

しかし一体どんな理由からか、ほんの些細なことから、女は男との仲が嫌になって

家を出て行こうと思い、こんな歌を詠んで物に書きつけた。

 

  いでていなば心かるしと言ひやせむ
   世のありさまを人は知らねば
       私が家を出ていったら、軽薄な人だと言うだろうか 
       二人の仲がどんなふうなのか、人は知らないのだから

 

と詠み置いて出ていってしまった。男は、この女がこんな風に書き置いた

訳が分からず、心あたりも全くない。一体何が原因でこのようなことに

なってしまったのかと、オイオイと泣いて、どっちの方角に探しにいけば

いいだろうかと、門に出てあっちを見こっちを見、あたりを見回したけれど、

どこを目標にすればいいのかも分からなかったので、

 

  思ふかひなき世なりけり年月を
   あだに契りて我や住まひし

 

   愛した甲斐もない二人の仲だったよ。

    この長い年月をいいかげんな気持ちで、私は共に過ごしてきただろうか

 

 と言ってボオッと外を眺めるばかりだった。

 

  人はいさ思ひやすらむ玉かづら
   面影にのみいとゞ見えつゝ
      さあ、あの女はどうなんだろうか、私の事を思っているだろうか
       私にはあの女の美しい面影だけが、何度も何度も目の前にあらわれる

 この女が、たいへん時が過ぎてから、反省したのだろうか、

 歌を詠んで送ってきた。

 

  今はとて忘るゝ草のたねをだに
   人の心にまかせずもがな
      もうこれっきりよと、私を忘れる草の種だけでも
         あなたの心に、蒔かせたくはないものです

 返しの歌、

 

   忘草植うとだに聞くものならば
    思ひけりとは知りもしなまし
        私を忘れる草を植えるとでも聞いたならば
           私を忘れないでいたのだと、おわかりでしょう

 

 更にまた、前よりもずっと激しく歌を詠み交すようになって、男は詠む。

 

   忘るらむと思ふ心のうたがひに 
    ありしよりけにものぞかなしき
       私が貴女のことを忘れただろうと、貴女は心に疑いを抱いている。

 それが、以前よりもずっと悲しいのです。
女の返し歌、
  中空に立ちゐる雲のあともなく 
   身のはかなくもなりにけるかな

 

      大空の真ん中に広がっていた雲も、いずれ跡形なく消え去るように
         わが身ははかなくなってしまったと、言ったのだけれど、

     各々別の人と一緒になったので、二人の仲はうやむやになってしまった。

 

 【補足】
 仲良く住んでいた男女がいつかふっと女が家出してしまった。

残された男はすっかり途方にlくれていたら女が戻ってきました。

 

今でも通じるプチ家出

 

 

いつもありがとうございます。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました 愛飛び出すハート