“経営イノベーター” としての素顔    2019/02/21/ 17:00    週刊朝日

小林一三の生涯を追った鹿島茂氏には「真のイノベーターの不足という問題が見えている」と著者は推測する (※写真はイメージ)
小林一三の生涯を追った鹿島茂氏には「真のイノベーターの不足という
問題が見えている」と著者は推測する (※写真はイメージ)

 

 

 

 京都大学大学院経済学研究科教授の根井雅弘氏が選んだ “今週の一冊” は『日本が生んだ偉大なる経営イノベーター 小林一三』(鹿島茂、中央公論新社 2000円※税抜)。

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 阪急電鉄、宝塚歌劇団、阪急百貨店、東宝などを創業した小林一三の名前を知らないビジネスマンはいない。だが、彼の全体像となると、現役の経営者でも意外に知らないことが多いのではないか。本書は、小林を「偉大なる経営イノベーター」として評価する鹿島茂氏が雑誌「中央公論」に長期連載していた文章をまとめたものだ。

 

 経営者としての小林に焦点を当てるだけなら、並の評伝作家でも無難な一書に

まとめることができる。だが、「親類の中の孤児」として育ち、慶應義塾に学ぶ頃から小説家志望だったにもかかわらず、「仕方なく」三井銀行に入行したというスタート

時点での経歴から、すぐに鹿島氏の術中にはまってしまう。

 お茶屋通いの日々、愛人であった舞妓との結婚、そして、不遇だった銀行マン時代に見切りをつけて証券会社設立に走ったものの、日露戦争後の大活況から急転直下の株式大暴落でいきなり路線変更を余儀なくされた。

 

 小林が「箕面有馬電気軌道株式会社」の専務となったのは1907年だが、株価大暴落のあと権利株以外の株の引き受け手もいないような会社のどこに可能性を見つけたのか。鹿島氏は、小林が鉄道そのものよりも沿線の不動産で「鉄道の価値」が決まるという発想をもっていたことに注目している。これは、イギリスの著名な都市計画家エベネザー・ハワードが田園都市構想を世に問うた1898年と1902年の著作の内容と本質的に変わらないという。小林が先見の明のあったイノベーターだったことがわかる。

「イノベーター」という言葉は、経済学者シュンペーターと結びついているが、

本書には、シュンペーターの名前は全く出てこない。しかし、シュンペーターの

「イノベーション」という概念を正確に押さえておけば、小林のイノベーターと

しての側面も、もっとよく理解できるのではないか。

 

例えば、鹿島氏は、小林が「よりよいものをより安く」をモットーに阪急百貨店を開店(1929年)したときの発想は「多売→薄利」だったと捉えている。つまり、「薄利→多売」がいずれ利益率の低下につながる欠点があるのに対して、「多売→薄利」なら

利益率を下げるのはあくまで「利益をお客に返すサービス」となり、お客が再び

利益をもってきてくれる可能性が生まれると。シュンペーターのイノベーションの

定義に従えば、これは「新しい販路の開拓」が可能にする世界なのだ。

 だが、同時に鹿島氏は、小林の東宝映画設立(1937年)を「ヴィジョナリー・カンパニー」の誕生として捉えることによって経営史との接点を見出していると思う。

つまり、大衆によりよい娯楽を提供するという商業理念を実現したという意味だが、宝塚その他も同様だ。

 小林は根っからの自由経済の支持者だったが、電力事業の合理的経営のための

国営化を拒否するほど頑固な保守主義者ではなかった。だが、その考え方は、

戦時中のいわゆる「革新官僚」(岸信介の名前を出せば十分だろう)による統制

経済論と対立し、政治家(第2次近衛内閣の商工大臣)としての挫折を味わった。

 戦後になり、やがて日本は高度成長の時代を迎えようとしていたが、晩年の小林は、国民全員がそれぞれの役割を分担し、創意工夫に励めば「幸せな日本」を実現

できると楽観的にみていたという。鹿島氏は、それは現在の少子高齢化時代の

日本には参考にならないという意見があることは重々承知している。

 だが、小林の生涯の活動を追ってきた鹿島氏には、将来への確固たるヴィジョンをもち、果敢に行動に移せる真のイノベーターの不足という問題が逆に見えているのではないだろうか。波乱に富んだ小林の生涯を浩瀚な資料解読と文士の筆力で描いた

力作だ。  ※週刊朝日  2019年3月1日号