~波打ち際の~ 浜金魚 トップページ へ■ナンセンス![nonsense] ~存在することの不思議、このおかしさよ~
※シモネタが登場します。よい子の皆様、その他、健全な皆様はどうかお読み にならないでくださいね。
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イケナイ!! イケナ過ぎるかもカモ・・・。最近、一人で居る時、独り言をしょっちゅう言って自分で大受けして笑っている。自分のおやじギャグが、なぜだかとってもおかしい。そのあまりのバカバカしさに、心の底から笑ってしまう。相当に狂ってしまっているのか? で、なぜだかひどいオカマ口調で(不思議なことにオカマ口調だと、言葉が次々と出てきて、いっそう笑える)、延々と今の自分の気持ちを一人きりで解説したりしていて、・・・気がつけば、部屋の窓が開いていて、そのすぐ下で隣家のおじさんが草抜きをしていて・・・、あちゃ~っつ! 全部聞かれたかぁ~?と、ちょっと青くなったりして。
相方と居る時は、全く意味の無いアホなことを僕が半分以上言っている。相方は聞こえないフリをして、怒ったように無視を決め込んだりする。僕はムキになって、相方の耳元で、「ちゃんと人の話を聴いてるの? 人が真剣に話しをしている時は、真剣に人の話に耳を傾けきゃ!」なんて言い、反応してくれるまで何度も、とっても下らないギャクを相方の耳元で大声で繰り返し、無理やり反応させようとする。そんな下らないことを一生懸命している(できている)自分がとっても楽しくて幸せだったりする。相方は、「あ~、はいはい・・」などと、一見ひどく迷惑そうだけど、少しは楽しそうでもあるので、まぁ、いいことにしてるけど。
よく思い出し笑いもしてしまう。それは、ひとり、電車の中だったり、電車を待つ駅のホームだったり、真剣に誰かと言葉を交わしている最中だったり、・・・と、時と場所を選ばず、突然、やってきてしまう。・・・また、目の前で起こっている出来事に、全くナンセンスなアホな勝手なギャグ展開を想像して、そのあまりの下らなさに笑いがこみ上げてきてしまう。その内容もさることながら、そんなことを考えている自分自身がはるかに可笑しい。一度巻き起こってしまった笑いを収拾するのは大変に骨の折れることで・・・で、生きてる(生きる)って、やっぱりそんなには悪くないかも?なんて思ってしまう。特に、笑ってはいけない場所や状況で、妙に笑いは興ってきてしまうようで、一度芽吹いてしまった笑いは、押し殺そうとすればする程、倍増されてしまう。葬式の、坊さんがお経を唱えている最中に、突然笑いがこみ上げてきてしまった時には、大変に困ってしまった。絶対にに笑ってはいけない状況だよなぁ~、と思った瞬間に、妙におかしくなった。うつむいて、肩を震わせ、泣いているフリを精一杯したものの、周りの数人に、しっかりと笑いが伝播してしまっていた。この時は、ほんとうに呼吸困難になる程苦しかった。まったく不謹慎極まりないのだけれど、別に死者を冒涜しているつもりはなく、笑いがこみ上げてきてしまうのだから仕方ない。
笑いってナンなのだろう? すごく不思議だ。とにかく、ナンセンスなことはおかしい。僕の心の深いところをくすぐりやがる。論理的・理性的であること以上に今の僕にとっては魅力的なことで心ひかれる。
■ナンセンス [nonsense]
[名・形動]意味をなさないこと。無意味であること。ばかげていること。また、そのさま。ノンセンス。「―な議論」 →大辞泉(小学館)より
■センス [sense]思慮,良識(のあること),道理にかなったこと →プログレッシブ英和辞典より
→つまり、ナンセンス [nonsense]は、センス [nonsense]が、欠如[non]していること。
ナンセンスで、決定的に笑わされたのは、相原コージ氏作のコージ苑 。「コージ苑」とは、かの国語辞典の重鎮である「広辞苑」のパロディ。国語辞典っぽく作られている4コマ漫画集。もう随分と昔のことなので、内容をはっきりとは覚えてないけど、その中の1作品で、2か月間位は笑わせてもらった。確か・・・舞台は学校の数学の授業中。女の先生が黒板に数学の方程式問題を書き、「できる人?」と志願者を募る。と、モケケ君なる全く理解に苦しむ容姿の生徒が毅然と手を上げる。で、黒板に向かい自信満々に問題を解きはじめて・・・、最後のコマで、黒板を背にして、いきなりモケケ君は素っ裸で、「・・・イコール・・・、チ○コぐるぐる」と言いながら、腰を振ってチ○コをぐるぐる回している。4コマ漫画のおかしさを、文章ではとても表現できないけれど、とにかくムチャクチャな話の展開と、シンプルな画がおかしくておかしくて仕方なかった。
そうそう、もっと時代をさかのぼれば・・・、子ども時代にテレビで放送されていた「天才バカボン」「もーれつア太郎」「おそ松くん」(原作:赤塚不二夫氏)は意味がよくわからなかったけれど、ひどくおもしろかった。「天才バカボン」の舞台設定や登場人物のキャラクターは全くハチャメチャだったけど、「これでいいのだ!」というバカボン・パパの最後の〆ゼリフはとっても奥深くて、子どもながらに毎回、ん~、確かにこれでいいのかもしれない・・・と、思わされたものだ。ケムンパス、ニャロメ、レレのおじさん、両目がつながっているお巡りさん、っと言ったキャラクターは、その存在自体が理解不能だけど、当時の僕に、その似顔絵を描かせてしまう程、魅力的で不可欠な存在だった。おばQに登場する、いつもラーメンをすすっている小池さんも・・冷静に今考えてみると、いったいナンだったんだろう? 不用な存在のようでいて、不可欠な存在。・・・・笑える。
その他、永井豪氏作の「キュティーハニー」「ハレンチ学園」。鴨川つばめ氏の「マカロニほうれん荘」。現在は小説作家として活躍している山上たつひこ氏作の「がきデカ」。楳図かずお氏作の「まこちゃん」・・・等々。
今でも思い出すと、そのあまりのナンセンスさに笑える、「まこちゃん」の一場面がある。まこちゃんのお母さんが一人、部屋でヨガ体操をしている。で、あお向けに寝た状態から、お腹をせり上げて自分の顔を埋め込みようにして、左右それぞれの足を自分の首後に巻きつけて、尻が天に向かうヨガのポーズ(ナンという名称のポーズなのだろう? 上手く説明できない! ちなみに僕も出来たりする。このポーズをしてみようとしたキッカケは・・・、世の男性諸君ならば察しがつく・・?)をしていた時、電話がかかってくる。お母さんはあわてて、ヨガのポーズをといて、電話に出ようとするのだが・・・、足が首にしっかりはまってしまっていて、どうにも解消できない。仕方無く、お母さんはそのまま三角錐の様なカッコウで、左右の健康骨を器用につかって電話台ににじり寄って行き、・・・ところが運悪く、勢いあまって電話台にぶつかってしまい、な・なんと! 電話台に置かれた花瓶が倒れ、飾られていたバラの1茎が、こともあろうに、おしりの穴に突き刺さってしまう。お母さんの顔は激しく歪み、ひょえ~っつ!!! と大声をあげる。人間剣山にバラの花が一輪神々しく生けられてしまっている図。・・・バカバカし過ぎて、おもしろ過ぎる。
バラの花と言えば・・・、幼稚園の先生をやっていた人から聞いた話。・・・園児用トイレの和式便器に立派なウンコがされていて、そのウンコにバラの造花が刺し生けられていたことがあった、と。ウンコとバラ。便器からのぞくバラの花の画を想像すると、ナンとも芸術的!とさえ感じ、いろいろなことを考えさせられてしまう。薔薇とウンコ。
○赤塚不二夫氏公認サイト→-http://www.koredeiinoda.net/
○鴨川つばめ氏について→http://www.library.city.omuta.fukuoka.jp/kyoudo/mangaka03.html
○楳図かずお氏 Official Home Page →http://www.umezz.com/
今は、めっきり漫画というものを読まなくなってしまったので、最近流行っているギャグ・ナンセンスもののコミックって何なのだろう? 「クレヨンしんちゃん」がそうなのかな?
最近のナンセンス・ギャグもの、・・・と言えば、そうそう、1997年10月~1999年9月までTBSテレビ系列で放映されていたコジコジ(全100話)は秀逸だった。僕が偶然にテレビでこのアニメを発見したのは、放送終了の2か月ほど前で・・・、そのあまりにも奥深い世界に、僕の心はすっかり釘付けにされてしまった。とても子ども向けのアニメとは思えなかった。「コジコジ」とは・・・、メルヘンの国が舞台。年齢も性別も不明な謎の宇宙生命体であるコジコジが主役で、物語が展開される。他の登場人物のキャラクター設定、名前からして笑える。半魚鳥の次郎。ハレハレ君。ドーデス。ブヒブヒ。やかん君。カメ吉。物知りじいさん。頭のてっぺんに花が咲いている、頭花(あたまばな)君。さくらももこさんにとって、「ちびまるこちゃん」よりもやりたいことだったような気がして、僕はならない。観始めて、2か月で終了してしまい、地上波での再放送をずっと期待しているのだけれど、一向にその気配が無く・・。どーしてなのかな? 観ようによっては、差別につながる、というような難クセがついているのかも。僕にとっては、全くその逆の精神が根底にある作品だと思うけど。で、僕の知らないところで、コジコジDVDボックスなるものが限定販売されていたようで、手に入れそびれてしまって、すご~く残念! このDVDボックスは今、中古市場でかなりのプレミアムがついて取引されている。あっつ、けど、レンタルビデオ屋さんに行けば、ビデオを借りることが出来ます。そして、CS/スカイ・パーフェクト・テレビ(キッズ・ステーション)または、各地域のケーブルテレビ(キッズ・チャンネル)で、現在、再放送されているまっ最中です。ご覧になれる環境の方はぜひぜひ観てみてくださいね~。ついでに、さくらももこさん著のエッセイ集は、かなり笑えてお薦めですよ! (念の為、ベツに僕はさくらももこさんの回し者ではありません)
○コジコジ ホームページ →http://www.nippon-animation.co.jp/na/cojicoji/
友達のH(ヘテロ女・仮名)は、大人のおもちゃの通信販売サイトをじっくり(研究)読み進めることが好きで、その日々の研究成果を、逐一僕に報告してくれる。で、僕にそれらのサイトのURLを送ってきては、まじめにしっかり読み進めるように、僕に勧めてくれる。性という秘め事にまつわる怪しい、とってもプライベート商品を、堂々とPC画面上で、極まじめに懇切丁寧に解説してくれていることが、大変にうれしくて、何よりもおかしい。2人で爆笑してしまったのは・・・、コードレスでON-OFFができる、小型バイブ機。バイブ本体を定位置に仕込んでおき、リモート・スイッチはポケットの中に。で、好みの時に、誰にも気づかれること無く、バイブをこっそり作動させることが出来るという優れもの。日常生活のストレスを受けてしまう様々な局面での密かなる使用を、販売者は提案している。朝の超満員電車の中で。会社でストレスを感じた瞬間に。オフィスでとんでもない失敗をやらかして、上司に呼び出され、ガミガミ叱られている最中に、密かにスイッチON・・・なんて情景を想像すると、もう笑いが止まらない。生きる勇気が湧いてくる、ってモンだ・・・。
等身大の愛玩お人形さんには、しっかり名前までつけられていて、身体的特徴や体重までもが記載されている。大変親切なことに、商品の製作過程上、商品には若干のバリがあることをご了承ください、なぞの注意書きまである。消費者の立場に立った、全く至れり尽くせりの親切通信販売サイトである。
え~っと、ナンの話をしてるんだっけ? そう、ナンセンスの話・・・。ナンセンスなことは、どうしてこんなに可笑しくて、笑えて(笑えるのは僕だけかも?だけど・・・)、こんなにも心惹かれてしまうのだろう?
これは、僕の生育環境に大きく起因しているようにも思われる。対極に位置するような価値観を持ち合わせた組み合わせの両親。相容れない2人の関係が醸し出す、一種、異様な雰囲気。社会的価値観や、道徳規範・倫理、世間体に忠実な、とってもわかりやすい生き方をしようとする母親。彼女の思考を根本で支えているものは、彼女の信仰している宗教世界だった。一方、人間社会における積極的な自分の「意志」というものが無い、運命にただ浮遊しているような父親。彼の意志は、妻への反駁、社会への消極的な批評・嘲りによって、反動として辛うじて存在している。彼は過去に後悔するでも無く、未来に絶望するでも無く、かと言って、希望に満ち溢れている訳でも無く、ただ、今、ここに自分というものが居心地悪く存在してしまっている、・・・というような妙な雰囲気。彼は他人に期待もしなければ、憎むことも無い。他人に全く興味を示さないばかりか、自分自身にさえ、さしたる興味も無いようだった。彼の世界は、唯物論的に「宇宙」を語りながら、「独りきり」で完結してしまっていた。こんな二人の会話はいつまでも平行線で、いつも母親が怒り出し、そして諦め、決して2人の言葉や感情がクロスすることが無い。僕はその狭間で、お互いの立場や気持ちを、子どもながらに敏感に察し、どちらも相手に対して傲慢・不遜で、どっちが悪いとも思えなくて、ただ2人の組み合わせが悪いんだ、と感じ、各々に、離婚をすることを強く勧めた、のに、2人は離婚をせずに40年以上も未だにいっしょに居る。お互いに、違う相手と結婚をしていたのなら、現状と全く違う実のある展開があったような気がするし、同じだったのかもしれないし、続かなかったのかもしれないし・・・。
幼い僕は、母と父の世界を激しく振幅しては、自分はここには居ないような気がしてならなくて・・、この世のどこにも自分は居ないような、居場所が無いような気がした。
僕の人生観の土台は、悔しいことに、実は父親寄りに形成されたような気がする。宇宙や自分自身の存在の不思議や、危うさに本能的に怯えながら、それでも自分の存在を確かめたくて、人間社会のルール(母親の人生観)に身を置いてみる。身を置いてみたところで、苦しめられることの方が圧倒的に多くて、何もそこにも見つかりはしない。僕の心を満たしてはくれなかった。
(ちょっと、話はそれて・・)僕の両親の関係に決定的に欠落していたのは・・・、自分自身の心・気持ちをゆっくり味わい、そして、それをお互いに伝え合う、共感的な態度だったのかもしれない。どんなに世界観・価値観が違っていても、意見が食い違っていたとしても、心の交流は出来る。人と人との関係は、何を話したのか?が問題なのでは無く、どのように話したのか?が重要なのかもしれない。その為には、まず、自分の心の動きにじっくり耳を澄まして味わってみること。そして、他人の心に耳を澄ましてみること、だよね。人の心を満たしてくれるものは、何も人間の心、とばかりは言えないけれど・・・。
僕にとって、長らく、現実(理性的世界)とは・・・、この世の自分自身の存在とは・・・、「辛い」だけの事象であって、直視したくないものだった。現実を茶化してしまうことは、自分自身を守ることにつながった、って意味合いが強いのかなぁ。
そもそも、考えれば考える程、「存在」って意味がわからない。存在の「確からしさ」があやふやになってくる。僕は本当に存在しているのだろうか? あなたは本当に存在しているのだろうか? 宇宙は本当に存在しているのだろうか? 存在するってコトって何よ? 宇宙の存在の意味って? 僕の存在の意味って? あなたの存在の意味って? 存在の意味って何? 存在の不思議を何ら問うこともなく、存在の意味を何ら問うこともなく、現実的に即物的に生きましょう、では、あまりにも芸が無さ過ぎる。つまらなさ過ぎる。苦し過ぎる。
「自分探し」という言葉とて、言葉の上では成立しても、探すべき自分というものがわからなければ、自分というものを探しようもない。※1
実は人間(生物)って、今、この瞬間しか生きる(感じる)ことができないもので・・・過去も、未来も思考することしか出来ないもの。ならば、過去も未来も現在も、すべてはこの瞬間にある。感覚としての今、この瞬間と、観念としての過去・未来。すべてがこの瞬間にあるのなら、過去も未来も、この瞬間に都合のいいように創造することも可能ってことだよね。※2
考えれば考える程に訳がわからなくなる。
→上記 ※1 ※2
「あたりまえなことばかり」
著者:池田 晶子氏 (2003/03/20発行)
出版:トランスビュー ISBN: 4901510134 の中の記述より。
仮に存在自体がナンセンスなのだとしたら、僕らがあたりまえのように受け入れてている(信じている)理性的な世界っていったいナンなのだろう? もし、強固に成立ってしまっているように思い込んんでしまっている理性的な世界の土台が、ナンセンスだとしたら、ナンセンスをじっくり味わってみる必要があるのではないのかな? ナンセンスをじっくり感じてみるべきなのではないかな? 存在の不確かさを確認(実感)できた時、理性的な世界へ挑む勇気もわいてくるような気がする。
ナンセンスを心の底から味わい、笑う。存在の可笑しさとでも言ったらいいのだろうか? 存在することの不思議を味わう。宇宙をそのまま感じる、とでも表現したらよいのだろうか。ナンセンスから理性への構築。そして、理性からナンセンスへの心の開放。ナンセンスと理性の共鳴。
存在することの可笑しさ(楽しさ)を浮き彫りにする、理性的世界をこちょくる絶品のセンスの持ち主は、爆笑問題の大田光氏やダウンタンの松本仁志氏だと僕は思っていて、時に(真をつき過ぎていて)不愉快でもあり、タイテーは爆笑させてもらっている。ビートたけし氏は、残念なことに、だいぶ感度が鈍っちゃったよなぁ~。
最近、友達がメールに書いてきた言葉↓。ん~、とってもわかるような? わからないような?
「空即是色」くうそくぜしき
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仏語。一切の存在は現象であって空であるが、その空であることが体得されると、その現象としての存在がそのまま実在であるとわかるということ。「般若心経(はんにやしんぎよう)」には「色即是空、空即是色」とある。 大辞泉(小学館)より
数年前に三浦光世さんにお目にかかった。作家・三浦綾子さん(故人)の夫であった(ある)方だが、僕はとっても驚いた。光世さんの身体全体から発せられている受容・寛容のパワー(雰囲気)に。一言も言葉を交わすこと無く、光世さんと視線を交わしただけで、僕は僕を光世さんに受けとめてもらえた気がした。(僕がこんな事を言ってしまうのは誠に僭越だけど)光世さんは、たぶんナンセンスもセンスの区別無く、すべてのことを受容していらっしゃる、ようなぁ・・・? 数々の三浦綾子文学が生み出された背景に、光世さんの存在があったことを、強く感じずにはいられなかった。
○三浦綾子記念文学館のHP → http://www.eolas.co.jp/hokkaido/hyouten/
直接お目にかかったことは無いけれど、三浦光世さんと同じような雰囲気を感じる方々・・・、俳優の笠智衆さん・宇野重吉さん(共に故人)、京都大学のもと教授の森毅さん、臨床心理学者・心理療法家の河合隼雄さん・等々・・・ん~、女性が居ないのが、自分ながらちょっと不思議・・。
これら諸氏の前で、ナンセンス・ギャグを連発して、反応をうかがい、感想なぞちょっと聞いてみたかったりする。
とにかく、理由はナンであれ、笑うことは身体にとっても良いことだそう。人間が本来もっている免疫システムの活性化につながるらしい。全くおかしくなくても、無理して、1日5分間以上、わっはは・・・と笑うとよろしいらしい。・・・ということを以前、テレビでやっていた→。治療が大変に難しいと言われている膠原病の重症患者さんが、1日5分間の無理やり笑いで、あっという間に完治されていた。手の施し様の無い末期のガン患者が奇跡的に回復されていた。
で、僕の周りのいくつかのナンセンス話を披露・・・
→この続きは後日、UPさせていただきます。
