世良公則「歌う役を避けていた僕が、朝ドラ『カムカム』で歌った理由。 | poohta8のブログ

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音楽の力を、ドラマに教えられた」

「世良公則&ツイスト」でデビューから45年 NHK『紅白歌合戦』に出場< 前編 >
2022年12月31日  婦人公論.jpi
 

「これまで、歌う役は意識的に避けてきました。歌うとなれば、プロのロック

ボーカリストである世良公則の部分が出てしまい、芝居をするうえで邪魔になる」

 

日本のロック界に鮮烈な印象を与えたデビュー以来ミュージシャンとして

活躍し続ける一方、俳優としても数々の映画、ドラマに出演してきた世良公則さん。2021年はNHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』でジャズの名曲を熱唱し、

大きな話題となりました。そんな世良さんにとって、これまでの日々、

そして、これからは――。(構成=福永妙子 撮影=岡本隆史)

 

22歳のときに夢見た光景が

 

NHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』で歌った反響は大きかったですね。

僕が演じたのはジャズ喫茶のマスター。戦前・戦中・戦後と時代が移り変わるなか、一時は敵国のものとして許されなかったアメリカの音楽を愛し、進駐軍のパーティーでジャズの名曲「オン・ザ・サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート」を歌う。

敗戦後、人々が立ち上がって懸命に生きようとするドラマのストーリーと相まって、みなさんの心に響いたようです。音楽の力というものを、あらためてドラマに

 

 

教えてもらった気がしました。

これまで、歌う役は意識的に避けてきました。歌うとなれば、プロのロックボーカ

リストである世良公則の部分が出てしまい、芝居をするうえで邪魔になる。だから、ミュージシャンである自分と、俳優である自分を明確に分けていたのです。

ただ今回は、コロナ禍でみなさんが喪失感や失望感をいだくなか、歌うことで

伝わるものもあるのでは、と考えました。同時に、敵国のものとされた音楽を

愛し続けた姿が、僕自身に重なる部分もあったのです。

「世良公則&ツイスト」としてデビューした1977年当時、日本ではまだまだロックは認知されていませんでした。地域によっては「ツイストのコンサートに行っては

いけない」と教育委員会からお達しが出るほど。ロック、イコール不良の構図です。

同じミュージシャンの先輩からも反発がありました。歌番組の常連になると「テレビなんかに出て、あんなのロックじゃない」などと言われたりして。でもむしろ僕らはテレビに出たかったし、そのつもりで上京し、デビューした。ロックをもっと

メジャーなものにしたい。たくさんの人に俺たちのロックを聴いてほしいと。

そんな時代から時を経て、現在はといえば――ミュージックチャートを占める

曲の多くはロックサウンド、テレビにもロックバンドがどんどん出ています。

「世良公則&ツイスト」が3年半で解散したあとはソロで活動していますが、

今、僕のコンサートには、ツイスト時代からの60、70代のファンもいれば、

ツイストを知らない30、40代、バンドをやっている若い子たちも来ます。

『カムカム~』で知ったという方も。ライブ会場を見渡すと、20代から70代まで

何世代にもわたって、ひとつの空間で同じ熱い時間を過ごしている。

そんな光景を見ていると、感慨がこみ上げます。22歳でデビューしたときの夢は

これだったなと。たとえば、すごい車に乗ったり、お金を儲けたりすることは、

タイミングがよければすぐに実現できる。だけど、僕の夢は絶対に時間を

かけないと叶わない。そういった意味では、僕も音楽の世界で年月を重ねながら、

一つひとつ夢へのステップを踏んでこれたのかな。

 

「ファンの方に求められている《 ボーカリスト世良公則 》の

強さというものに、幾分かでも応えようとしている自分がいて」

 

40代になり俳優を完全休業

 26歳頃から俳優の仕事も始めました。音楽をやりながら、俳優もやる。

そんななか、30代の終わり頃から40代にかけて、大きな岐路に立たされました。

デビュー以来、音楽での自分は、そのパフォーマンスもあって強くてワイルドな

イメージ。一方、映像は別世界のもの。ところが、ファンの方に求められている

「ボーカリスト世良公則」の強さというものに、幾分かでも応えようとしている

自分がいて。スクリーンのなかでもそれに影響されることがありました。

あるとき、音楽のスタッフに言われたのです。「世良さんは死ぬとき、みんなから

何だったと言われたいですか」。僕は答えました。「あいつ、ちょっとだけいい

ミュージシャンだったな、と」。返ってきた言葉は「ならば、今やってることは

ちょっと違います」。つまりは、今のままでは、ミュージシャンとしても俳優と

しても、ずっと鎧兜をまとい続けることになる。それはそれでカッコいいと

支持してくれる人もいるだろうけど、自分たちスタッフの思う世良は違うんだと。

 

高校のアマチュアバンド時代から一緒にやってくれている、キーボードの神本宗幸

くんも言うのです。「本番のときの世良さんは大きなアクションで肩から湯気が

立ち上っている感じだけど、リハーサル時の、ポケットに手を突っ込んでフラッと

歌い出し、そこにいるだけなのに歌の世界に引き込まれる……そういう世良さんを

見たい」と。僕のことをよく知る、信頼できる仲間たちの言葉は重かった。

悩みに悩んだあげく、音楽を一からやろうと決意したのです。

40歳を前に、俳優の仕事を控え、ギター1本を持ってロスに渡ったり、

アコースティックギターだけのライブをやる、といったことを始めました。

そして、99年に2度目の日本アカデミー賞・優秀助演男優賞をいただいた直後、映像の仕事はすべて辞めたのです。俳優として評価していただくことはありがたかったですが、僕の選択は、覚悟を持って音楽活動に専念すること、でした。俳優を完全休業すること十数年。連続ドラマは、『マルモのおきて』への出演が17年ぶりでした。

ブルース・リーの名言に、「Be water~水になれ」というのがあります。俳優業を

再開してからの僕は、この感覚でしょうか。水の流れのように、表現者として

そのつど形を変えるのを恐れない。僕には音楽がある。音楽をやっているときは

世良以外の何者でもない。音楽と徹底的に向き合い、そのことが確信できたから、

映像で役柄を演じるとき、誰か別人になることを恐れる必要がなくなったのです。

 

世良公則「67歳、若い頃より声が出る。アイシングに料理、陶芸、体幹トレーニング…100歳まで歌い続けるために」

桑田佳祐、佐野元春、Char、野口五郎 同級生と歌う < 後編 > 2022年12月31日

 

「2時間半のステージでも体はフラつきません。ひょっとしたら30代の

ミュージシャンよりも、僕のほうが元気かもしれない(笑)」(撮影:岡本隆史)

 

日本のロック界に鮮烈な印象を与えたデビュー以来ミュージシャンとして活躍し続ける一方、俳優としても数々の映画、ドラマに出演してきた世良公則さん。2021年はNHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』でジャズの名曲を熱唱し、大きな話題となりました。そんな世良さんにとって、これまでの日々、そして、これからは――。

自らダシをとり自作の器で食事を

僕も67歳になり、肉体的にいろいろ変化はあります。ただ、若い頃と比べると、今のほうがずっと声が出ている。僕なりのケアの方法があって、アスリートが試合や練習の後にやっているアイシング――氷で筋肉を冷やすという方法を取り入れています。のども筋肉ですから。ライブ後、20分ほどアイシングし、あとは、しっかり食べて

栄養をとり、体を温める。そうすると寝ているあいだに筋肉が再生する。

この方法を始めてから、ライブが続いても、のどを痛めることはなくなりました。

30年以上、耳鼻咽喉科のクリニックとも無縁です。

体調管理というほどではないですが、食事面では、ほとんど外食はしません。

事務所にいるときはもちろん、ライブがあるときも、関東圏なら事務所に戻ってきて、自分たちで食事を作る。そんな毎日だから、打ち合わせに来たミュージシャンも、「今日のメニューは何ですか?」と聞いて、食べていきますよ。

料理は和風ダシを利かせた、あっさりしたものが中心。今の季節だと鍋料理が多い

かな。夕方5時になると、「ミーティング、進めといて」と言って、みんなが譜面の

整理やライブの曲順を確認している間、僕は席を立ってダシをとり始める。(笑)

ギターを弾きながら何曲も歌うライブをこなすには、体幹を鍛えておくことも必要

です。自己流でやっているのは、「プランク」という体幹トレーニング。肘をつき、腰を浮かしたうつぶせ状態を基本形に、いろいろなバリエーションのエクササイズで体幹を鍛えます。そのおかげか、2時間半のステージでも体はフラつきません。

ひょっとしたら30代のミュージシャンよりも、僕のほうが元気かもしれない。(笑)

音楽から離れている時間には、11年前から始めた陶芸に没頭しています。22年は個展も開き、陶芸作家としてプロデビューもしました。事務所で使っている器は、ほとんど僕の作品。来客があると、まず僕が自作のお茶碗で抹茶を点て、和菓子と一緒にお出しします。

打ち合わせが終わり一緒に食事をとなると、これまた僕の作ったぐい呑みで

日本酒を一杯、となるわけです。僕はお酒を飲みませんが。(笑)

陶芸家の大事な仕事は土を練ること。空気を抜き、堅さを均一にして土の状態を

整えます。時間があればこれをやっていて、ときには4、5時間も。

スタッフに「明日からライブですよ」と注意されることもたびたびです。

土のかたまりを見つめながら、一心不乱に練る。やがて何も考えず「無」になる。

陶芸だけでなく、音楽も然り。ものを作るとき、余計なことを考えず無心になることの大切さ、そういうことに気づかせてくれるこの時間が僕は大好きなのです。

次に続く人たちの灯台になること

長くアーティストをやってきて、大きな困難といえるのが今回のコロナ禍です。

音楽業界も大打撃を受けました。

そんななか、関係のある小さな制作会社の社長さんが自死されたことを知りました。キャンセル料、チケットの払い戻し、それが数ヵ所の大きな会場ともなれば何千万という大変な金額になる。体力のない小さな会社は持ちこたえられません。

ツアーやライブが中止になれば、アーティストはもとより、音響、照明など制作に

かかわっているスタッフ、バックミュージシャン、グッズを作っている方たちなど

裏方の人たちの仕事も消える。一瞬にして〈人生が蒸発してしまう〉のです。

僕は黙っていられなかった。国会議員の方々に会いに行き、現状を話し、要望を伝えました。けれども、いろいろなシステムはできても問題だらけ。融資という名の借金は、コロナが収束せず、生活も元に戻っていないのに、すでに返済が始まっています。そういう政府の対応に対して僕は物申すし、SNSでも発信し続けています。

「音楽屋なら歌っていればいいんだよ」と、反発や誹謗中傷も多い。だけど僕は、

音楽に携わっている人間だけでなく、困窮している国民が絶望せずにすむように、

声を上げ続けます。この先また何かが起きたとき、僕よりも下の世代の人たちが

「今度は俺たちが動く番だ」となるよう、次に続く若い人たちにとっての

灯台になるのも僕らの役目かなと思うのです。

《 同級生 》たちと一緒に歌い、演奏して

僕の世代といえば、22年5月、桑田佳祐、佐野元春、Char、野口五郎、そして僕と

いう、同じ時代を走ってきた《同級生》(1955、56年生まれ)5人が集まり、

制作したのが「時代遅れのRock’n’Roll Band」というミュージックビデオです。

あるとき、桑田氏とお茶を飲みながら話していたら、彼が「今、俺たちの世代で何かできないかな」と。そうして桑田佳祐作詞作曲による「時代遅れの~」が生まれたのです。メンバーは桑田氏が直々に口説きました。

これまでほとんど接点がないメンバー同士だったにもかかわらず、不思議ですね。

集結すると、自然に会話が弾み、何の違和感もなく、バンドメンバーとして

一緒に歌い、演奏している。それぞれが素晴らしいキャリアの持ち主だし、全員が

互いをちゃんと認めているからこそでしょう。この企画は桑田氏の熱意のおかげ

だけど、長く音楽をやっていると、こんな幸せな時間にも出会えるのです。

 

 さて、僕はこの先どこまで走り続けるのか。ライブでご一緒することも多い

宇崎竜童さんは僕より10歳年上。その宇崎さんは妻の阿木燿子さんと

「100歳まで頑張れそうだね」と話したそうです。

この歳になると、「10年先、俺、大丈夫かな」なんて考えてしまうけれど、

実際に前を走っている先輩がいる。僕も二人がリタイアする年齢までは辞めません。ミュージシャンとして、100歳まで走り続けます。出典=『婦人公論』2023年1月号

 

伊勢物語のあらすじ

 

十三 武蔵鐙
むかし武蔵の国に住む男が
都に住む女性のもとに
「申し上げれば恥ずかしいことを
申し上げずに黙っているのは苦しいです」
と書いて
表書きに「むさしあぶみ」と書いて送って来た。
「武蔵の国で逢う(浮気する)身」を掛詞にした表書きだった。
そののち手紙を寄こさなくなってしまったので
都から女性が

 武蔵の国で浮気する                      武蔵鐙
 それでもあなたが好きだから          さすがにかけて頼むには
 お手紙なければ悲しいし                問はぬもつらし
 読めば読んだで腹が立つ                問ふもうるさし

と詠んだ歌を見て
男は耐えがたい気持ちになった。
そこで

 手紙を出せば嫌われる                   問へばいふ
 出さねばつらいと恨まれる             問はねば恨む武蔵鐙
 思い悩んでこんなとき                 かかるをりにや
 人は死んでいくのかな                 人は死ぬらむ

 

 

ミュージシャンのイヤモニを付けている時や耳を痛くしないで。喉を炎症させないパンチ!

人の首を痛くしない、思考を低下させないで、頭や心をモヤモヤさせないでムキー パンチ!パンチ!

言葉が詰まらせない、体調不良や無力になさない。人のパワーや感情を抑えない パンチ!パンチ!

どんな理由があろうと自殺だけは止めてほしい。亡くなる人は、自分の生命保険で後は、なんとかしてほしいと言う事は自分勝手で、残された人のことを考えていない。そんな余裕が無いと思いますが、自殺する前に信頼できる人に相談をしてほしい パンチ!パンチ!

占い師の母が「一から頑張りなさい」という言葉は、世良公則さんのことだったんですね。1985年に尾崎豊さんも休業して、ギター1本持ってロスへ行きました。そして、1996年に福山雅治さんも休業をして、ギター1本持ってアフリカへ行きましたおばあちゃん

 

世良公則さんとみんなの夢は、同じだと思います。

本当に、時間をかけないと叶えられない夢です。

もう少しの辛抱で、叶えられるように頑張ります。

尾崎豊も東京ドームLIVEで卒業を歌う前に「それ、俺の夢だから壊さないようにね」

と言った言葉を思い出しました 笑ううさぎ おばあちゃん 虹

 

 

いつもありがとうございます。

 

最後までお読みいただきありがとうございました 愛飛び出すハート