父親のいない家庭、そして母親との別れ…

  2015.04.18 08:24    「 泳ぎたくない川 」愛川欽也

 

「おまっとさんでした」もうこの口上を聞くことはできない。

16日、ワイドショーはこのニュース一色に染まった。「愛川欽也死去」。

現役最高齢の情報番組司会者としてギネスブックにも載った、親しみやすい語り口でありながらときに硬派な人気者は80歳で、この世を去った。肺がんだった。

 

 20年間、一回も休むことなく続けた「出没!アド街ック天国」(テレ東系)の

千回記念放送を機に番組を降板した3月、メディアでは「重病説」が囁かれた。

所属事務所や妻・うつみ宮土理はこれを否定し続けた。

だが4月上旬、自宅に介護ベッドが運び込まれたり、在宅診療専門の医療スタッフが

点滴用のパックを運び込む様子が目撃されるようになる。同じ時期に自身が運営するインターネット放送局は閉鎖され、5月から撮影開始の予定だった連続テレビドラマも中止になっていた。事態は関係者たちの杞憂に終わることはなかった。

15日、東京・渋谷区の自宅で息を引き取ったのである。

 

 本職の俳優に加え、劇団主宰、ラジオパーソナリティ、歌手、と多才ぶりを発揮

した愛川だったが、多くの著作も残している。その中に、今では絶版になっている

自伝的小説がある。2004年に出版された『 泳ぎたくない川 』文藝春秋)。

昭和9年生まれの愛川が少年時代、青年時代を過ごした戦中戦後の体験を、当時の空気そのままに再現している。空襲、疎開、貧困に差別、混乱の時代に翻弄された人々と、自らの家族が直面した困難を描いた一作だが、そこにはユーモラスで賑やか

だった愛川からは想像もできない、意外な知られざる一面が明かされている。

 

 作中で愛川は「敏雄」として書かれている。それ以外のプロフィールは

「小説」とはいえ出生地、疎開先、経歴も後に本人が語った事実に基づいている。

「知られざる一面」を匂わせる一節は物語が始まってすぐに記されている。

〈 敏雄は母に甘えて育った。母も歳をとってから生んだ敏雄が可愛くてしかたが

なかった。敏雄のそばには、いつも母の顔があった。敏雄は父とのふれ合いが

少なく、父に抱き付いたりした記憶がない。敏雄がそれをさびしいと思わなかった

のは、母に充分甘えることが出来たからだ。敏雄は井口ミイと高田善三の間に

生まれた子だった。〉

 

 昭和7年、28歳のミイはウエイトレスとして働いていた神田のミルクホールで

善三と出会う。惹かれあう二人は交際を始め、ミイが一人暮らしをする巣鴨の家に

善三が足繁く通うようになる。そんなある夜のこと、〈 ミイは決心して訊いた。

「善さん、いつ籍を入れてくれるの?」隣に寝ていた善三が、「そうだな……

ミイさんに子供ができた時かな」ミイは目を閉じて、もう一度、善三の体に

しがみついていった。その夜も、夜明けの前に善三はタクシーを拾って、五反田の

家に帰っていった。〉50歳近かった善三は、すでに家庭を持っていた。それでもミイとの将来を口にしていた。ミイは19歳で最初の結婚をしたが、たった二年で夫は結で死んでしまう。ミイの父親は3歳の時に亡くなり、母親もミイの花嫁姿を観たすぐ

後に死んだ。家族の縁が薄かったミイは歳の離れた善三にすがれるのが嬉しかった。

しかしミイが高田と家庭をつくる夢は叶わなかった。銀座へデートに出かけ

レストランで食事をした後、ミイは吐き気を催す。トイレに駆け込むと、〈 洗面所の鏡で自分の顔を見た。鏡に映る顔が、歓喜の顔にみるみる変わっていった。〉
〈「喜んでちょうだい。子供ができたらしいのよ。もう大丈夫、気持ちなんか

悪くないわよ。幸せよ私。私のお腹の中に善さんの子供がいるのよ」「そうか」

複雑な顔をした善三を、ミイは喜びのあまり読み取ることはできなかった。(中略)その晩、善三はミイを抱かずに、夜中に五反田に帰っていった。〉

 

 その後、敏雄が生まれてからは善三がミイの元を訪れる機会は次第に減っていく。物語は敏雄と母・ミイが疎開で離ればなれになるなかで、互いに思いを募らせる

逸話が中心となり、父親に関する記述はほとんどなくなる。

 

 学童疎開先の上田に母が面会にやってきたとき、母は空襲が激化する東京を離れるときは敏雄とともに田舎へ行くために迎えに来る、と話すと〈 敏雄は早く迎えに

来てくれるように、アメリカの爆撃がもっとひどくなればいい 〉とさえ考える

ようになり、母は敏雄に甘いものを食べさせるために着物と砂糖を交換していた。

母と息子は互いの孤独を互いへの依存で埋めるようにして生きていく。

 

 やがて終戦を迎えても、空襲で巣鴨の家を壊された母と息子は茨城、秋田と

疎開生活を続けた。秋田では「疎開者」と敏雄をいじめる者がいた。

母が買ってくれたばかりの帽子をひったくられてどぶ川に捨てられた。

敏雄は泣きながら家に帰るとナタを手に「あいつを殺してやる」と叫んだ。

母とともにいじめっ子の家へ行き、凛とした声で母は抗議した。

〈「敏雄、帰ろう」外に出ると母は敏雄の手から鉈を取り上げてその手をしっかりと握って歩き出した。敏雄も母の手を握り返した。二人は手を離さずに歩いた。

一本道の先に夕日が落ち始めていた。親子二人の影法師が、

二人の歩く後に長く伸びて見えた。〉

その後、敏雄は高校に入学し、映画に傾倒。途中で、俳優養成所に入学し

役者を目指す。その間、アルバイトとしてキャバレーやストリップ劇場で

バンドのドラマーとして働き、浅草で二人のストリッパーと奇妙な共同生活を

送るものの、役者としては一向に目が出ない。

 

 そのうち、ヤクザがらみのトラブルに巻き込まれ、敏雄は浅草を引き払い、再び

母親と生活をするようになる。しかし、その後も何をやってもうまくいかない。

本屋をやれば失敗し、インチキな服地のセールスもダメ。焦りと苛立ちの末、ついには母親の出す食事を膳ごとひっくり返すまでに荒れる。チンピラに刺されて「あと1

センチ深かったら危なかったかもしれないよ」と医者に言われるほどの傷を負った。

しかし、退院して家に帰った日、敏雄は母から思いもしなかった事実を知らされる。

〈母はいつになく緊張しているようだった。「母さんはお前に謝ることがあるんだよ。(中略)お前の父さんは、敗戦の翌年に病気で死んでしまったんだよ。(中略)お前が父さんのことをどう思っているか訊きもしないで、父さんの死をお前に

話さなかったことは申し訳ないと思っているよ、ごめんね」

父親は敏雄の知らない町で、知らないうちに死んでいたのだ。

母は親子三人で巣鴨の家で静かな一生を暮らす夢を抱きながら敏雄を育てていた。

戦争のせいもあるが、善三は母を籍に入れることは実行せずにこの世を去った。

母は苦労を感じる暇もなく敏雄を食べさせるために夢中で生きてきたのだ。〉

 

 告白はこれに留まらなかった。

〈「それからね、大事な話なんだけれど、母さんはある人のお宅へ行くことに

決めたよ。歳をとった男の人でね、老後の世話っていうのかね。(中略)

その人がさ、母さんにきちんと家に入ってくれって言うんだよ」
母は言葉を選びながら言いにくそうに話を続けた。(中略)

敏雄は突然の母の再婚話に頭の中が白く溶けていくような気がした。〉

突然、父の死と、母とはもう暮らせないことを知らされた敏雄は玄関に向かい

靴を履く。その背中に母は言う。〈「明後日にはそちらの家へ行くことにしたのよ。あと二晩しかお前と二人だけで過ごせないんだよ。一緒に御飯を食べようよ。

母さん、お前の好きなオムライスかバターライスを作るから」
それでもガラス戸を開けて外に出た。行く先も決めずに敏雄は暗い道を歩いた。

(中略)母が再婚するのが嫌だった。母が自分の知らない男の所へ行ってしまう。

急に母が遠い人に思えた。〉

 

 母と過ごす最後の日は、こう描かれている。

〈 目がさめると昼だった。「お腹空いたろ。出来てるよ」小さなお膳にオムライスとみそ汁が並んでいた。母の作るオムライスを食べるのはこれで最後になるだろう。

敏雄はゆっくり時間をかけて母の味を噛みしめていた。〉
〈 その後、地蔵通りの商店街を過ぎ、巣鴨橋を渡ると急に人通りが少なくなった。「母さん」母の手を握った。母もうれしそうに握り返した。二人は同じことを

思い出していた。秋田の湯沢で、敏雄がナタを持っていじめっ子の家に乗り込んで

行った帰り道のことを。今夜は街灯の光をうけて、影は通りの塀に映っていた。

母の影は敏雄の影より小さかった。〉

 

 敏雄、つまり愛川の母親への想いは計り知れないほど強く特別であったことを

本書は語っている。愛川の死を伝える番組のなかで、アグネス・チャンは

「愛川さんはとてもフェミニストだった」と語った。アグネスが子連れ出勤論争で

バッシングを受けるなか、全力で擁護したこと、楽屋で母親を待つ子供を人一倍、

愛川は可愛がっていたとも語った。あるいはそこに、自らの幼少期、母と暮らした日々を重ね合わせていたのだろうか。

 

 一方、後のインタビューでは父親について「おやじは、よその人でした。

そんなこと僕は小さい頃一切知らなかった」とも明かしている。

愛川の母は1979年に亡くなっている。今頃、36年ぶりに甘えているだろうか。

再会の時はこう言ったかもしれない。「おまっとさんでした」


相模弘希) 最終更新:2017.12.23 07:06

 

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現在絶版となっている愛川欽也の小説『泳ぎたくない川』(文藝春秋)


「アド街」降板後すぐ…5カ月前のインタビューで

「おおざっぱに生きてきた」

 

       【愛川欽也さん死去】「アド街」降板後すぐ…5カ月前のインタビューで「おおざっぱに生きてきた」

       【 愛川欽也さん死去 】「アド街」降板後すぐ…

        5カ月前のインタビューで「おおざっぱに生きてきた」

 

 「俺、小っちゃい頃からおしゃべりだったんだよ。そのおしゃべりが生き

たんだね」昨年11月、司会を務めていたテレビ東京系「出没!アド街ック天国」の

取材でインタビューした。愛川さんがその後、半年を待たずに番組を降板し、

亡くなるとは想像もしていなかった。取材時の愛川さんは饒舌(じょうぜつ)で、

気っぷのいい「キンキン」そのものだったからだ。

 

 「ラジオ番組でリスナーにキンキンって呼んでもらって、それからテレビの

司会もやるようになった。俺、ドラマ以外の番組で、台本はいらないんだよ。

放し飼いみたいなもんだな」

 

 本人がそう振り返ったように、声やトークを生かした仕事が活躍の幅を広げて

きた。洋画の吹き替えやアニメ「いなかっぺ大将」の「ニャンコ先生」の声も担当。「おおざっぱに生きてきた。たまたま長く続いた番組が多いけど、何も考えて

いない」。そう謙遜(けんそん)したが、屈託なく、親しみやすい語り口が

視聴者に愛され、数々の長寿番組を下支えしてきたのは疑いない。

 取材した際は、自身の疎開体験から普段の食事、映画への思いまで、話題が尽きなかった。仏の名優、ジャン・ギャバンにあこがれて俳優を志したことを振り返り、「映画は飽きないね。今、(監督した)新作を編集しているんだよ」と充実した  表情を浮かべていたのが印象的だった。あの早口でのおしゃべりを、もっと聞いて いたかった。(三品貴志)

 

テレ東アナに「ごめんね」 故・愛川欽也さんの“最後の言葉”

 2015/12/12/ 07:00      週刊朝日

 

    愛川欽也さん(俳優・タレント)あいかわ・きんや 4月15日死去。享年80 (c)朝日新聞社

      愛川欽也さん(俳優・タレント)あいかわ・きんや 

        4月15日死去。享年80(c)朝日新聞社

 

 今年4月に享年80歳で他界した俳優・タレントの愛川欽也さん。

 

テレビ東京アナウンサーの須黒清華さんは、「出没!アド街ック天国」

(テレビ東京系)共演時の思い出をこう語った。

 

*  *  *

 

 2013年4月から2年、「出没!アド街ック天国」(テレビ東京系)で愛川さんの

「秘書」としてご一緒させていただきました。前任の大江麻理子アナウンサー

(当時)から交代し、初回の収録は不安と重圧でいっぱい。すると、愛川さんは私の腕をぐっとつかんで「大丈夫。そのままでいいんだよ」と言ってくださいました。

間違えても決して怒らず、常に温かく見守ってくれ、スムーズに進行できたら

「うまくなったね」と。偉大な先輩であり、父のような存在でもありました。

 

 愛川さんってとってもお茶目な方なのです。食べることが大好きで、スタジオで

いつもスタッフに「今日は何が食べられるの? 楽しみだ!」と聞き、好物が出ると完食していました。一方、硬派な一面もあります。控室ではずっとお話をされて

いるんですが、話題は政治や事件が中心。政府の政策についてスタッフと討論されていたこともしばしばでした。

 

 3月7日の千回目の放送を区切りに降板された後、初代秘書の八塩圭子さん(元テレビ東京アナウンサーが電話でお話しされたそうで、そのときに「須黒のことを

一人前にできなかったのが心残りだ」とおっしゃっていたと聞き、感激しました。

 

 私も亡くなる前に電話でお話をしました。ご病気のことを知らなかったので、

「どうして辞められたんですか、寂しいです」と伝えると、愛川さんは「ごめんね、ご飯に行く約束をしていたのに行けなかったね」。私は声を聞いた途端に泣いて

しまい、感謝の言葉を伝えられたかどうか……。愛川さんも少し泣かれていた

ような気がしました。最後に「大丈夫、お前なら誰の隣でもやっていけるから。

ちゃんと見てるから」と言ってくださり、その言葉がずっと心に残っています。

 

 亡くなった今も、どこかで愛川さんが背中を押してくれている気がします。この間も番組のスタッフと「愛川さん(天国で)元気にしているかな」って話をしました。「泣くんじゃないよ」とおっしゃると思うので、みんなで笑って、愛川さんが

愛した番組を続けていけたらと思っています。

週刊朝日 2015年12月18日号

 

 

愛川さんのことは、若い時からTVで観ていましたが、明るく面白い人だと思って

いましたが。幼い時から苦労をして、愛妻のうつみ宮土理さんとは、おしどり夫婦としても有名でしたが、健康に人一倍気を使っていたと分かりました。

 

2013年福山雅治冬の大感謝祭がパシフィコ横浜で行われ、武中さんが亡くなっていたので、アキラさん、ウッドくん、ユンくんの3人が中心でライティングを担当。

前年の武中さんが良すぎたのもあり、比べるとあまり良くないと思っていましたが、

あの姉妹が良いアイディアを浮かばないようにしていたのか? アキラさん帰国する

前に「純ちゃん、ごめんな」と言っていたと聞きました プンプン パンチ!パンチ!パンチ!

 

そして、翌年の2月末~4月19日まで、毎日のようにLIVE行かせてほしいと言うと、

逆に来年もLIVEあるとか、図を書いて説明をさせたりして説得されても私の考えは

変わらなかった。(そういうところは頑固!)その間、美容院の予約もキャンセル

して、頑張って行かせてもらえました。その2か月後の小田和正さんのLIVEも、

和歌山に来るよ!と教えてもらい、チケットを買えた後、また行ったらダメだと言われましたが、説得した後すんなり行っても良いと言われ楽しんできました照れパンチ!パンチ!パンチ!むかっ

 

まだ占い師の母がいた時は、アドバイスや相手にも話し合って止めていたり、

ある程度の歯止めにはなっていたと思います。予言も当たっています。

私は母のように甘くないし、頑固な所もあるので一歩も引かない 物申す おばあちゃん パンチ!パンチ!パンチ! 星 むかっ

母の場合、駆け引きもあり難しかったと思います。

母も「自分をしっかり持つしかない!」と言っていましたが、今は違って母の言ったことを信じて良かったと思えるまできました。もう少し頑張ります 笑ううさぎ おばあちゃん 虹

 

 

純ちゃんに嫌な事をしてこないで! 咳や嗚咽をさせないで、口臭を持って来ない、

体を動かしにくくしない、人の言葉を言わさない、人の感情を持って来ない、、

体などを痛くしない。身体を暑くしないで、イレ関係も。脅さないで!  プンプン 爆弾

 

【ボートゲームの禁じ手】を使わないで!

いくつかのゲームには、ルールで定められた禁じ手が存在する。

禁じ手を打った(指した)場合、即座に負けとなるのが一般的である。

スポーツやゲームのように明確な規制で禁じられたものではなく、

「使うべきではない」とされる手法についても「禁じ手」と呼ばれることがある。

 

※このルールを違反した時点で、ゲームオーバー及びゲームアウト! プンプン

その技術を使わないで!


 

TV等の撮影でスタッフに付いて行って、ロケや取材等の邪魔をしないで ムキー パンチ!

束縛、嫉妬や執着、妬み、依存を止めて、人に嫌な事をしてこないで パンチ!パンチ!

人の後ろに憑かない憑依しない、余計なことを言ってこない。トイレ等禁止 プンプンパンチ!パンチ!

思考低下、頭を空っぽにしないで!仕事の邪魔や記憶障害にしない。目の錯覚、

老眼近視、他人に言われたことを人に言わさない。心の中に持って来ない ムキー爆弾パンチ!

ブログを書いている時邪魔しない!自分で考えて書いて。深夜に連絡してこないパンチ!パンチ!

負けず嫌いも程々に高圧的な態度禁止。口臭も。咳込まさない。毒舌禁止、

散財させないで、調子づかないで、無理強いしないで、優柔不断にしないで プンプン パンチ!パンチ!

乗り物関係を運転時は邪魔をしない。中枢神経を触って来ない。頭を重くしないで!

人の感情やパワーを抑えない、唇を痺れさせない。人をコントロールしないで パンチ!

マウントを取って来ない、過保護にしない! を痛くしないで!あの母親のパワーが

胃の付に感じて、あの子が後ろに憑き、あの三女が遠隔でコントロールしてくるの

止めて!あの親子、両依存水晶を使って人を脅さない。個人情報保護法、

プライバシー侵害しない! 日本には言論や表現の自由がある ムキーパンチ!パンチ!パンチ! 

その力、仕事以外に使わないで人の為に使って、決して悪いように使わないで。パンチ!パンチ!

 

全責任は、お母さん達に取ってもらう。 もちろん本人にも取ってもらう!

あの長男、人のPCやスマホに侵入してきて、ハッカーのようにしてこないで パンチ!パンチ!パンチ!むかっ

長女のパワーを使わない! 上記に書いていることは、みんなのことを指す 物申す パンチ!パンチ!パンチ!

 

3つの約束やルール、個人的に約束した事、日本の常識は必ず守って。

アミューズ同様、みんなに対しても約束など厳守して パンチ!パンチ!パンチ!

( 私の言うことを聞く・命関係は打ち止め・引退関係・契約書など、反故にしない )

契約書を読んで!約束を破るとペナルティーが、母との勝負を忘れないでムキー爆弾パンチ!パンチ!パンチ!

 

 

いつもありがとうございます。

 

最後までお読みいただきありがとうございました 愛飛び出すハート