(1)「秘密をバラすと脅した」と・・・ 2011年12月13日Asagei+
謎の密室死から3年。“犯人”と言われた親友ホステスが「真相」初激白
2008年暮れ、自宅で変わり果てた姿で発見された人気タレント・飯島愛の死から
まる3年。直接の死因は肺炎だったが、当時、「死の直前に何かにおびえていた」
など、さまざまな情報が飛び出し、いまだ「怪死の真実」は謎に包まれている。
そんな中、当時飯島を死に追いやった「犯人」と名指しされた親友ホステスが、
初めて「真相」を本誌に語った。「飯島愛を死に追いやり、彼女を殺した女だ」─。私は3年前、こうネット上で名指しされていました。
確かに愛が亡くなる前後に愛のブログの中で、私の名前をかたり、彼女を中傷する言葉が何度も書き込まれていたのは事実です。そして、愛の死の直後に複数の
メディアで、「彼女の“過去の秘密”を握っている人間が、それをネタに彼女を脅していた」「脅迫したのは飯島がAVに出る前から親友で、同居するほどの仲だった女性」
などと報じられると、ネット上には、いよいよ私は写真付きで「愛を殺した犯人」
呼ばわりされたんです。言葉を選び決然と話すのは、銀座でホステスとして
働きながら、ノンフィクション作家としても活動する倉地明美さんだ。
飯島愛(享年36)の3歳年上の彼女は、飯島とは20年来の親友で、冒頭のように
名指しされた直後も、「何を言われても私と愛は強い絆で結ばれている」と、
ひたすら耐えた。しかし書き込みはエスカレートし、倉地さんは精神的苦痛から
自殺も図った。そんな体験から、飯島の死について長く沈黙してきた彼女が、
心の落ち着きを取り戻し、今回、コトの真相を語ってくれたのだ。
飯島との出会いから、いさかい、そして自身がなぜ、犯人扱いされたのか。
それを語ってもらう前に、もう一度、飯島の「密室死」について振り返っておこう。
AV女優からタレントに転身し人気者になったが、「芸能界で目標や夢が
見いだせない」と、07年に引退した飯島が、東京・渋谷区のマンションの自室で
死亡しているのが知人に発見されたのは、08年12月24日。クリスマスイブの悲報は
彼女のファンや芸能界に大きな衝撃を与えたものだ。
発見時に死後1週間ほど経過していたという飯島の死因について、当初、通常1週間ほどで出る病理検査の結果が遅れたこともあり、さまざまな憶測が乱れ飛んだ。〈遺体から覚醒剤反応が出た〉、〈何者かによる他殺ではないか〉‥‥。
結局2カ月後、直接の死因は肺炎だと警察が発表。が、その後も別の薬物による
死亡説、飯島が始める予定だった女性向けコンドーム会社を巡る金銭トラブル
など、“死の謎” が、さまざま報じられたものだ。
以下、倉地さんに順を追って「自身と飯島との20年」と彼女が見た
「死の真相」を語ってもらおう。
愛と出会ったのは、80年代後半のバブル最盛期。当時19歳だった私が勤めていた、
六本木のクラブのロッカー室で、愛は笑顔で私に挨拶してきた。
「愛っていいます。今日からこのお店に入りました。よろしくお願いします」
「今日からヨロシクね、ところであなた何歳なの?」
「えっと、19歳です」
「何だ、私と同い年じゃない。さっそく私のお客様についてよ」
最初、こんな会話を交わし、自分のお客様の席へ案内したのが始まりでした。
その後、愛が、私が通っていたディスコ「マハラジャ」の常連だったことや
偶然住んでいるところも近かったので、どんどん仲よくなりました。
(2)「AVに出たら友達やめる?」 2011年12月14日 11:56
当時、お互い一人暮らしで、私が病気になった時に愛は必ず看病に来てくれ、
私も愛が熱を出した時には看病しました。買い物も食事も一緒のことが多く、夜中
でも、「1人で『Xファイル』観てたら怖くなっちゃったから、泊まりに来てぇ」
と電話があれば、愛の部屋に行き、一緒にビデオを観た。空腹になれば、パジャマでコンビニ、つらいことがあれば、目黒川のほとりで、2人でしゃがみ込み、何時間も語り合った。私の母が部屋に泊まりに来ると、愛は「お母さん、お母さん」と母に抱きついた。そんな無邪気な愛を、母もかわいがってました。3人で買い物に行けば、
「お母さーん!この洋服似合う?」と、愛は自分の母親のように試着室に呼んでいた。ただ、「いいなぁ、母親と買い物なんて。派手な服を見ても怒らないし‥‥」と、
寂しそうに漏らすこともありました。それから1年ほどたったハロウィン直前のことです。誕生日が近づいてきた愛が、伏し目がちに、「ねぇ、話したいことがあるん
だけど、怒らない?」と前置きして、「私、実は今、16歳なんだ。怒った?
これから敬語話さないとダメだよね」と告白したんです。私が、「そんなこと
関係ないよ、いまさら敬語で話しても変な気持ちになるからやめて」と答えると、
愛は凄くうれしそうでしたね。その後、私は六本木から銀座のクラブに移り、
愛も銀座の別の店に移りましたが、親友関係は続きました。
そんなある日、愛が私に相談を持ちかけてきた。
「ねぇ、私、AV女優になろうと思うんだけどどう思う?」
「えっ? マジで?」
「うん‥‥いろいろ考えたけど、お金が欲しいんだよね。明美は、私がAV女優に
なったら友達やめる?」不安そうに聞いてきたので、私はこう言いました。
「別に愛は愛なんだから、何も変わらないよ。ただし、いろいろリスクは
背負うと思うから、それを覚悟で決めたのなら止めないよ」
愛は「ほんとに? 軽蔑しない?」と念を押してましたよ。
(3)自伝本に「ウソ」を書かれて 2011年12月15日
AVデビューした飯島はたちまち超人気女優になった。そんな中、倉地さんは、変装した飯島とレンタルビデオ店で飯島のAVを借り、一緒に観たこともあったという。
「あのさ、(AVは)マジでつまんないね」「だから、つまらないって言ったじゃんか。それより、2人で私のビデオを観ている光景がウケるよね」
こんなやり取りのあと愛はケラケラ笑ってました。
愛がAVを引退してタレントとして人気が出ると、街を2人で歩いていても、
「あっ!飯島愛だ!」とたちまち人だかりができ、原宿など行こうものなら身動きが
取れなくなりました。でも友達づきあいは続き、私が結婚して娘を出産した時は
愛も喜んでくれて娘を抱いてくれました。
その後の一時期、多忙な飯島と倉地さんとの交流は多少減ったという。
この間、倉地さんは離婚し、娘を育てながら銀座勤めを続けていたが、ある日、
飯島から電話がかかってきた。00年に飯島が出版し、ベストセラーとなる自伝
「プラトニック・セックス」(小学館)の執筆協力依頼だった。
お互い近況を語り合ったあと、愛が、「私、今度本を出すんだよね。
洗いざらい自分の過去を書こうって。でも、私の人生は明美の存在なしでは
書けないから、書いてもいいか聞きたくて‥‥」と切り出した。私が、「そっか。
アンタは決めたことはするだろうからね。私のことを書くのは別にいいよ。
ただ、ウソだけは書かないで。悲しくなるから」と答えると、愛は、
「ほんとに? いいの?よかったぁ。断られると思ってたから安心した」
その日から愛はまた頻繁に電話してくるようになり、六本木時代の事実関係などを何度も確認してきました。数カ月後、「いつまでも親友でいてね! 愛チンより」と
書かれた直筆メッセージカードとともに自宅に「プラトニック─」が届きました。
ところが本には、事実と違う部分がいくつもあった。愛に電話で抗議したんですが、愛は、「ごめん、おもしろおかしく書かなきゃいけなくなって」
その時は、そう素直に謝ってくれましたが、翌年の放映されたテレビ版ドラマでは、私が愛の彼氏を寝取る役で出てきた。「ドラマもウソばかりじゃない。どうして私が悪者になっているの?」電話で抗議すると、愛は、「あら、ごめんなさい。ドラマは私の手から離れているし、私も観てないもん」カチンときて私が電話を切ると、
すぐ何度も愛からの着信。出ないでいると、「電話に出てくれないんだね、ごめん。ごめんね」と留守電に寂しそうな声が残ってました。この直後に映画版が公開された時は、招待券が届き、「よかったら観にきて」という手紙も添えられてましたが、
まだ愛を許せないでいた私は観ないでいました。
(4)死の直前の「痩せていた腕」 2011年12月16日
ところが、倉地さんがインターネットでサイトを立ち上げ、08年に「倉知明美」
名で、銀座ホステス業界の裏側を描いた本を出版したことから、倉地さんの身に
飯島との関係を巡るトラブルが起き始めた。サイトで知り合った大阪在住の
自称カメラマン・平岡太郎(仮名)に付きまとわれたのだ。
平岡は最初、私にメールや電話を時々してくる程度でした。ところが次第に
非常識な時間に電話をかけてきたりするので、注意すると平岡は逆ギレ。
私の本の内容や、愛との関係についていろいろな話をデッチ上げ、ネット掲示板
「2ちゃんねる」に悪口を書き始めたんです。やがて不特定多数の人間が彼の話を
真に受け私の悪口を書き始めた。相手にしないでいると次に平岡は、愛のブログに、私の名前で愛の悪口を書き込むようになり、それを信じたファンが、私のサイトに
何百と抗議を書き込み始めた。「愛ちゃんに嫉妬して嫌がらせするな !」
「生きていてもしかたない人間。早く死んで」‥‥。
あげく私が「飯島愛が女子高生コンクリート詰め殺人事件に関係していることを
ネタに彼女を脅している」犯人だと書き込まれたんです。
確かに飯島は、06年10月のブログで、自身が89年に東京・足立区で起きた
この猟奇事件に関与しているという中傷に悩んでいたことを明かしている。
さるネットライターは言う。「あの噂は、飯島さんが、犯人のグループと同年齢で、彼女の実家が犯行現場から比較的近かったことや少年の交際女性が監禁現場に出入りしていたという情報だった。少年事件ゆえ犯人の名前や環境が不明で、
ネットにあらぬ噂が立ったのです」平岡は、私が愛と長年の親友だったことや、
愛がこの噂に悩んでいることを結び付けて中傷したんでしょう。
そんなこと、愛はわかっているはずなのに、愛のブログに私の名前で書かれた
中傷を愛に削除するよう言うと「私がブログを管理しているわけじゃないから‥‥」と言うだけでした。やがて2ちゃんねるには私の自宅住所や、家族の中傷まで
書かれた。娘はショックで失神し、家には連日脅迫電話もかかってきた。
警察に言っても、最初は動いてくれなかった。
そんな中でも、愛が亡くなる少し前の08年の秋頃、彼女に誘われ、三宿の飲食店で会っていたんです。もちろん愛は私を疑ってはいなかった。ただ、薄手の白いカーディガンから透ける、愛の腕が痩せていたので心配になり「愛をケアしてくれる人は
いるの?」と 聞くと、笑って、「大丈夫だよ、いるよぉ」と答えていましたが‥‥。
そして愛の訃報。とてつもないショックでしたが、ネットでの私への中傷は、
いよいよ残酷を極めたんです。「人殺し!」「愛ちゃんを返せ!」「お前が死ねばよかった !」「愛ちゃんを追い詰め、脅迫、殺した犯人」「愛ちゃんを毒殺した」‥‥。
そして冒頭で触れたように、一部週刊誌と夕刊紙で倉地さんが飯島愛の死に関与
していたかのような記事が掲載されると「週刊誌が書くなら真実だ」と書き込まれ、倉地さんはタオルを使い、自宅で首つり自殺を図る。幸いタオルはちぎれ、
大事には至らなかった。そんな私がなぜ愛を死に追いやったように言われなければ
ならないんでしょうか。愛が亡くなったあと、私には、事情聴取はおろか
警察からの電話すら一度もなかったんですよ。
その後、倉地さんは友人や弁護士の協力を得て、このネット犯罪を告発。
警察も捜査に動く。そして飯島の死から約1年余りあとの昨年3月、平岡と謀って
倉地さんを中傷していた大阪の無職女性(45)が名誉毀損容疑で逮捕された。が、
中傷の内容は報じられず、大きな話題にはならなかった。その後、倉地さんへの
ネット中傷はなくなったというが、平岡はいまだ逮捕されていない。
私が当初、観ようとしなかった映画版「プラトニック─」は、愛が亡くなって
しばらくして、ネット中傷に苦しむ中、DVDで観ました。私の目からは自然と涙が
あふれ出しました。映画には原作本やドラマ版で私を怒らせたことをわびるように、2人しか知らない思い出の場面がいくつも描かれていたんです。
愛の本当の素顔、そして、ネットの誹謗中傷が重大な犯罪であることを伝えることで、永遠の親友である愛への供養になればいい。今はそう思っているんです。
飯島が始める予定だった女性向けコンドーム会社を巡る金銭トラブル。
1989年秋頃、しんどくて自宅で寝ていた時に、急にインターホンが鳴り出ると
「岡村ゴム」というので、意味も分からずドアを開けると女性がゴムを出して説明。
妊娠している時、このゴムを付けるといいとか、薄いと言われたことがありました。
あんなことは、最初で最後の出来事でした
2ちゃんねるには私の自宅住所や、家族の中傷まで書かれ、
娘はショックで失神し、家には連日脅迫電話もかかってきた。
コンクリート事件の裁判が終わった後、渡邊恭史被告人が倒れたのと似ていますね。
尾崎豊 1987年8月29日「TREES LINING A STREET」ツアーの有明コロシアム
公演のライヴの映像をyoutubuで観ました。この時、尾崎が曲を歌っていた時に急に倒れて、しばらくすると起き上がりまた歌っていました。こんなことが何回か続き、今度は、倒れた時にサポートメンバー(ギターの人達)が集まり尾崎を囲み演奏を
していたら、急に尾崎が起き上がり何事もなかったように曲を歌い始め終わった。
あの姉妹に尾崎のパワーを取られ、しばらくして尾崎にパワーを戻したように
観えました。この当時も、あの姉妹から嫌がらせを受けていたのが分かりました
被害者の順子さんがされたことで似ているものを上げていきます。
沖雅也とに日影さんがホモセクシュアル。でも、沖さんはバイセクシャル。
林真須美死刑囚は、激高して自宅にあったヒ素をカレーのずん胴に入れた。
その娘が結婚し孫娘が生まれ、可愛いはずなのに、その娘の歯をペンチで抜いたり、
虐待をしたり、栄養失調になりその後、死亡しました。
娘も次女を道ずれに関空の橋から身を投げて自殺をしたとニュースで知りました
奈美悦子さんが美容整形で、自分の乳首が陥没したと。
急に難聴になった芸能人、氷室京介さん、堂本剛くん、浜崎あゆみさんなど。
目が垂れていたミュージシャンのDAIGOとネプチューンの名倉潤さん。
目が腫れぼったいのが羽鳥さんで、顔がむくんでいるのが宮根誠司さん。
2010年10月~2022年8月30日の2014年の紅白出演と2017年11月ディナーショー
意外は、体調不良で芸能活動ができなかった。顔面麻痺も・・・
あの姉妹が少年たちに憑依して、脳の神経を触ってコントロールしていた
1988年12月27日(火)~29日(木)チェッカーズ日本武道館LIVE。
LIVEの方へ行っていたので、あの少年たちは自分達がした犯罪に気が付き困った。
被害者をどうしようか?処理に困った。たぶん、渡邊恭史が被害者をミンチにして
浴室で流そうと言ったのは、あの三女に言わされたと思います
犯人たちをわざと怒られて、それを利用して暴力や異常なほどの行動をさせた。
三女の技術を使って( 怒らせると、何をするか分からない連中なので )
被害者が気絶している間にあの姉妹が、時間をかけて脳を萎縮させていた
そして、理性も失わされていたから、あんな悲惨なことが出来たと思います。
記憶を消したり、感情を抑えたり、犯罪をエスカレートさせたり。
人間のすることではない。悪魔~~~の仕業で残忍極まりない
倉地さんは、ネットの誹謗中で精神的苦痛になり自殺を図った。
よく言う、文字は人の心を傷つけ、死に追いやることも出来ると聞きます
ネットも顔が見えないと思って死ね!や誹謗中傷を書いていいと思っているのかな?最低限のルールや常識を守らないと、とんでもないことになる
いつもありがとうございます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました