【 コンクリート殺人事件の犯人の1人 】 New See

 

「女子高生コンクリート殺人事件」の準主犯格・小倉譲の現在に

注目が集まっています。この記事では、小倉譲の生い立ちや姉や母親などの家族、

女子高生コンクリート殺人事件での出所後の中国人女性との結婚や神作譲への改名、再犯事件での逮捕、現在の行方などについてまとめました。

 

小倉譲は女子高生コンクリート殺人事件の準主犯格

 

出典:https://pbs.twimg.com/

 

小倉譲(おぐら・じょう)は、1988年11月から1989年1月にかけて発生した

「女子高生コンクリート殺人事件」の準主犯格として逮捕有罪となった男です。

小倉譲は、見ず知らずの当時17歳の女子高校生を拉致監禁し、集団で拷問や強姦などを繰り返した挙句に死亡させ、その遺体をコンクリート詰めにして遺棄するという

残忍な犯行に主導的な立場で参加しました。これほど身勝手かつ残忍な犯罪を

犯しながら、小倉譲は、事件当時17歳と未成年だったため少年法に守られ、

実名や顔写真などは隠されて報じられ、裁判での判決も「懲役5年以上10年以下」の不定期刑という、事件内容と比してとても軽い印象受けるものでした。

 

今回は、この「女子高生コンクリート殺人事件」の準主犯格・小倉譲について

まとめていきます。

女子高生コンクリート殺人事件の概要

出典:https://pbs.twimg.com/

 

(中略)

その後、宮野は仲間らと連絡を取って合流し共謀して、たまり場の湊の

自宅(実家、両親は共産党員)の部屋へとFさんを拉致して監禁しました。

小倉譲は、この時点から犯行に参加しています。

その後、宮野や湊、小倉譲らはFさんを部屋に監禁したまま、

代わる代わる強姦をし、さらには、様々な拷問・陵辱行為を加え続けました。

 

裁判記録やメディア報道などによると、小倉譲らがFさんに対して行った

拷問・陵辱行為は以下のような内容だったという事です。

陰部の毛を剃り、マッチで火をつけたり、ロケット花火を挿入して

発射したり、ガラス瓶や鉄棒などの異物を挿入したりする。

蝋を垂らして顔面を蝋塗れにし、瞼に火がついた状態の蝋燭を立てる。

服を脱がせて音楽に合わせて踊らせながら、自慰行為を強要する。

牛乳や水などを大量に飲ませた上で、半裸状態にして

真冬のベランダに出して放置する。

身体にライターオイルなどを垂らして火をつける。

小倉譲らのこうした行為は、日を追うごとにエスカレートし、

殴る蹴るなどの暴行に加えて、食物などもわずかしか与えられなかったため、

Fさんは次第に衰弱状態になりました。

 

1989年1月4日、宮野裕史、小倉譲、湊伸治の3人は、ぐったりとして横たわる

Fさんに、「小倉ようかん」を渡して「これは何だ」と尋ね、Fさんが「小倉

ようかん」と答えると、「なんで小倉譲を呼び捨てにするのか」などと理不尽に

激昂して見せ、それを合図にしてFさんに激しい暴行を加えはじめました。

翌日、Fさんが死亡した事に気がついた小倉譲らは、遺体を毛布でくるんでから

大型の旅行鞄に入れてガムテープでぐるぐる巻きにして、それを近所から盗んで

きたドラム缶に入れてコンクリートを流し込み、それをトラックに乗せて運んで、

東京都江東区若洲の埋め立て地に遺棄しました。

その後、別の事件で捕まって取り調べを受けていた小倉譲らは、刑事がカマを

かけるために言った「人を殺したらダメだろう」という言葉を、Fさんの遺体が

発見されたのだと勘違いし、Fさんに対する一連の犯行を自供した事から

「女子高生コンクリート殺人事件」は発覚する事になりました。

 

事件内容のあまりの凄惨さから、事件は大きく報じられ、被害者少女も加害者も

10代の未成年だった事でも注目され、加害少年らの実名報道や顔の公開を求める

声などが高まり、一部の週刊誌が実名と顔写真の公開に踏み切るなどして、

さらに注目度を上げていきました。現在も、「女子高生コンクリート殺人事件」は、戦後最悪の少年事件の一つとして、度々話題に上っています。

【補足】

コンクリート殺人事件の被害者への対応

 

 女子高生コンクリート殺人事件での逮捕後に小倉は涙を流しながら「本当に申し訳

ないことをした、被害者の遺族に対しては出所したら必ず償う」と語っていました。
しかしそれは、周囲の同情を買う為の演技であり、実際に出所後に遺族に支払った

慰謝料は殺人で娘を奪われた遺族への気持ちには到底及ばない程の少ない額でした。また支払うはずのお金を高級車や高級住宅に変えて遊んでいたといいます。
昔の仲間からも「あいつは、何回やっても懲りないだろう」と口を揃えて

言われていました。この事実には、被害者の遺族の方々でなくとも

憤りを感じるのではないでしょうか。

【補足】

小倉の家族は、被害者遺族に50万円という少額の慰謝料を支払いましたが、その後、小倉の母親はマンションを購入しています。息子は、我欲は満たしていました。

 

小倉譲の生い立ち

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女子高生コンクリート殺人事件の主犯格の1人、小倉譲の生い立ちに

ついてもみていきます。

 

小倉譲は、1971年5月11日に東京都足立区で両親と姉の4人家族で生まれました。

小学校は、地元の足立区立東加平小学校へ進学し卒業しています。小倉譲が小学3年生の頃に両親が別居し、姉と共に母親に引き取られて母子家庭で育っています。

母親は子供2人を育てるために水商売で働いていたようですが、小倉譲は、そうした

家庭環境になってすぐに非行に走ったというわけではなく、小学校卒業後はそのまま地元の足立区立東綾瀬中学校へと進学して卒業し、葛飾区の私立高校修徳高等学校へと進学しています。なお、「女子高生コンクリート殺人事件」の主犯とされる

宮野裕史は小倉譲にとって、この中学・高校時代の1学年上の先輩でした。

 

小倉譲は、高校の途中までは部活動に打ち込むなど真面目に生活していたようですが、この部活動の試合で怪我を負ってそれが原因で退部する事になり、この頃から

非行に走るようになり、校内で暴力事件を起こして退学処分となっています。

その後はアルバイトを転々としながら、東京都立港工業高等学校(現在の東京都立

六郷工科高等学校)の定時制に編入していますがこれも中退しています。

この頃に後に「女子高生コンクリート殺人事件」の共犯者となる、宮野裕史、

湊伸治、渡邊恭史らと共に地元の暴力団も出入りするようになり、名目的に

その暴力団の下部組織「極青会」の副会長を名乗って悪さをするようになります。

ただ、暴力団組織の中では下っ端扱いであり、事務所やトイレの掃除や洗車、

買い出し、正規構成員の手伝いなどをさせられているだけでした。

 

この時期から、小倉譲は、宮野らと、街に出てはひったくりや強姦などを繰り返す

ようになり、そうした日々の中で、ついに「女子高生コンクリート殺人事件」を

起こしたのでした。

 

小倉譲の家族 ① 母親は小倉悦子

 

母親は、悦子という女性で「女子高生コンクリート殺人事件」が起きた当時は、

43歳で過去には、都内のデパートでの勤務経験があり、結婚後は洋裁の内職の仕事をしていたようです。上でも触れましたが、小倉譲が小学3年生の時に夫(小倉譲の

父親)と別居し、その後は小倉譲と姉を引き取り、水商売をして育てていたという

事です。ただし、離婚はしておらず籍入れたままで「小倉姓」を名乗っています。

その後については、2004年の時点で埼玉県三郷市内(女子高生コンクリート殺人事件現場のすぐ近く)でスナックを経営していた事が判明していて、出所後の小倉譲を

自分の経営する店舗で働かせたり、高級車を買い与えるなどして甘やかしていた

との報道も一部から出ていました。小倉譲の母親に関しては、息子が歴史に残る

残虐事件を起こしたにもかかわらず、その犯行現場近くでスナックを経営するという非常識極まりない行動でも批判を集めています。

 

小倉譲の家族 ② 父親は小倉彰

 

小倉譲の父親は、小倉彰という男性で、「女子高生コンクリート殺人事件」の

当時は42歳で、運送会社の配送員として働いていたようです。

そして、小倉譲が小学3年生の頃に浮気をして愛人のもとへ家出しており、

その愛人との間にも2人の子供を儲けて家庭を築いているという事です。

 

小倉譲が2004年に逮捕監禁致傷事件の再犯を起こして逮捕された際には、

メディアの取材を受けたようですが、「関係ないの帰ってくれ」と繰り返す

ばかりだったという事でした。

 

小倉譲の再犯事件については後半で改めて触れます。

 

小倉譲の家族 ③ 3歳年上の姉 

 

姉は「女子高生コンクリート殺人事件」の当時20歳と報じられていたので、

小倉譲の3歳年上という事になります。小倉譲の姉の情報としては、私立高校を

卒業した後に都内で会社員をしていたという事以外は何もわかっていません。

 

小倉譲の女子高生コンクリート殺人事件後 ① 

出所後に神作譲に改名

 

小倉譲は「女子高生コンクリート殺人事件」の裁判で、1991年7月に「懲役5年以上10年以下」の不定期刑の判決が下され奈良少年刑務所に服役しましたが、

1999年8月に出所して社会復帰しています。その際に、更生保護司の神作久子

という女性と養子縁組をして「神作譲」という名前に改名しています。

その後、小倉譲は少なくとも2004年6月に逮捕監禁致傷で逮捕された事が

報じられた頃までは、この「神作譲」の名前を名乗っていた事が確認できます。

 

ただ、現在はさらに名前を改名して全く別の名前を名乗っていると言われています。

 

小倉譲の女子高生コンクリート殺人事件後 ② 

中国人と結婚もすぐ離婚

 

小倉譲は、1999年8月に奈良少年刑務所を出所してすぐの2000年に、

中国人と結婚していますが、うまくいかずに2003年に離婚したようです。

 

小倉譲は「女子高生コンクリート事件」での前科から、日本で働くのは

難しいと思い、中国に行って働くことを目的に、この中国人女性と結婚したと

いうことでしたが、離婚によってその計画は頓挫したのだと、

その後の事情に詳しいあるジャーナリストが話しています。

 

小倉譲の女子高生コンクリート殺人事件後 ③ 

逮捕監禁致傷容疑で逮捕

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小倉譲は2004年6月に再犯事件を起こして逮捕監禁致傷容疑で逮捕され、

懲役4年の実刑判決を受けています。

小倉譲は、「女子高生コンクリート殺人事件」での懲役からの出所後に一時は

コンピュータ関連の会社 JapanMediaSystemに就職しましたが、勤務態度は

決して良いものではなかったので、すぐに退職し、2002年頃から暴力団事務所に

出入りするようになったようです。その頃から小倉譲は仕事もせず、埼玉県八潮市の木造2階建ての家で母親と同居していたようです。

そのような生活をしていた2004年5月19日の深夜2時頃、小倉譲は当時27歳の

知人男性に「自分の女を取った」などと言いがかりをつけて待ち伏せして襲撃し、

車のトランクに入れて連れ去りました。小倉譲は、母親の悦子が経営するスナックにこの男性を監禁して、翌朝まで暴行を加えています。その際に、小倉譲は自分が

「女子高生コンクリート殺人事件」の主犯格である事を自慢するように語り、

「警察を騙すのなど簡単」、「精神異常のふりをすれば簡単に刑務所から出られる」などと言って男性を脅した事などが、この事件の裁判などで明らかになっています。

【補足】

三郷市逮捕監禁致傷事件の概要

 

 そんな時に小倉が好意を寄せる女性が現れたのです。しかし彼女は被害者男性と

交際しており小倉はそれに納得いかず計画的に男性を待ち伏せして襲撃しました。
2004年5月19日の午前2時頃でした。小倉は足立区花畑の路上で被害者の知人男性に因縁をつけ殴る蹴るの暴行を加えた後に金属バットで脅しました。
そのまま被害者を車に押し込んで三郷市内の母親が経営するスナックバーに

被害者を拉致・監禁しました。そして「俺の女をとっただろう?殺すぞ、

俺は人を殺したことがあるんだ!」と脅したのです。翌朝の6時ごろ、被害者男性の

同居人である男性に小倉は電話をかけ、迎えに来いと言いました。同居人の男性が

来ると被害者の男性は解放され小倉は最後に「今日はこのくらいにしてやるが、

次はない。もっとエスカレートしていくからな」と脅したのです。

知人男性は、全治10日の怪我を負いました。
以下に記載の証言のように小倉は、女子高生コンクリート事件の事を得意気に

話していたことから被害者の男性は次は殺されると思い警察に駆け込みました。

そうして6月4日に小倉譲(神作譲)は逮捕監禁致傷の罪で逮捕となったのです。

被害者の男性は、恐れて証人喚問に出るのを拒んでいましたが、ついにそのまま

消息不明となってしまったようです。小倉は裁判の時は得意の「イイ子ちゃん」ぶりを見せていました。小倉は裁判では一部内容を否定しつつも、おおよその犯行を

認め反省のそぶりは見せていましたが「今後、出所したら被害者へ謝罪の気持ちを

持って生活できるか」と聞かれる「出来ません」とうなだれたと言います。

検察側の求刑は懲役7年でしたが、判決は懲役4年であり裁判長からは

【 今度こそ、しっかり更生に努めて人生をやり直してください 】と語られました。

被害者の証言

三郷市逮捕監禁致傷事件の被害者である知人男性は、監禁されている間ずっと

脅されていました。その証言から小倉が女子高生コンクリート事件の事を

話していた内容がわかりました。「俺は、少年の時に10年刑務所にいたんだよ」

「そこで警察をだましたり、検事を丸め込むノウハウを身に付けたんだよ。だから

また入ってもすぐ出てこれる」「コンクリート事件、あれはマジで楽しかったなぁ」「あの事件は、本当は俺が主犯だったんだよ。俺がリーダーだったんだ」


こういった内容を被害者男性は証言しています。殺人を犯したことを懐かしい

笑い話のように語っていたそうです。この事から小倉は、三郷市逮捕監禁致傷事件

以前に女子高生コンクリート事件すらも反省していない事がわかります。

三郷市逮捕監禁致傷事件の逮捕時も「ちょっとやりすぎた」と一言、

言っていましたがその言葉も反省の態度ではなさそうです。 

 

小倉譲の現在

 

現在、小倉譲は神作譲からさらに名前を変えているとされ、

特定されないように身を隠しながら生活していると見られています。

小倉譲は、上の再犯事件で懲役4年の実刑判決を受けましたが、2009年中に出所

しています。現在は社会復帰をしているはずですが、その後の情報については

何も出ていません。インターネット上では、小倉譲について様々な噂が飛び交って

おり、現在は、NPO団体の代表をしているなどと言った噂が拡散されていますが、

これは明らかに、同姓同名の別人なのでデマ情報となります。

現在、小倉譲は神作譲からさらに名前を変えているとされ、特定されないように

身を隠しながら生活していると見られています。

【補足】

2022年現在は大阪に在住との噂

 

2022年現在足取りは不明ですが、以下のような噂があるようです。

  • 谷村譲と改名し大阪府泉大津市に潜伏
  • 大阪府泉佐野市で生活
  • 整形手術をしている
  • 結婚し子供もいる

などが出ていますが、どれも真相ははっきりしていないといいます。

 

1993年~4年頃に私も、泉大津に住んでいたことがありました。

泉佐野市付近にも、住んだことがありました。

毎年恒例でお正月には、石切神社に初詣に行ってました。

帰りにステーキハウス「シャロン」で夕食を食べていました。

それ以外にも、夕食を食べに行ってました。偶然かな?プンプン おばあちゃん 虹 パンチ!パンチ!

【補足】

再犯になる人間の心理とは

 

女子高生コンクリート詰め殺人事件はとても人間の所業ではない残酷な事件でした。そして彼らは未成年というバリアで守られ主犯の宮野裕史でさえ懲役20年と

軽い刑だったと感じます。家庭環境や友達、周囲の色々な事柄がこういった

犯罪者を作り出してしまうのでしょう。しかしだからといって同情は出来ません。

一番可哀想なのは被害者である人間だからです。

なんの罪もない人間が遊び半分で連れ去らわれ強姦され、暴行されあげく殺される

なんてあってはいけない事なのです。ましいてや命を奪った本人達は今までの

まとめで分かるように全く反省がありません。

刑務所の中で罪を償うのはただそこにいればいい訳ではありません。

命を奪うとはどんなことなのか、それを教えられてこなかった

少年達にもっとやるべきことがあったのではないでしょうか。

きっと彼らは自分達は未成年だから死刑なんて絶対ならないと思っていたでしょう。そして判決はまさにその通りでした。その時点で彼らは世の中を甘く見ており

反省など出来るわけもありません。

これは現在の未成年の少年少女にも言える事で、昔も現在も大人達は未成年の

犯罪に対して少年法を更に改定していかねばならないと感じる事でしょう。

女子高生コンクリート事件のような事件はそんな未成年の甘く浅はかな

気持ちから起きた事件です。この先も未成年の事件は無くならないでしょう。

しかし罪を犯した彼らのこれからを変えてあげる事はできます。

どうしてこうなったのか、罪がどれだけ重いものなのか、懲役〇年の数字だけに

囚われず彼ら自身を変える手段を捜してあげましょう。

人を命を奪うのがどれだけ重く悲しいことなのかはどんな人間でもわかると

信じたいですね。小倉譲や宮野裕史のように出所後に反省の態度すらない人間を

増やさない為にも現在私達に出来る事は少なからずやっていきたいですね。

 

私も同じ意見なので、コメントは書きません。

 

 

純ちゃんに嫌な事をしてこないで! 咳や嗚咽をさせないで、口臭を持って来ない、

体を動かしにくくしない、人の言葉を言わさない、人の感情を持って来ない、、

体などを痛くしない。身体を暑くしないで、トイレ関係も。脅さないで!   

 

【ボートゲームの禁じ手】を使わないで!

いくつかのゲームには、ルールで定められた禁じ手が存在する。

禁じ手を打った(指した)場合、即座に負けとなるのが一般的である。

スポーツやゲームのように明確な規制で禁じられたものではなく、

 

「使うべきではない」とされる手法についても「禁じ手」と呼ばれることがある。

 

※このルールを違反した時点で、ゲームオーバー及びゲームアウト!

 

その技術を使わないで!

 

 

全責任は、お母さん達に取ってもらう。 もちろん本人にも取ってもらう!

あの長男、人のPCやスマホに侵入してきて、ハッカーのようにしてこないで 

長女のパワーを使わない! 上記に書いていることは、みんなのことを指す 

 

3つの約束やルール、個人的に約束した事、日本の常識は必ず守って。

アミューズ同様、みんなに対しても約束など厳守して

( 私の言うことを聞く・命関係は打ち止め・引退関係・契約書など、反故にしない )

契約書を読んで!約束を破るとペナルティーが、母との勝負を忘れないで 

 

 

いつもありがとうございます。

 

最後までお読みいただきありがとうございました 愛飛び出すハート