キラキラ龍龍龍龍龍龍龍龍キラキラ

 

こんにちわ。

ご訪問ありがとうございます。

 

最近のウイーンは、

まだ4月だというのに、

春と言うよりは初夏の暑さです。

 

暑いの苦手なご隠居さんは、

今から猛暑が怖くってハラハラとしてますが、

 

地球温暖化への悪影響を考えて、

夫くんが『クーラー入れようよ』と言っても、

『嫌です。駄目です』

と全面拒否。

 

それに、

建物の外側は文化財保護になっているので、

『大家さんが許可するわけないでしょう〜』

 

秩序を守りたい姉さん女房は、

爆  笑いつだって強気なのです爆  笑

 

 

ホーフブルグの日陰で涼む旅行者。過去ピックです。

気温は日陰で測るので、40度越えたらここでの"避暑"は無理

40度越えになったら、モールへ飛び込んで一日を過ごしましょう。
モールには回転寿司もあるし、我が家から地下鉄で15分ほどだし、
喫茶店もスーパーも本屋さんもあるし、まるで大人の遊園地。
その方が地球環境保護の手助けにはなりますよねェ。
時間制限が無い隠居生活者だけの特権を活用させますてへぺろ
 
どうして話が横道に逸れるんでしょうねェ汗
 
では本題に入りますね。
 

自分軸で生きる

 

よーく考えてみると、
ご隠居さんは、子供の頃からしっかりと、
自分軸で生きていたのだと思うの…
 
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大人の気持ちに敏感になってからは、​​​​​わがままを言わない子だったわ。
 
すでに自分軸を持っていたので、
飛び出す釘は打たれる式の、
昭和の時代の風習に溶け込めなくって、
難儀していたわけなのね…
 
小学1〜3年の、そう、
社会生活へのスタートで、
一番影響力が大きい大切な時期に、
カチコチ頭のおばちゃん先生が、
HSPのご隠居さんの将来へ、
けっこうなダメージを与えちゃったわけ…
学校は怖いところ、先生は怖い人、
お勉強はつまらない、お家に帰りたい…etc
 
彼女は、教師として良かれと思って、
HSPで繊細で人の気持ちが見通せる女の子に、
普通の子供のように接してしまったのでした。
なにしろ、大きな音(声)が苦手で、
大人の怖い顔も苦手、
誰かが叱られるのを見るのも怖いHSPっ子。
すごいビビリ屋で、精神が引きこもりがち…
繊細さんを集めて、その子の特性を引き出して、
教育をするシステムもありませんでしたから、
ご隠居さんのような子供は、
問題児としか見られなかったのですね…
 
周りの大人たちも然り…
大人たちにしてみたら、
大人しくて無口なのに、
『私は知っているよ』みたいな、
分別くさい目つきで見られたら、
良い気はしませんよね…
 
本当に、分別だけは、
大人顔負けの子供だったので、
告げ口とかは絶対にしなかったのに、
何かを感じていたのか、
まだ元気だった母が担任に会いに行った、
すぐその後で、
越境手続きをして転校しました。
 
途中転校先の小学校での1日目。
母と別れて、先生と教室に…
ドキドキドキドキ
モジモジしながらご挨拶した時に、
後ろの席の男の子に『あの子知ってる』と、
大声を出されてビックリ。
顔を上げてよく見たら、
幼稚園で一緒だった子でした。
 
彼はけっこう腕白さんで、
独り遊びが好きだったHSPっ子は、
接触を避けていたのですが、
彼の記憶には残っていたようです。
 
彼のことを無視していたせいでしょうか…笑い泣き
 
小学3年生ともなれば、
ある程度の人格形成は出来ているので、
普通人には好まれないらしい、
分別くさい目つきは改善されていたと思います。
汗純粋なHSPっ子は顔に出ちゃうのよね汗
 
人と接するたびに、
その人の気持ちは伝わってくるので、
なるべく独りの時間を作っていました。
 
疲れちゃうのです
 
そのうちに、母が直腸癌で倒れ、
入退院を繰り返す日々が始まりました。
 
年の離れた末っ子のご隠居さんは、
兄弟達との時間や興味が合わずに、
やはり、家庭内でも孤立…
 
ワンコさんとの会話と、
お話を作って絵を描く独り遊びに、
ますます夢中になっていく日々。
 
それが一向に苦にならないので、
ビックリマーク不思議な子供だったのねビックリマーク
 
多分、
反抗期というものも無かったわ。
 
家族を困らせていた記憶は無いし、
自由にさえさせてくれれば、
とっても素直な子供だったはずよ。
 
最近、そんな子供時代のことを、
思い出す時間が増えました。
 
963Hz 852Hz 639Hzなどの音楽を聴きながら、
瞑想をしている間の映像が、
すっかり忘れていた自分の姿…
 
今になってやっと、幼くして、
すでに自分軸と言うものを、
しっかりと持っていたと悟りました。
 
集団生活と集団行動
 
これは、
いまだに苦手です。
 
そうかと言っても、
協調性が無いわけではなく、
寧ろ、協調性があり過ぎて、
集団生活が苦手だったのですね。
 
HSPっ子が、集団に馴染むためには、
自分の神経を閉じなければならない…
でも、それは無理というもの…
 
当時の日本の風習が、
まさにHSPっ子泣かしとなれば、
 
『ここは私の居場所ではない』
 
小学生の頃から、日本脱出を真剣に、
思い描いていたことも頷けます。
 
密かにそして念入りに…
計画は着々と進んでいきましたてへぺろ
 
 
今のご隠居さんは、
自分が選んだ国で、
自分が夢に描いた人生を、
自分で望んだ伴侶と、
二人三脚で歩んでいます。

 

自分軸で生きるって、
きっと、
こう言うことなんだと思う…
 
子供のころから、意識せずとも、
自分の気持ちに正直なまま、
自分軸で生きてきたから、
自分が欲したもののほとんどを、
手に入れてきたって、
胸を張って言えるのね。
 
でもね、ふたつだけ、
本当にこのふたつだけは、
一度たりとも、
欲したことがありません。
 
それはね

 

富と子供

 

 
 
富や子供は、
神からの授かり物だと、
知っていたのでしょうね。
 
 
その思いは、
今も変わりません。
 
そして、今、
富も子供も持たないけれど、
本当に幸せです。
 
 
謙虚な姿勢と
純粋な心と
思いやりの心と
感謝の気持ち

 

 
この四つだけは、
今後、
どんな境遇になっても、
決して忘れないように、心の辞書に、
しおりを挟んでおこうと思います。
 
これからも、
自分軸を大切に生きるために。
 
最後までお付き合いくださって、
ありがとうございました。
 
 
皆さんの、
これからの一日一日が、
穏やかで実り多い日々でありますようにお願い
 
 
 
キラキラ龍龍龍龍龍龍龍龍キラキラ