こんにちは。

春分の日は墓参り

ご先祖に

挨拶をして

帰ってきました。


風も強く雪も

降ってましたが

お墓では

良い天気。

良かったです。


帰宅後

写真を整理

してたら

こんな写真を撮ってました。


石の灯籠ですが
年号だけをうつしてる。


天明4年
甲辰の年
三月吉日

干支が同じです。
同じ三月

1784年
 今から240年前

明石 魚住住吉神社

拝殿の横に
新しい石灯籠が
奉納された頃。
どんな景色だったのかしら。

東二見の海岸線は
埋め立て地がなく
違っていたでしょう。

淡路島は?
風力発電の羽は
無かったね。

調べてみると

1784年は
明石藩のお殿様
松平直泰が
隠居されて
18歳の息子さんが
新しい殿様になられた
おめでたい年でした。

天明4年は
江戸時代の三大飢饉
天明の大飢饉が
東北地方を中心に
おこりはじめるころ。

天明3年
浅間山の
天明の噴火が
始まりました。
火山灰による冷害
が数年続きます。

関西にはまだ
影響はなかったのかな
どうでしょうか。

そんな時代に
奉納されたのですね。

神社の石灯籠から
江戸時代天明4年まで
タイムトラベルを
してました。

古い時代の痕跡が
身の回りにある
神社は
不思議な空間です。



さて
家督をついだ
明石のお殿様はその後
どうなったのかしら?

天明4年の後
藩主となって一年半後の1786年(天明6年)


松平 直之
播磨国明石藩5代藩主
江戸藩邸において
20歳の若さで死去

がーん😱
えーーー!
なんと!悲しい😖

その後明石藩は
13歳の三男
松平 直周( なおちか)が
播磨国明石藩6代藩主に。

明石藩の歴史を
少し知りました。

そもそも
明石藩って
三木市も入ってたこと
知らなかった。
広かったんですね。

松平の名前も。
徳川家とつながってて
驚きましたが。

ご先祖さまに意識をむけた
お墓参りの続きのようで

江戸時代まで遡って
感じることができました。